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城下尊之の「フラッと芸能解説」

香川照之に、数奇な運命を宿命付けたダブル不倫父からの遺志

香川照之が背負うダブル不倫父からの遺志の画像1
香川照之(写真/Getty Imagesより)

ベテラン芸能リポーターの城下尊之氏が、とかくあおり・あおられがちな芸能ニュースをフラットな目線で、おちついて解説!

――歌舞伎俳優で、香川照之の父・市川猿翁さんが9月13日、死去しました。

城下 猿翁さんといえば、三代目猿之助時代に「スーパー歌舞伎」という新しい舞台技術を用いた現代ふうの歌舞伎を生み出したことで知られています。役者を吊り上げて飛ぶ宙乗りをメジャーにしたのも猿翁さんです。猿翁さんが努力して澤瀉屋をここまで大きく育てました。

 というのも、猿翁さんは23歳で三代目猿之助を襲名した直後に、歌舞伎役者の祖父と父親を相次いで亡くしてしまったんです。父親はまだ50代と若かった。誰も守ってくれる人がいない世界で、一人で生き抜くしかなかった。そのため挑戦的になって行きました。

――苦労して一門を大きくしたんですね。

城下 そうです。その一方で、私生活でもいろいろと騒動がありました。香川さんの母親である女優の浜木綿子さんとは1965年に結婚しましたが、香川さんが生まれて1年ほどで別居、68年に離婚しました。

――スピード離婚の原因は……?

城下 ダブル不倫です。お相手は、日本舞踊の流派、藤間流の宗家、藤間勘十郎さんの妻である藤間紫さん。藤間さんは85年にようやく離婚。2000年になって猿翁さんと藤間さんは再婚しました。当時、猿翁さんは60歳。藤間さんは16歳年上の76歳ということで大きな話題となりました。

――年の差ダブル不倫からのシニア再婚、いろいろと驚きですね。

城下 藤間さんが猿翁さんのことを「ずっと一緒にいた同志のような存在」と表現していたことを懐かしく思い出します。しかも、藤間さんの下のお子さんの文彦さんは、猿翁さんの事務所の社長を務めています。

――息子が母親の不倫相手の事務所社長に! すごいですね。香川照之はどうなったんですか。

城下 香川さんは、母親の浜さんが引き取って育ててきたので、歌舞伎役者の息子でありながら、歌舞伎の世界とは長らく縁がありませんでした。香川さんが25歳のとき、「役者になりました」と猿翁さんに会いに行きましたが、猿翁さんは「私は家庭と決別した」と追い返したそうです。その後も親子は断絶していました。

――それはかわいそう。

城下 しかし、藤間さんが「息子なのだから」と間に入り関係が修復。香川さんが45歳で市川中車の襲名を発表した際は、ともに会見に出席しました。藤間さんが間を取り持ったからこそ、香川さんは澤瀉屋を名乗れることになったのです。

 40代で歌舞伎役者デビューというのは異例ということもあり、「市川中車」という名前はそれほど大きな名前ではないのですが、もともと猿翁さんが革新的な存在だったこともあり、「澤瀉屋さんは別だから」という受け取られ方でしたね。それで返って守られていたということもあります。

――波乱万丈の人生ですね。その上、今年になって猿翁の弟・市川段四郎が急死。その息子、四代目市川猿之助が自殺幇助の疑いで逮捕、起訴ですからね。いろいろありすぎ!

城下 そうですね。澤瀉屋が揺れるなか、猿翁さんの存在が支えとなっていたのですが、亡くなってしまった今は香川さんが猿之助さんをフォローしていくしかありません。いろいろあった親子関係ですが、香川さんが猿翁さんの遺志を受け継ぎ、自身の息子、團子さんが名前を継いでいけるように澤瀉屋を守っていくしかありませんね。

――その香川自身もいろいろあった身ですからね。なんとかがんばってほしいですね。

城下尊之(芸能リポーター)

立教大学在学時から、サンケイ新聞でアルバイトを行っていた経緯から、卒業後、サンケイスポーツへ入社。スポーツ紙文化部記者となった初日で見習い経験もないうちに、他に大きな事件があったため、「(故)林家三平さん、大病から復帰!」という大事な現場を任された。退社後は、TBS『奥様8時半です』のデスク担当として勤務し、その後、芸能リポーターに転身し、現在に至る。独自に身につけてきた取材能力、ブレーンの作り方等から、芸能界の裏話を交えた、楽しい味付けで話す。

【プロフィールページ】

しろしたたかゆき

最終更新:2023/09/24 06:00
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