旧ジャニーズ事務所に潰されたと噂された「3人の男性アイドル」たち
#本多圭 #ジャニーズ事務所
創業者・故ジャニー喜多川氏による元所属タレントへの性加害で信用を失墜したジャニーズ事務所。
10月17日からは、社名を「スマイルアップ」に変更して新たなスタートを切ったというが、同社の“罪”は、被害総数500人以上とも言われる性加害だけではない。これまで、ジャニーズと競合する音楽グループやタレントの将来を潰してきた事務所によるメディアコントロールもだ。
「先日の記者会見での“NGリスト”が流出して騒動になっていますが、今回の性加害スキャンダルが明らかになるまで、ジャニーズ事務所は、自社のアイドルグループを優位に立たせるために、事務所の力を使って、ライバルになりそうな他事務所のグループをテレビ局を筆頭にあらゆる媒体から締め出してきました。今回の“NGリスト”について、事務所は関与を否定していますが、そうした“前科”があるから疑惑の目を向けられ続けるのでしょうし、なにより今まで彼らの夢を奪ってきた事実は決して消せません」(中堅プロマネジャー)
先日、自社のジャニーズ事務所に対する社内調査の結果を発表した日本テレビは、「20年以上前から、(ジャニーズ事務所を)怒らせるとキャスティングや取材ができなくなるのではという認識や雰囲気があった」「(『24時間テレビ』で)チャリティーパーソナリティーを別の事務所の女性グループにした際はジャニーズ事務所から出演がなかった」などとしてジャニーズへの忖度があったことを認めたが、他局でも、例えばテレビ朝日が、自社の看板番組『ミュージックステーション』にジャニーズと競合するグループを出演させてこなかったことはよく知られている。
「競合する人気男性グループがジャニーズに潰されてきたことは有名ですが、個人で活動する男性タレントも、同様に水面下で潰されてきました。なかでも名前が知られているのが、沖田浩之、堤大二郎、それに竹本孝之でしょう。3人ともデビュー時は華々しかったものの、いつの間にかテレビ界から消えていました」(芸能ライター)
1999年、36歳という若さで非業の死を遂げた沖田さんは、80年代に若者の間で大ブームとなった原宿の歩行者天国で「竹の子族」として踊っているところをスカウトされ、大手芸能プロ「スターダストプロモ—ション」に所属。芸能界デビューを果たした。
「デビュー曲『e気持ち』は40万枚の大ヒットを記録したうえ、TBS系人気ドラマシリーズ『3年B組金八先生』では、ツッパリ生徒役を演じてたちまち人気を博し、大スターへの道は約束されたようなものでした。ところが、デビュー曲がそれだけヒットしたにもかかわらず、『ザ・ベストテン』(TBS)以外の音楽番組には出演できず、当時、“ジャニーズによる圧力”というのがもっぱらの噂でした」(番組制作会社スタッフ)
沖田さんはその後、俳優業に専念したものの、90年代に入ってからは仕事が激減。99年3月、36歳の若さで自らこの世を去ったが、自殺の理由は未だに不明だ。
「最近、ほとんどテレビで見なくなった俳優の堤大二郎も、ジャニーズ事務所に干されたタレントの一人です」と話すのは、元ドラマ関係者だ。
「1980年、主演ドラマ『ぼくら野球探偵団』(テレビ東京)でデビューした堤は、その甘いマスクがジャニーズの脅威になると言われていましたが、結局その後、フェードアウトしました」(前同)
当時、堤の所属事務所の代表だったW氏は、複数のマスコミ関係者に「仕事が決まりかけると、ジャニーズ事務所の横やりで立ち消えになる。メリー喜多川の“堤潰し”は露骨でした」と訴えていた。
「大手プロ『サンミュージックプロダクション』から歌手デビューした竹本孝之も、ジャニーズ事務所の圧力で業界から消えたと言われています」(前出の芸能ライター)
「ミスターCBSソニーオーディション’81」でグランプリを受賞した竹本は、81年7月、「てれてZin Zin」で歌手デビュー。同期には前出の沖田や堤のほか、近藤真彦、伊藤つかさらがいて、“アイドル黄金時代”と言われた。
「メリー喜多川さんが、“母親代わり”などと言って近藤真彦を溺愛していたのは業界ではよく知られた話。その近藤と競合する沖田、堤、竹本の3人が芸能界から消えたのは、偶然ではないでしょう」(前出の制作会社スタッフ)
今もなおマスコミへの圧力やメディア側の忖度が取りざたされているジャニーズ事務所。新経営陣による解体的出直しで、そうした負の歴史を抱えた体質からどこまで脱却できるのか。多くの人々が注目している。
(文=本多 圭)
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