『バーナデット ママは行方不明』映画の主題よりも日本人として気になる事
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ハッピーエンド、だが……
ごくシンプルに言えば、「仕事を辞めた中年主婦が、有能でクリエイティブすぎるあまり退屈な環境に病み、ふたたび自分の才能を活かせる仕事に就く話」だ。
主婦バーナデットを演じるのは、『TAR/ター』に主演して世界中の映画祭で絶賛されたケイト・ブランシェット。『TAR/ター』では天才女性指揮者を演じたが、本作『バーナデット ママは行方不明』では、20年前に建築界からすっぱり足を洗った天才女性建築家を演じている。
抑圧された、あるいは自分を見失っていた中年女性が「人生を取り戻す」展開は、正しく時流に乗っている。躁鬱を行き来するケイト・ブランシェットの独演会的芝居はまったく見飽きないし、スマートでハイブロウで少し毒のあるコメディタッチの会話劇も――日本ではあまり受けない洋画のいちジャンルではあるが――小気味良い。結末は綺麗なハッピーエンド。バーナデットはある自己実現を果たし、家族との絆はいっそう深まる。
しかし、なぜだかスッキリしない。
バーナデットの悩みが、今の日本人にとっては少々「贅沢」すぎるのだ。
文化的芳醇と十分な世帯収入
バーナデットの一家3人が住んでいるのは、シアトルにある古びてはいるが雰囲気のある一軒家だ。天才建築家の物件チョイスと内装アレンジだけに、間取りもインテリアも一味違う。ヴィンテージ風の装飾、ヴィクトリア風の照明、モダンなインダストリアルデザインのキッチン。壁などが所々傷んではいるが、遊び心満載の家。言ってみれば、文化的にとても豊かな住まいである。
バーナデットの夫・エルジーは一流IT企業勤務の高給取り。とはいえ元々CGアニメーターなので、四角四面のビジネスマンではない。クリエイティブでリベラルなナイスガイだ。間もなく中学を卒業する娘のビーは聡明で勇気と正義感にあふれ、母親であるバーナデットのことを愛し、尊敬し、大切な親友のように接している。家族の間に多少の波風は立つものの、あくまで「多少」の範囲内。関係性はすこぶる良好だ。
一家が日々の生活に「あくせく」している様子はない。文化的・知的に価値があると思えることには躊躇なくコストをかけられるだけの世帯収入が、彼らにはあるからだ。卒業後のビーを寄宿学校へ行かせられるだけの金がある。ビーのリクエストで「一家で南極ツアーに行ける」だけの金と時間的余裕がある。あくまで参考だが、東京発の船で回る南極ツアーの料金は――旅程にもよるが――安くても1人あたり7、80万円、高ければ300万円近くかかる。
ビーの視点に立つならば、彼女は「親ガチャ」に大当たりした勝ち組だ。圧倒的才能・知性・財力を備えた両親。文化的センスを健やかに育む家庭環境。豊かな文化資本。言うことなし。
そもそも一家の住むシアトルという街の文化度が高い。Amazon、マイクロソフト、スターバックスといった世界的企業はシアトルもしくはその周辺に集まっているし、子供たちの教育水準も申し分ない。物語上、鼻につく住民もいるにはいるが、基本的に住民の民度も高め安定。日本の街で言えば……いや、やめておこう。
「贅沢な悩み」
映画前半では、バーナデットが深刻なアイデンティティ・クライシスに苦しんでいることが描かれる。偉大なる芸術的才能をもち、自分でもそれを自覚しながら、結婚・出産で建築界から離れて以来20年間もそれが発揮されない場所にいなければならなかった地獄は、察するに余りある。
しかし同時に、バーナデットやエルジーの生活ぶりを眺めていると別の感情も湧き上がってくる。「持てる者は持ち続け、豊かな者は豊かであり続ける」という絶望的な真実だ。映画で描かれるバーナデットやエルジー、あるいは周囲のママ友たちの暮らしからは、彼女たちがその生活から経済的あるいは文化的に“転落”する可能性がまったく想像できないし、本人たちもそんなことは露ほども考えていない(ように見える)。
彼らは2023年現在の日本の庶民のように、見切り品を探して自転車を漕いでスーパーをハシゴしたりしない。パック刺し身が高くて普段の食卓にはとても並べられないと嘆いたりしない。勤務先近くの昼食代が1000円を越えることに心を痛めたりはしない。ランドセルの値段に頭を悩ませたりはしない。子の塾代のために父親の小遣いが3万円から2万円に減らされたりはしない。家族4人が年に1度、1泊2日でディズニーランドへ行くために、1年間血の滲むような節約生活を強いられたりはしない。ファミレスでの家族外食を「たまの贅沢」と呼んだりはしない。
繰り返すが、バーナデットなりの地獄は痛いほど伝わってくる。しかしバーナデットや街の住人たちの日々の暮らしぶりは、あまりにも……我々とかけ離れている。こんな野暮なことを言うべきではないと頭では分かっていても、つい口にしてしまう。
「贅沢な悩みだね」
境遇に格差がありすぎる
その上質な生活環境が、バーナデットやエルジーの才能と努力によって獲得されたものであるのは間違いない。彼らはズルなどしていない。才能、あるいは「努力できる才能」というものが生まれついての幸運なのだとしても、彼らが責められる筋合いはない。
エルジーは会社方針に納得がいかないからと、高給をなげうって会社を辞める。誇り高い。実にクールだ。人間こうありたいものである。しかしそれができるのは、現在の生活が経済的に困っていないからだ。何より、自分ほどの能力があれば職などいくらでも見つかると、エルジーが確信しているからだ。
能力のある者が自分に能力があることを確信している。それはバーナデットも同じ。自信を失ったり卑屈になったりなどしない。問題は単に、その高い能力をうまく活かせていないということ、ただそれだけ。
彼女はラストで、常人には絶対に縁がないであろう特殊な仕事を手掛けることで、自らの価値を再確認する。しかし、能力者が能力者にしかできない解決方法で困難を克服するさまを見せられても、そこにはなんの再現性もない。虚構たる物語に再現性など必要ないと言われるかもしれないが、観客が主人公の気持ちに寄り添うタイプの物語である以上、再現性は共感の原動力となりうる。
我々の多くはバーナデットほど経済的に何の心配もない生活を送れてはいないし、バーナデットほど才能や能力に恵まれてもいない(芸術的にも、文化的にも、知的にも)。バーナデットの内面の問題だけを抽出して我がごととして捉えることはできても、境遇があまりに違いすぎるために、どこかで何かが冷めてしまう。
食うや食わずの生活に負われる年収200万円のシングルマザーは、共働き・世帯収入4000万円の妻がキャリアアップに悩んでいることを「理解」はできても、気持ちに寄り添うには限界があるだろう。市井の日本人からすれば、バーナデットのアイデンティティ問題は――彼女にとっては心外だろうが――住む世界が違う人の「贅沢な悩み」に、どうしても見えてしまう。
30年前の発展途上国
本作は当然ながら、金持ちセレブの生活を露悪的に描くことを目的とした作品ではない(そもそも彼女は作品内で金持ち扱いされていない)。彼女の生活は平均的水準ではないかもしれないが、少なくとも制作陣は、観客がバーナデットに抱く共感を邪魔するような設定にしたつもりはなかったはずだ。
にもかかわらず市井の日本人が「贅沢な悩み」と感じてしまうのは、ひとえに日本が――他国と比べて相対的に――貧しくなったからではないか。
我々日本人は、30年前には特に苦もなく達成していた生活レベルを今では簡単に達成することができない。この30年で平均年収と退職金と普通預金金利は下がり、物価と税金と社会保険料は上がった。現代日本の経済停滞、「失われた30年」だ。「一家に2人」がデフォルトだった子供は、今や「贅沢品」扱いになった。
こんなことを想像してみる。30年前、日本で放送されたトレンディドラマを当時の発展途上国の人たちに見せていたら、一体どんな反応が返ってきただろうか。
おそらく、こんな感じではないか。
「仕事に困らず、清潔な住まいと寝床があり、1日3食問題なく食べられて、何不自由ない生活をしているのに、恋愛と友情の板挟みで心が苦しい? とても…贅沢な悩みですね」
現在、日本を訪れる海外からの観光客が増えている。理由は「日本は何をするにも、何を食べるにも安いから」だ。筆者はちょうど30年ほど前、バックパックで発展途上国を長期貧乏旅行していた大学の同級生から、まったく同じ言葉を聞いたことがある。「あっちのほうの国って、何をするにも、何を食べるにも安いんだよね」
今や日本は、海外からの観光客にとって「あっちのほうの国」なのだ。バーナデットの悩みが贅沢すぎると感じて当然である。
高度な自己実現に悩む余裕すらないのが、今の日本だ。多くの日本人はそんなことより、パック刺し身を思う存分食べられる生活をしたい。筆者もだ。
『バーナデット ママは行方不明』
監督・脚本:リチャード・リンクレイター
脚本:ホリー・ジェント、ヴィンス・パルモ
出演:ケイト・ブランシェット、ビリー・クラダップ、エマ・ネルソン、クリステン・ウィグ
配給:ロングライド
提供:バップ、ロングライド
2023年9月22日公開
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