「歌っちゃダメ」宇多田ヒカルが母親・藤圭子に禁止されていた事とは?
#宇多田ヒカル #馬鹿よ貴方は 新道竜巳
宇多田ヒカルさんと言えば大ヒット歌手でその始まりから勢いがあり、さらっとトークなどもこなし、そして高視聴率をマークし当時「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」でも出演、評判がよすぎて松本人志さんとテトリスで対戦し、音楽番組の領域も広げていた印象もある。
母親が藤圭子さんというのも有名な話だが、この方も独特な歌い方と個性のある美貌で19歳ぐらいにはすでに注目されていた演歌歌手だった。独特な歌い方と低めの声質、影のあるキャラクターは他とは異彩を放つ存在だった。その親にして子ありというぐらいのスピードでデビューした宇多田ヒカルさんは15歳の時にシングル「Automatic/time will tell」で200万枚を売り上げ15歳にしてトップアーティストになった。
1年後リリースした1stアルバム『First Love』は767万枚売れ、歴代1位を未だにキープしている。宇多田ヒカルさんも歌がうまく個性的な美貌と影のあるキャラクターは藤圭子さん譲りな面もあるのだろう。先日放送された「まつもtoなかい」に出演した。ゲストとして1人のみでの出演は珍しく、過去番組で共演して信頼をされているからこその1人ゲストというのもあったのかもしれない。
現在宇多田ヒカルさんは40歳になる。デビュー当時は松本さんに「今までとは違うとんでもない子がでてきた……」と言わせてしまうぐらいのスター登場の瞬間だった。16歳にして当時公開していた高額納税者ランキングに名前が載るという偉業をなした。「あまり競争心がない」とライバルの存在がいないと言うが、スタートダッシュとトップをとる速さが周りとはあまりにも違った為、周りを見る時間もなかったのかもしれない。現在ロンドンに移住をしているのだが、その理由を話していた。
移住と同時に無期限の休業をとった宇多田ヒカルさんは「15歳から有名になってしまい全部周りの大人が動いてくれる。普通だったら大人になったらやることを全然能力として身に付けていない。それがだんだん自分でも恥ずかしくなってきて、普通にそういうことやってみよう」となったそうだ。
人生、ずっとお金が欲しいと思いながら1人暮らしをし挫折を繰り返し、なんとか生きていくものだとは思うのだが、宇多田ヒカルさんの人生にはその要素が全くない。同じ人間とは思えない血筋と才能だということをここで改めて実感した。生まれたのがニューヨークで住み慣れている場所だと東京にいるのと変わらないという。自分の為にならないからと住み慣れていないロンドンでの生活を始めたあたりも勇気や行動力の最上位ランクを感じさせた。
母親の藤圭子さんも28歳辺りで休業していて同じタイミングだと本人は言う。こんなにも才能が綺麗に遺伝されることがあるんだと感服してしまう。そんな宇多田ヒカルさんは母親に演歌は歌っちゃだめだと教えられてきたそうです。こぶしが逆だからと言われたというが。松本人志さんと中居正広さんも「こぶしが逆?」という専門的な言葉に困惑していた。
「なんか、なみ?ビブラートと演歌のこぶしが……彼女いわくですけど……」
「声が震えるところがあるじゃないですか、震える所が逆?……とか歌い方が、全然違うからちっちゃい時に言われたのを覚えています」
とプロが聞いた時の歌声が向いてないと思われた中で、歌手にならないではなく、のちの宇多田ヒカルさんを作り上げたのだからこれがまたすごいとしか言えない。だから演歌を歌うのを初めから諦めているというがカラオケに行くと藤圭子さんの面影平野を歌ってしまうという。激レアな瞬間があることを話していた。松本人志さんも興味を持ち「カラオケいく?」と言わせていた。
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