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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 大﨑洋元会長「吉本を辞めてすっきり」

大﨑洋「吉本興業を辞めてすっきり」、万博への新たなる挑戦の中身とは?

吉本興業一筋46年。吉本興業を巨大エンタメ企業に育て上げた立役者だった大﨑洋は、今年4月、突如同社代表取締役会長の退任。翌月には、大阪・関西万博催事検討会議共同座長に就任した。
70歳を迎える直前で下した決断。開催に対して様々な不安が囁かれる万博への新たな挑戦。稀代の実業家であり、プロデューサーでもある男は、今、何を考え、これから何をしようとしているのか。
「日当たりもよくて、とても居心地がいい」と大﨑自身が満足気に語る、新たなオフィスを訪ねた。

素晴らしいタイミングで辞めたんかなと思いますね

――今年5月、吉本興業の会長を退任して大阪・関西万博催事検討会議の共同座長に就任されました。これは座長になるために辞められたととらえていいのでしょうか。

大﨑 打診をいただく前から「もうすぐ70歳やし、いつまで吉本におろうかな」と思ってたんです。2009年に会社を非上場にするときに切った張ったやって、そこまでしたんやから死ぬまでおってもバチは当たれへんやろと思ってはいたんですよ。辞めたら稼ぎもなくなるし経費も使われへんしなぁ、とかそういうセコい勘定もあって(笑)。でも、いうてもサラリーマンやからどこかで線を引かなあかんという気持ちもあった。
 それでふっと我に返ったとき、自分が選んだ岡本社長(岡本昭彦現社長)にバトンタッチできて、そんな幸せなことないなと思いました。僕がいつまでもおって「大﨑が院政をしてる」とか言われ続けるのは、岡本社長もやりにくいだろうし、後輩から見てもかっこええとは思わへんやろうし。それならさっさと辞めたほうがええな、よし、辞めよう! と決めました。

――辞めてみてどうですか?

大﨑 これがねぇ、めちゃくちゃすっきりしました。辞めて良かったです。学校出て、たまたま吉本入って漫才師のマネージャーして、そこから46年。やっと組織の一員じゃなくなったわけやないですか。経費が使われへんとか年収が減るとか、ようあんなしょうもないこと考えとったなと思うくらい晴れ晴れした気持ちになりましたね。

――芸人さんや会社のことは気にならない?

大﨑 (ダウンタウンの)松本や浜田のことは気になりますけど、なんやあったら言うてくるやろうから、そういう意味ではなんもないですね。清々しさのほうが勝ってます。吉本おるときは毎日毎日事件や事故やまた週刊誌に記事が載ったとか、そんなんばっかしやったでしょう。今、Yahoo!ニュースになんや吉本の記事が出てても飛ばしますもん(笑)。

――物足りなさや寂しさはないんですか?

大﨑 辞める前や辞めて2週間くらいはちょっとありましたね。どなたが亡くなったとかどこの雑誌の編集長が代わりはったとか、そういう情報が全然入ってこなくなるんですよ。だから誰か知ってる人が亡くなられても弔電ひとつ打たれへんなぁ、と。最初はそういうのがだるいなぁと思ってましたけど、もう今は毎日朝起きて清々しい。素晴らしいタイミングで辞めたんかなと思いますね。

――一方で、大阪・関西万博催事検討会議の共同座長という大仕事を抱えて清々しさばかりではいられないと思います。これはどんな役割を担う組織なんでしょうか?

大﨑 万博の催事は、開会式とかの「公式行事」と、万博協会が主催する「主催者催事」、それから自治体や企業、一般の団体などが主催して実施する「参加催事」の3つに分かれます。なんの催事をやるか決める決定権は万博協会(公益社団法人2025年日本国際博覧会協会)にあって、催事検討会議はそのためにレギュレーションをつくって催事の中身を精査して「これは万博に向いている/向いてない」を判断していく役割という理解です。
 華道の家元の池坊専好さんと僕が共同座長で、委員がコシノジュンコさん、松竹の迫本(淳一)さん、阪急阪神ホールディングスの角(和夫)さん、音事協や音制連の人など、複数いてはります。世間の8割くらいは「なんでお前が座長やねん」って言いはると思うんですけど、池坊専好さんと共同座長って形で経産省さんがうまいこと値打ちをつけてくれはりました。

――なぜこの大役を引き受けようと?

大﨑 人生で万博を2回経験することなんてあれへんし、僕自身も吉本興業も大阪・関西に育てられた会社なんで、そこに何か恩返しができたらという思いはやっぱりありました。
 1970年の大阪万博のとき僕は高校1年生で、月の石や人間洗濯機や動く歩道や言うて、みんな楽しみにしてたんですよ。「世界の国からこんにちは」ってことでしたけど、当時ほんまに外国人さんを見るのが初めてでした。僕ら高校生ももっと小さい子らも「ほんまに金髪や」って驚いて、万博会場で外国人の方に会うたびに「サイン、サイン」ってねだってましたね。そういうふうに、今の子ども  や若者が、今回の万博を楽しみにして、それきっかけに夢を描けたり希望を持てたりするようになったらええなぁ、と。

――万博関連は各所の遅れが毎日のように報じられています。就任から4カ月経ちますが、検討会議の進捗はいかがでしょう。

大﨑 なかなか大変ですねぇ。万博協会は半分くらいが霞が関の役人さんたちで、残りの半分が民間や地方自治体の方です。組織が完璧な縦割りになっていて、なかなか情報が整理されていかないんですよ。それぞれの事情もあるから無理ないこととは思うんですけど、外から見たら何をどこに言ったらええかわからん状態やと思います。
 最初の頃に「現状を把握したいんで詳しく教えてください」と何度か会議をしたんですけど、どうも打診のときに聞いていた話とだいぶ違うなとわかってきました。要は、僕に求められているのは数カ月に1回会議に出て「こんな催事があるんですけどどうですか、よろしいですか」と聞かれて、「よろしいです」というお墨付きを与える役目なんやな、と。それで「聞いていた話ではもっと自由に存分に力を発揮させていただけるということでしたけど、みなさんがおっしゃる通りにしたほうがええんやったらそうします。ただその前に僕ひとりで記者会見します」と言いました。「いまのままでは、全然アカンというのを会見で言いたい放題言う、どっちがええか選んでくれ」と。そうしたらやっと「どうぞ大﨑さんのやりたいように」ということになりました。

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