「人種差別」を訴えたコメディアン、実は捏造や性格が問題だった
#スタンダップコメディ #Saku Yanagawa
今アメリカで、人気スタンダップコメディアンのハサン・ミンハジが炎上し、物議を呼んでいる。
9月15日『ニューヨーカー』誌が、ミンハジが過去にステージ上で披露したネタが、誇張や捏造を含んでいたと批判的に報じたのだ。
これまでも、コメディアンたちがそのジョークの内容で炎上し「キャンセル」されてきた事例はあれど、このようにいわゆる話を「盛った」とか「作った」という理由で批判にさらされた事例はきわめて珍しい。
カリフォルニア州出身でインド系ムスリムのミンハジは、ムスリムという立場からアメリカ社会に積極的に切り込む芸風で知られている。政治風刺コメディ番組『ザ・デイリー・ショー』のレポーター役で人気を博したのち、2019年からはネットフリックス制作の政治トークショー『愛国者として物申す』でホストを務めあげ、エミー賞も獲得。毎年コメディアンが政権風刺を行う大統領晩餐会のゲストにも選ばれ、まさに「物申す」コメディアンとして社会派の地位を確かなものにしてきた。
スタンダップコメディの公演も精力的に継続し、スペシャル作品もリリースするほか、近年では俳優としても映画に出演するなど、まさにアメリカを代表するコメディアンへと成長した。
では改めて、そんな国民的コメディアンに対する、先述の『ニューヨーカー』の批判を具体的に見ていきたい。
ミンハジには「高校生のとき、ムスリムでインド系という理由で当時交際していた白人の女性にプロム(卒業ダンスパーティーの誘い)を断られ、以来、白人女性と付き合うのが怖くなった」という持ちネタがある。しかし『ニューヨーカー』の記者がその女性を探し出し、インタビューしたところ、プロムの誘いを断った要因は人種でも宗教でもなく、彼の人格のせいだったと答えたのだ。
現に彼女は現在インド系の男性と結婚している、と語る。しかも、公演の際、ミンハジがツーショット写真をモザイクなどの加工を施さずに使用したことにより、彼女の身元が特定され、「人種差別主義者だ」と自宅に複数の脅迫状が送られたという。
他にも同誌は、昨年ネットフリックスから発表されたスペシャル『帰ってきた道化師』の中で披露されたジョークに言及する。ミンハジが2018年にサウジアラビアのジャーナリスト、ジャマル・カショギが暗殺されたことを話題にしたところ、自宅に脅迫の意味で炭疽菌が送られてきた、というエピソードが語られるが、その話自体が捏造だった、というのだ。
本件についてはミンハジ自身も、それが作り話であったことを認めている。過去のインタビューでも自身のネタの多くは「Emotional Truth(感情的事実)」に基づいて作られている、と答えている。
そもそも前提として、多くのアメリカ人が、ステージ上で話されるコメディアンの話が、ある程度「盛られ」「作られ」ていることを理解していることは強調すべきであろう。「Joke」という言葉自体が(日本語の「ネタ」と同様に)フィクションを含んだ話という意味で用いられており、当然のことながら観客も、ジョークの多くが創作されたエピソードであるという認識を保持している。
それでも、今回ミンハジのジョークが炎上を招いた点は示唆に富む。これまで一貫してムスリムの視点から、アメリカ社会における生きづらさや、人々の偏見を笑いに変えてきたミンハジ。自身の不遇な体験談が、人々に考えるきっかけを与えてきただけに、それらのエピソードそのものが作り話だったことで、今後そのリアリティに疑問を感じざるを得ないという意見が目立つ。
そして今回、ミンハジへの批判の中でしきりに「Race Card(レース・カード)」という語が用いられた。「レース・カード」とは自身の人種(とりわけマイノリティとしての)を、切り札のように、つまり武器として用いる姿勢を批判的に指す言葉で、彼が嘘のエピソードを話し、言い換えれば、自身の人種を「利用」しながら人々の耳目を集めることで現在の地位を築いたことへの批判が寄せられているというわけだ。
現在『ザ・デイリー・ショー』はトレバー・ノアの後任の次期ホストの最終選考段階を迎えている。そしてその最有力候補と噂されているミンハジ。このタイミングでのこうした報道は、彼の足元をすくおうとする何かネガティブな力が働いているのでは、という憶測も飛んでいる。
いずれにせよ、その「もっともらしさ」を武器に、鋭く社会にメスを入れることを芸風としてきたミンハジが、もっともらしいエピソードそのものを創作していたことが招いた物議。幸い、今の時点でツアーのキャンセルや、目立った降板の情報は入っていない。
このキャンセルカルチャー下において、おそらく、その発言がアウトかセーフかということに、明確なルールブックは存在しない。
際どいジョークを言うのも、話を盛るのも、作るのも、突き詰めると、結局のところ「誰が、どの文脈で、どのように話すか」にかかっているのかもしれない。
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