トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 社会 > メディア  > ジャニーズ叩き…もはやいちゃもん

【総括】ジャニーズ叩きを延々と擦り続けたメディア…もはやいちゃもんの領域

まだまだ続く、マスメディアによるジャニーズ叩き。性加害という根本の問題をよそに、ジャニーズに関わるネガティブネタに食いつき、豊かな想像力を働かせて、難癖をつけまくる。それに傷つく人々たちがいることは、あえて想像しないかのように……。そんな中で報じられた、大河ドラマと松本潤をめぐる一件。ドラマの制作にも携わってきた作家・沖田臥竜氏には、あまりにも滑稽で本質から逸脱した問題と映ったようだ――。

作品の評価を決めるのは、視聴者の心

 ドラマ『ムショぼけ』(2021年)の冒頭で主人公である陣内宗介のセリフ「懲役の15年や16年、笑いながら行ったらぁ」。この言葉は、私が弱冠14歳にして鑑別所へと送られて、少年院送致へとリーチをかけられているときの出来事がきっかけで生まれた。鉄格子が嵌められ、コンクリート壁にかこまれた独房で泣きべそをかきながら目に入ってきたのが、ー少年院の半年や1年くらい笑いながら行ったる!ーという壁に刻み込まれた落書きだった。

 当時の私には衝撃的であった。自分はたかだか1カ月の鑑別所暮らしで参ってしまっているというのに、この落書きの猛者は、さらに厳しい領域である少年院に、ー笑いながら行ってやる!ーと、おそらくズボンのファスナーの引き手を使って刻みつけたのだ。

 それは私の脳裏にも刻みこまれ、小説『忘れな草』(2020年)でも、「笑いながら死んだらっ!」というセリフに使うことになった。私には、それは生命力に満ちた、生きた言葉だったのだ。

 その言葉に出会ってから30年以上が過ぎた。お陰様で、いつの間にか10を超えるドラマや映画といった映像作品の原作や監修などに携わらせてもらっている。中にはバラシになった作品もあれば、途中で制作中止になったことや、費用もロケ地もキャスティングもスタッフも、すべて私が担当し完結しなかった作品もある。

 ハリウッドドラマの監修も2作品あった。撮影中も日々、脚本がアップデートされ続け、ブルー原稿やイエロー原稿、名前が強そうなゴールド原稿などが送られてきて、それをすべてチェックするのである。

 それはそれは大変な作業だが、相手のどんな要望に対しても、作品に携わる人々が納得できるような、それでいて自分しか浮かばぬようなアイデアを出し、筆を入れるのが監修の仕事と考えているので、「それはできません!」みたいな頭でっかちなことは間違っても言わない。そんなことを言うのは無能でしかない。
 
 作品を作る人々が生き物ならば、物語も生き物でなければならない。固定観念にとらわれて、敷かれたレールの上をただ走るようなことの何が面白いのだ。作品の持つテーマからは脱線することなく、柔軟に対応してみせ、スピーディーに創意工夫することに、監修なり、作品協力なりの役割があるのではないか。すまぬが私が異次元なのだ。共感できぬ私の自慢話は、聞き流してやってほしい。

 さて、前置きが長くなったのには理由がある。

「週刊文春」が、大河『どうする家康』 の撮影現場で、松本潤が自分がよりよく見えるように台本を“改悪”していると報じたのだ。

 なにが脚本改悪だ。NHKのスタッフは「我々はジャニーズの下請けか」との悲鳴を上げているそうだが、長年かけて民放以上の蜜月関係をジャニーズと築き、ジャニーズ頼みの状況を作ってきたのは自分たちではないか。松本くんを大河の主演に起用したのも自分たちなのに、ここに来て、掌返しでジャニーズ問題を深刻化、長期化させている当事者のNHKが、さらに脚本が改悪されていると告発しているわけだ。

 どの立場の人間がどの目線で言っているのか。そもそも報じる側は、こんないちゃもんを取り上げることに疑問すら抱かないのか。

 作品の評価を決めるのは、視聴者の心である。視聴者の絶対的多数から「家康がかっこよすぎる!」という違和感を訴える声が上がっているのか。違うだろう。前述のように、作品をよりよくさせるために、現場でアップデートしていくのは珍しいことではない。挑戦的な表現を目指せば目指すほど、そこに衝突や不満が生まれるだろうが、それだって必要なことである。

12
ページ上部へ戻る

配給映画