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日刊サイゾー トップ > 社会 > メディア  > ジャニーズ叩き…もはやいちゃもん

【総括】ジャニーズ叩きを延々と擦り続けたメディア…もはやいちゃもんの領域

今のジャニーズには何をやっても許されるのか

 だが、問題の本質はそこではない。なぜ、台本が外部に流出しているのだ。関係者が匿名で流出されているようだが、気に入らないのならば、堂々と名乗って声を上げればよい。

 ただ、そんなことをしたら、その人間には一生映像関係の仕事は回ってこないだろう。それはそうじゃないか。報道に取材源の秘匿という原則が存在するように、制作にも脚本の秘匿義務は当然存在する。そんな常識すらない人間を、作品作りの現場に呼ぶことができるだろうか。

 ましてや大河である。仮に事実ならば、NHKのスタッフは何に対して悲鳴を上げているのだ。改悪された云々ではなく、脚本が流出したことにこそ悲鳴を上げ、青ざめるべきではないのか。そんなスタッフが現場にいることにこそ、危機感を持つべきではないか。

 視聴者あってのテレビ。読者あっての週刊誌だぞ。そもそも、モラルや常識を飛び越えてまで、こんなことを報じる公益性などあるのだろうか。

 私は、そこに作品への大きな裏切りしかないと感じてしまうが、私の感性が間違っているのだろうか。決してそうとは思えないのだ。

 世はジャニーズ叩きに翻弄し過ぎた。一方の証言だけで、どこに信憑性があるかを検証するという報道の役割さえ見失ってしまっていた。今のジャニーズは叩いてよしという世論が構築されれば、何をやってもよいとでも思っているかのようにだ。

 何年、いや何十年前のことを持ち出され、いつ潰されるかわからない論調に乗っかり続けることは、のちにすべてを疲弊させると、なぜ気づかないのだろうか。

 「これはおかしくないか……」

 ジャニーズ性加害問題当事者の会の主要メンバーが、金目当てと発言したとき、報じる側は誰もそのように感じることができなかったのか。私は初めから、「なんやこれ銭金の話しかい」と感じていたぞ。

 はっきりと言うが、記者として現場に立つとき、自分が目立てばよい、インパクトを残したいという思考では報道などできない。そんな野心は噛み締めるものであって、決して公にするものではないはずだ。

 私だって、事件ネタや芸能ネタを抜いてきたし、書いてきた。だが、それはあくまで過程であって、今の立場では書くことがない。

 なぜならば、私は小説家として世に立つことを志していたからだ。だからこそ、志を持っての記者の仕事を否定するわけではない。正しきジャーナリズムならば、おおいにやればよい。

 だが、今回のジャニーズ叩きはすべてを否定している。繰り返すが、一方の当事者が他界している中、片側の主張だけで、その信憑性を判断することができないからだ。

 世論は必ずしもひとつかといえば、そうではない。ジャニーズを応援する多くの人々の声もまた、ひとつの世論を形成している。もはや真実を追求することもできない中で、そうした声すら無視し、絶望感を与え続ける行為をいつからジャーナリズムと呼ぶようになったのだ。

 ジャニーズファンでなくとも、多くの世代はジャニーズのタレントに影響を受けて大人になってきた。楽しみや感動を与えられてきた。それを踏みにじる偏った報道に、正義や報道の自由を掲げる正当性は見えてこない。

(文=沖田臥竜/作家)

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)、『ブラザーズ』(角川春樹事務所)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

最終更新:2023/10/28 13:57
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