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日刊サイゾー トップ > 社会 > 事件  > 『迷宮』はなぜ生まれたのか?

木原事件ほか未解決事件を収めた『迷宮』はなぜ生まれたのか?【重版決定、電子書籍刊行】

画像はイメージ

2019年の発売された、作家・沖田臥竜氏の著書『迷宮』(サイゾー)が3年の時を経て、重版されることになった。今話題の、いわゆる“木原事件”をいち早く取り上げていたことが注目を浴びることになったのだ。それを受け、『迷宮』の在庫は一気に底を尽き、現在は重版の作業中。同時に電子書籍も緊急刊行し、ベストセラーランキングをも賑わせている。そんな同書はどうして生まれたのか? なぜ、“木原事件”が掲載されるに至ったのか? 沖田氏自身が述懐を交えて綴る――。

一文字足りとも、メディアで報じられなかったある事件 

 2020年9月。暑かったことは覚えている。そんな中で、自分はこんなコラムを書いていた。少し端折りながら紹介する。

※ ※ ※

 未解決事件を丁寧に慎重に取材すればするほど、たどり着く答えというものがある。未解決である理由は、陰謀でも、捜査ミスでも、何かしらの圧力でもない。そんなもので事件、特に殺人ともなれば、犯人が逮捕を免れることなどない。これは断言しても良い。現在の我が国、日本において、そういった観点で捜査が打ち切られたり、迷宮入りしたりすることなどないのだ。たとえ、絶大な権力者であったとしても、人を殺めれば法の裁きを受けることになるのだ。

 では、「たどり着く答え」とは何なのか。それは至極簡単である。クリーンヒットとなる証拠がないということのだ。

 確かにある程度の背後関係などから、捜査線上に浮上した容疑者を逮捕することはそこまで困難なケースばかりではない。しかし、決定的な証拠もないままに起訴し、公判を維持することができるかと言えば、できないのだ。なぜならば、そこには冤罪を生み出してしまう可能性もあるからである。

 そこまで、我が国の司法制度における有罪確定へのハードルは高く、公判の維持に対しては慎重であり、厳格なのだ。逆に言えば、いくら未解決事件において、決定的な証拠もない人物が「あれは自分がやった犯行だ!」と主張してきて、状況的な流れから逮捕に至ったとしても、裁判にかけられるまでいけるかと言えば、決め手となる材料がなければ、当局は起訴に踏み切ることができない。

 1995年3月30日に起きた國松長官狙撃事件などは、その最たるケースと言えるだろう。警察のトップが狙撃されるという前代未聞の事件であっただけに、警察サイドの威信にかけても解決させなければならなかった事件であった。だが結局、殺人などにおける凶悪犯罪に対して、公訴時効が撤廃される以前であったことで、事件は解決を見ないままに迷宮入りすることになってしまった。

 限りなく疑わしき人物は存在しており、なおかつその人物は自ら犯行を認めた証言をしたというのに、裁判にかけることができなかったのだ。その理由は、決め手がなかったのだ。いくら「あれはオレの犯行だ!」と言ったところで、捜査当局はそれを完全に鵜呑みにするかといえば、そんな単純に信用などはしない。その証言が本当に真実なのかどうか、徹底的に洗い直すのである。

 そこで、真犯人しか知り得ない現場の状況や決してマスメディアにも漏らしていない情報などと結びつけば、それは法的用語の言うところの「秘密の暴露」にあたり、公判維持を可能と判断される。

 今回、筆者が上梓した『迷宮「三大未解決事件」と「三つの怪事件」』にも収録されている、16年の時を経て解決された足立区強盗殺人事件もそうしたケースのひとつだ。

 本書では他にも、世田谷一家殺人事件、八王子スーパーナンペイ事件、 柴又・女子大生放火殺人事件、そして44人の死者を出した歌舞伎町雑居ビル火災が収録されている。

 そして、もう一件。これまで一文字足りとも、メディアでもまったく報じられなかったある未解決事件についても、本書で初めて公開している。読む人が読めば、わかる事件である。すでに、ある界隈では「あの事件が記事になっている!」と騒がれもしている。
  
 この事件は、今のままでは決して、弾けることはないだろう。だが万が一弾けるようなことが起きれば、少なからずマスメディアは騒ぎ立て、世間は大騒ぎになるだろう。

 『迷宮』はこれまで、発表された未解決事件の真相に迫った書籍だ。陳腐なジャーナリストやコメンテーターの推理や推測を全て否定する。それを踏まえて、手にとってもらえれば、丹念に取材し続けた甲斐があり、書き手冥利に尽きるといえるだろう。

※ ※ ※

 そんな『迷宮』が出版されて3年たった現在、なんか大変なことが起きているではないか。『迷宮』が怒涛の快進撃を見せているのだ。電話口から聞こえてくる、版元の人間の「注文が止まらない」というはずんだ声で、こっちまで嬉しくなる。

 自分は人の喜んでいる姿を見るのが好きなのだと思う。一方で、自分自身が浮かれているかといえば、まったくもってそうではない。地に足はつけ、客観的に推移をじっと見守っている。

 そこには、題材としたテーマも関係するし、自分はただ事件を丁寧に調べて、それを文字にしただけなのだという思いがある。決して、事件にまつわるなにかを生み出したわけではない。そのへんのライターなどは、自分が追及した事件が話題になれば、すぐに自身の手柄のように舞い上がり、失笑を買ってしまう。そんなことだから、そこに事実を飛び越えた、陰謀論や推測が生まれてしまうのだ。

 ただ、『迷宮』は自分1人では書けなかった。5、6年前だろうか。ABEMAの情報番組に出演し、サイバーセキュリティー会社の社長と知り合い、彼から小学館の絶対的エース編集者を紹介してもらうことになり、そこから警察情報にも通じる、ある人物を紹介してもらったのだ。この流れと、ある人物がいなければ、『迷宮』は誕生していない。

 その人物から1番最初に聞いた話が、現在、文春がキャンペーンを張り、追及していることで話題になっている、『迷宮』でいうところの「文京区変死事件」。そう、木原誠二官房副長官の妻が、その元夫の不審死に関与しているのではないかという疑惑、いわゆる「木原事件」だったのだ。

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