『あちこちオードリー』わずか1分間のトークに凝縮された“23年間の重み”
#オードリー #あちこちオードリー #タイムマシーン3号
20日に放送された『あちこちオードリー』(テレビ東京系)にフリーアナウンサーの川田裕美、お笑いコンビ・タイムマシーン3号と東京ホテイソンが出演。MCのオードリーとさまざまなトークを繰り広げた。
お笑い芸人を中心に、多様なゲストが普段のテレビでは話さない深いトークを披露することで評判のこの番組。特に業界内視聴率が群を抜いて高いといわれる通り、この日も「私だけがグッときたニュース」というテーマには収まらない各々の秘蔵エピソードや悩みが明かされていた。
だが、今回注目したいのはタイムマシーン3号の紹介の際に交わされた、わずか1分程度のオードリーとの会話だ。この1分間に、同期である2組の関係性が凝縮されていたのだ。
「そう、調べてみたら2000年(デビュー)で、どうやら同期だったらしい」(タイムマシーン3号・山本浩司)
中高の同級生だったオードリーは、ともに大学生だった1999年に若林正恭が春日俊彰を誘ってコンビ結成。春日は大学を休学し、1年で結果が出なかったら復学するつもりだったというが、初ライブで大ウケしたことで芸人になる決意を固めたという。00年にケイダッシュステージのオーディションに合格し、プロデビューしている。
一方のタイムマシーン3号は東京アナウンス学院で出会い、こちらも00年にモーニング娘。などで知られるアップフロントグループのお笑い部門から芸人活動をスタートさせている。
「でもほら、(タイムマシーン3号は)ライブの頂点にいたから」(若林)
先に出世街道に乗ったのは、タイムマシーン3号のほうだった。結成3年で早くも『爆笑オンエアバトル』(NHK総合、以下『オンバト』)で初出場初オンエアを果たすと、以降、年間1位達成、満点獲得など、同番組の看板コンビとして華々しい活躍を見せた。
「悪意のある言い方だな」(山本)
だが、『オンバト』で連勝を続けるタイムマシーン3号の芸人界隈での評判は、決して芳しいものではなかった。当時のタイムマシーン3号は「客に媚びている」「舞台袖の芸人は誰も笑っていない」と揶揄されることも少なくなかったのだ。後に本人たちも「当時は客票を獲得するために長くお辞儀をしていた」「あえてお客さんのいる通路でネタ合わせをしていた」など、その巧妙な戦略を自虐的に明かしている。
「でも一番上のライブには出てたよね」(若林)
「オードリーの前のコンビ名のときは全然、地下のイメージが強くて、ちょっとルートが違った」(タイムマシーン3号・関太)
タイムマシーン3号が華々しく活躍する裏で、オードリーは「ナイスミドル」というコンビ名で地下ライブを転々としながらスベり続けていた。主戦場は中野twlなど、席数100にも満たない小劇場ばかり。当然、テレビ出演など叶うはずもなかった時代だ。
タイムマシーン3号が『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で初の決勝に進出したのが05年。すでに『オンバト』で有名になっていた彼らの決勝進出に、驚きの声はほとんどなかった。そのころ、オードリーはようやく現在のコンビ名に改名。春日の自宅アパートに数人のファンを集め、座布団を敷いてトークライブを開催するなど、まだもがき続けている。
「それがどっかでおかしなことになって、革命みたいのが起こって」(関)
関の言う「革命」が起こったのが、3年後の08年末の『M-1』だった。オードリーは敗者復活を勝ち抜き、勢いに乗って生放送の本戦でも1位通過。3組での決勝こそNON STYLEに敗れて準優勝となったものの、一躍、時の人となっていく。
このとき、大井競馬場での敗者復活から勝ち上がってテレビ朝日へ急ぐオードリーを見送った58組の漫才師の中に、タイムマシーン3号の2人の顔もあった。
「なんか、会わなかったよね、同期とはいえ」(若林)
『M-1』直後から、日本中にオードリーブームが巻き起こる。スケジュールは多忙を極め、2人は瞬く間にテレビスターへと昇り詰めた。08年末の『M-1』から1年を挟んだ10年には、テレビ出演本数で1位を獲得。実に507本もの番組に出演している。
一方、タイムマシーン3号は主戦場としていた『オンバト』が10年に終了。『M-1』もその後決勝に進めないまま、同年、いったん終止符が打たれる。翌11年に始まった『THE MANZAI』(フジテレビ系)の第1回大会では2回戦で敗退し、13年には所属事務所のお笑い部門撤退により、移籍を余儀なくされた。デブネタの封印、ボケ・ツッコミの交替など、漫才スタイルも迷走を重ねる。オードリーが『笑っていいとも!』(フジテレビ系)から『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)へと、テレビのド真ん中をレギュラーとして渡り歩いていたころの話だ。現場で、2組が顔を合わせるはずもない。
オードリーはあの『M-1』の翌日から今日まで、ずっと売れ続けている。
タイムマシーン3号はその後、太田プロダクションに移籍。15年に再開した『M-1』にラストイヤー組としてエントリーし、本来のスタイルに戻して、見事、決勝の舞台に舞い戻って見せた。そして、『あちこちオードリー』のプロデューサー・佐久間宣行氏がたびたび口にしている「タイミングはあれど、実力のある芸人は必ず売れる」という言葉を体現するようにテレビでの露出を増やし、YouTubeの登録者数も79.8万人を数えるなど、広い世代に愛されるコンビとなった。
デビューから23年、運命を分けた大井競馬場の敗者復活戦から14年。同じスタジオに座って対等に笑いあう2組のお笑いコンビの、長い歴史を垣間見た1分間だった。
(文=新越谷ノリヲ)
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