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『笑いの正体』に見たモノマネの神髄と、あるコンビの人生を変えた3秒間

笑いの正体 #4 – NHKプラス

 25日、『笑いの正体』(NHK総合)の第4回として「モノマネ進化論」が放送された。『笑いの正体』は、新旧の芸人たちへのインタビューを中心に、「笑い」について紐解いていくドキュメンタリー番組。昨年3月の第1回では「漫才」をテーマに放送され、その後7月に「女芸人」、12月には「ツッコミ芸人」を取り上げて話題を呼んだ。

 今回の「モノマネ進化論」では、モノマネで知られる8人の芸人が登場。それぞれがモノマネに対するこだわりや、モノマネの定義、各々のエピソードなどを披露し、「人はなぜ、モノマネで笑うのか」という結論に迫った。

 冒頭、スタジオゲストのアンガールズ・田中卓志がモノマネについて振られ、「俺はカニしかないんですよ、今日言ったら恥ずかしいことなんですけど」と照れながら、得意の「カニ」を披露。「今までみんな(カニのはさみを)上に向けてやってんですけど、初めて俺は下に向けたんです」と明かすと、同じくゲストのヒコロヒーが「あ、発明やん」とひとこと。スタジオでは流されてしまったが、この「発明」という言葉こそが、モノマネというジャンルを進化させてきたキーワードだ。

 最初のインタビュー対象はコロッケ。1990年代に『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)の「ものまね四天王」で日本中に空前のブームを巻き起こした“レジェンド”だ。

 コロッケはモノマネの強みとして「漫才、コント、落語と比べると、見てなきゃいけないっていうのがないんです。1秒で『森進一です』ってやれば喜んでいただける」と語り、「視聴率が33%のときに『低くない?』って言ってましたからね、バケモンですよね」と、当時のブームの凄まじさを振り返った。

 そんなコロッケに多大な影響を受けたというのが、前田敦子のモノマネでデビュー即ブレークを果たしたキンタロー。だ。子どものころ、コロッケが行っていた島倉千代子のモノマネで「なんて面白い人がいるんだ」と認識したというキンタロー。だが、実際の島倉千代子を目にしたときに「(モノマネの通りに)やんないじゃん!」と驚いたのだという。この極端なデフォルメこそが、コロッケの発明だった。スタジオでも「コロッケのモノマネで有名人の名前を知った」という話題で盛り上がった。

 歌マネ全盛だった「四天王」ブームの後、しゃべりのモノマネ芸人が台頭することになる。ビートたけしのモノマネで当時、お茶の間を震撼(しんかん)させた松村邦洋、明石家さんまを完コピし、コージー冨田が演じるタモリとともに日本中を営業で駆け回り、各地のショッピングモールを笑いの渦に巻き込んだ原口あきまさ。そして近年、ダウンタウン・松本人志のモノマネで一気にブレークしたJP。しゃべりモノマネのポイントを、原口は「間」、JPは「動き」とした。

 その後、番組にはモノマネ専業ではなく、モノマネも得意とするお笑い芸人の博多華丸、霜降り明星・せいや、ロバート・秋山竜次が登場。それぞれのこだわりを明かしている。

 * * *

 たったひとつのモノマネが、芸人の人生を大きく変えることもある。

 90年代後半から00年代の東京のお笑いライブシーンで、神格化されていたコンビがいた。20歳そこそこでデビューすると、翌年には単独ライブを開催。そのスタイリッシュでスマートなコントは、誰も見たことがないものであり、またデビュー直後にもかかわらず確固たる完成度を誇っていた。

 コンビの評判は瞬く間にお笑いファンの耳に届き、毎年行われる単独ライブは急速に客足を伸ばしていった。とことんオシャレに作られたライブのフライヤーや音楽の使い方は、後の東京のお笑いライブに多大な影響を与えた。

 カリスマ、本格派、都会的、さまざまな賛辞がコンビに寄せられ、業界でも「このコンビを推していること」がステータスになっていき、客席にはズラリと有名人の顔が並んだ。

 だが、誰もが口をそろえた。

「面白いけど、テレビ的じゃない」「テレビで売れる想像ができない」

 10分、15分の長尺コントを得意とするコンビに、そのままネタを披露できる番組などひとつもなかった。テレビのネタ尺は時を追うごとに短くなっていき、07年に『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)が始まると、テレビの中は1分のショートネタであふれた。08年に始まった『キングオブコント』(TBS系)で敗退が決まると、その命運は完全に途切れたように見えた。

 やはり、テレビでは無理なのか。舞台で生きていくのも、いいのではないか。

 そんなコンビを、突然のブレークに導いたのが、モノマネだった。

「あどで~、ぼくで~」

 そのコンビの名は、バナナマンという。日村勇紀の「子どものころの貴乃花」が爆発的に受けた。カリスマ的でもない、本格的でもない、都会的でもない、そしておそらくは、彼らが積み重ねてきた実績も、磨き上げてきたセンスも、ほとんど関係がない。単なる思い付きのような3秒程度のモノマネがカタパルトとなって、バナナマンをテレビの世界に放り込んだ。

 * * *

 モノマネは1秒で喜んでいただける。そのコロッケの言葉を裏付けるように、バナナマンはモノマネをきっかけに売れっ子の仲間入りを果たし、今やその天下を不動のものにしつつある。

(文=新越谷ノリヲ)

新越谷ノリヲ(ライター)

東武伊勢崎線新越谷駅周辺をこよなく愛する中年ライター。お笑い、ドラマ、ボクシングなど。現在は23区内在住。

n.shinkoshigaya@gmail.com

最終更新:2023/09/26 16:00
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