ジャニーズの崩壊を嘲笑するかのようなジャーナリズムという傲慢
#記者会見 #沖田臥竜 #ジャニーズ事務所
サイゾー激推しのドラマ『インフォーマ』(Netflixで全世界配信中)の原作監修者である作家の沖田臥竜氏は、10月2日に行われたジャニーズ事務所の会見を見て、面識のある記者の言動に強い違和感を感じたという。その背景にあるのは、誰が正しいとか悪いとかという次元の話ではない。人として、何を信じ、何を大事にするかという生き方の問題なのだろう。それはときに、真実を追及する姿勢こそが是とされる、ジャーナリズムの傲慢と対峙することもあるのだ――。
ジャーナリズムを盾に秩序を乱す記者たち
望月衣塑子記者が、「週刊文春」の報道がもとになってバッシングされたときに、助けてあげようなんて思うのではなかった。大手週刊誌の編集者との朝食ミーティングに、彼女が「私も参戦(参加)していいですか⁈」と言ってきたときには、Twitter(現・X)のリプライ欄を封鎖させるほど、SNSで誹謗中傷され、精神的に参っていたことも思い出す。私もこのときは彼女に同情し、自分なりに力になってあげた。望月記者は、そうした叩かれる側の痛みを知る立場であるはずなのに、何を学んだのだろうか。
ことの是非ではない。神様でもない人間が振りかざした正義感なんてものもどうでもよい。大勢によってたかって、秩序が乱れた中で攻撃されたとき、その当事者がどういう気持ちになるのかと考えれなかったのだろうか。
10月2日に行われた記者会見の冒頭に「指名された記者が質問する」「質問は一社ひとつ」などと言われていたにもかかわらず、そのルールすら守らずに自分勝手な振る舞いをする望月記者の声をネット中継越しに聞き、嫌悪感を抱かずにはいられなかったのだ。
メディアが著名人を直撃取材する際、よく使われる言葉ある。
―私たちも人間なんで、話を直接聞かせてもらえれば、多少なりとも報道の仕方は変わりますよ―
それを真に受けバカ正直に出て行けば、いいように晒されることは必至なのだが、仮に取材対応しなかったケースと比べることができない限り、どちらが正解かなんてことは誰にもわからない。
その観点からいえば、2度の会見を開き、記者からの質問を直接浴びまくったジャニーズサイドは、決して逃げることはしなかった。メディアが望む対応をしたのだ。
会見後、「あれならば、やらなかったほうがよかった」という人たちがいたが、やらなければやらないで、「会見くらい逃げずに開け!」と鬼のクビをとったかのように憤ってみせたはずだ。こう書くと、「キィっ! ジャニーズを擁護するのか!?」と言われるかもしれないが、当たり前ではないか。ジャニーズという存在には、それなりの思い入れがあるのだから。
私が小学生のとき、一世を風靡していたのは少年隊であり、光GENJIだった。少年隊を真似て、体育館でバク転の練習をみんなでやってみたり、光GENJIの影響でローラースケートが流行したため、私も靴型ローラースケートを母にねだったりしたものである。ジャニーズの特別なファンとかではなくても、それらは私の幼き頃の大事な思い出なのだ。
中学校になる頃には、普及しはじめたカラオケボックスで、男闘呼組の「TIME ZONE」を熱唱した。まだ、一曲歌うごとに100円を投入していた時代の話だ。成人してからは、バラエティ番組『学校へ行こう!』だって観てきた。
そして、時が流れて、昨年、まさか私が原作監修を務めたドラマ『インフォーマ』で、男闘呼組の高橋和也さんやV6の森田剛さんと一緒に仕事することになるとは、当時の私は想像することもできなかった。私が生み出した言葉たちを、元ジャニーズだった高橋さんや森田さんが口にして、お芝居してくれるのだ。純粋に自分自身が誇らしかった。
社会の底辺を歩んできた私が、そうなれるまでには死ぬほどの努力をしてきたという自負がある。そして、どれだけ努力をしても不安が尽きない中、今も書き続けている。
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