M-1王者・銀シャリ橋本も語っていた「お笑い芸人を目指すことの恥ずかしさ」
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「お前、この先何かやりたいことあるの?」
高校を卒業するタイミングや大学3年生という時期に、この未来をどうするのか? という質問がまあまあ飛び交う。本当にやりたいことがある人ならば、すぐに答えられるだろうし、何も決まってない人は「ん~まだなんも決まってない」という答えがすぐ出るだろう。
つまりこの質問はある程度答えるのが簡単な質問ということだ。しかしこんな簡単な質問に答えられない場合がある。それは自分が目指すもの、なりたいものが、他人からすると少し特殊な職業で、理解されないんじゃないかと思う場合だ。この特殊な職業の最たるものは「芸能人」。誰もが一度は憧れ、そしてどこかのタイミングで諦めるのではないだろうか。
ある程度大人になってもまったく諦めず、芸能人になれると信じてやまない変わり者たちが、今活躍している芸能人だといっても過言ではない。もちろん俳優さんや、アイドル、モデルさんなどはスカウトというシステムで芸能人になり、自分がなりたかったわけではないという人もいるが、こと芸人に関しては間違いなく自分がなりたいと思わなかったらならない職業である。
この「芸人」という職業は、他人に言いづらい職業トップ10に入るだろう。もちろん子供の頃なら「将来何になりたいの?」という質問に「芸人!」とか「お笑い!」と元気満々に答えることも出来るのだろうが、これが「お前、この先何かやりたいことあるの?」という少し大人びた質問になった途端「芸人!」とか「お笑い!」なんて元気に答えられる代物ではなくなってしまうのだ。
仮に元気よく「芸人!」と言ったとしても、ボケの回答と思われてしまう可能性が高く、真剣に「お笑い」と言ったとしても、心配されるのがオチだ。なのでどのみち信じてもらえないような夢ならば、叶えられるまで言わないという結論になるのだ。
お笑い芸人になるというのは人にいうのも恥ずかしいが、目指すものとして決心するのも勇気がいる。何故なら面白ければ必ず売れるというものではなく、収入も安定しないし、やり続けたからと言って何の保証もないからだ。なので芸人になりたいと思って養成所などに入ったとしても、先輩たちの生活の不安定さや、収入の少なさを目の当たりにして、芸人を本職にする前にやめる人が多いのだ。
2016年M-1グランプリ王者、銀シャリの「橋本直」さんも、新潮社から出版されている文芸誌「波」で書いている連載で、芸人を目指す恥ずかしさを綴っていた。
橋本さんは子供の頃、三度の飯よりテレビが好きで、息を吸うようにテレビを見ていたらしい。テレビの中には歌手や俳優、スポーツ選手からアニメまで様々な出演者がいるが、その中でもお笑い芸人が一番カッコ良く見えたそうだ。その理由はテレビの中にいる人たちの中で、お笑い芸人は勢いもパワーも凄く、一番ふざけてバカをやっているのに、アイドルや歌手、俳優さんたちを掌の上で転がしている姿に痺れたからだ。これが本当にその当時に思っていたのなら、とんでもなく分析がしっかりしている子供だ。しかしこれだけ芸人の姿に憧れてはいたものの、本人が芸人になりたいなど一ミリも思っていなかったと。しかしひょんなことから「芸人になりたい」という思いが湧きだした。
橋本さんは中学から大学までエスカレーター式の学校に通っていたのだが、高校3年生の時に英語判定テストで2回連続赤点をとってしまい、3回赤点をとってしまうと大学進学の道が閉ざされるという窮地に立たされてしまったのだ。その時に「万が一ダメだったらお笑い芸人になる?」という逃げ道を思いついてしまったのだ。
しかし3回目のテストには見事合格し、橋本さんは大学へ進学するのだ。このままお笑いとは無縁の生活を送るのかと思いきや、大学3年生で再びあの「お笑い芸人になる?」という感情が湧き出てくるのだ。そのきっかけはエントリーシートだった。自分を客観視したときに、自己PR出来るものが何もない。人見知りで保守的で失敗を恐れる橋本さんは何一つ自らチャレンジしてこなかったのだ。そのせいで何も手にすることが出来なかった。
そのときにふとあの「お笑い芸人になる?」が蘇ってきたのだ。しかしこれもある意味何もない自分という現実から目を背ける為の逃げ道だった。この段階でも橋本さんは「お笑い芸人になりたい」は「俺は面白い人間だ」という自身の表れだと考え、恥ずかしさのあまり芸人を目指していることを誰にも言えなかったそうだ。
しかし養成所にひとりでいくという勇気も出ず、結局お笑いが好きそうな友達3人に声をかけた。しかし見事玉砕。3人に断られた橋本さんはここでやっと腹を括る。もしここで芸人を選ばなければ、いつか会社で嫌なことがあったとき、あの時芸人になっていれば……という妄想を抱くのは間違いなく、そこでもまた「芸人」という逃げ道を使うのが目に見えていたので、そんな逃げ道を塞ぐべく、そしてお笑い芸人をきちんと諦める為に、お笑いの道に進むことを決めたのだ。
ここでその道を選んだお陰で、唯一無二の「銀シャリ・橋本直」という芸人が誕生したのだ。どんな動機だろうと、橋本さんは芸人になる運命だったのだ。
ちなみに僕は橋本さんとは違い、子供の頃から芸人を目指していた。きっかけは「ザ・ドリフターズ」がやっていた「8時だヨ!全員集合」(TBS系)だ。志村けんさんにはもちろん憧れたが、小学3年生の僕は面白い人たちに囲まれ翻弄される「いかりや長介」さんになりたいと思ったのだ。そしてブレることなく何があろうとお笑い芸人になるという思いを持ち続け、中学では「将来の夢」という作文を読み上げる際「芸人になる」と宣言し、周りから嘲笑われ、高校では3者面談で担任に「どう指導していいかわからない」と苦笑いされ、そして日本映画学校という専門学校では、講師に「この中でお笑い芸人を目指して入ってきたやついるか?」との問いに、僕だけが挙手し、周りの役者志望たちから「マジか?」という目で見られた。
しかし僕はお笑い芸人になる道をひたすら突き進んだのだ。専門学校在学中に芸人時代に所属していた「マセキ芸能社」にスカウトされ、見事芸人になれたのだ。そしていろいろなお仕事をさせていただいたが、結果として現在の僕は芸人ではない。つまり芸人に選ばれなかった人間なのだ。
正直悔しい部分はあるが、今芸人を続けている人たちを見ると、明らかにレベルが違う。僕が芸人を辞めるのは必然だったのだろう。もちろん今でも芸人を続けていればとかもう一度やりたいという気持ちはあるが、第一線で活躍できるとは思えないのが本音。だから大好きな芸人を諦めるのだ。まさに橋本さんがやろうとしていた「お笑いを諦める為にお笑いの道へ進んだ」状態。なんて皮肉な現実なのだ。
とまあネガティブな感情はこのくらいにして、どんな仕事も恥ずかしいなんてことはない。本気でなりたいと思い、ちゃんと努力してその道を目指せば、誰になんと言われようと関係ないのだ。言いたい奴には言わせておけばいい。人の悪口を口に出す奴より、自分の夢を口に出せるやつの方が何倍も素敵だ。そして一番大切なのは続けること。辞めた僕がいうのだから間違いない。どんな仕事でも継続することが一番難しく、そして継続することが一番成長に繋がるのだ。だから諦めず夢を一生追いかけて欲しい。もちろん無理はせず。
そういえばお笑い芸人に本気でなりたいと言ったときに、母親から言われた言葉を思い出した。
「あんたみたいな暗い人間がなれるわけないだろ」
なかなかハードボイルドな母ちゃんだ。
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