『君たちはどう生きるか』無宣伝戦略、説明省略の元ネタ? あの映画と芸人
#宮崎駿 #ジブリ #しばりやトーマス #世界は映画を見ていれば大体わかる
前代未聞の「宣伝なし」で公開された宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が、興行収入40億円を突破、夏休み期間に入ったことでさらなる伸びが期待されそうだ。
公開前には「一切宣伝をしない映画はヒットするのか?」と興行面の成功を疑問視する声が多かったので、予想を覆す大ヒットです。この勢いなら100億越えは確実と言われており宮﨑監督の前作『風立ちぬ』の120億円越えも夢ではないかと。
ところが一方で内容については賛否両論の声が多く聞かれている。曰く「理解不能」「意味不明」「支離滅裂」「何が言いたいのかわからない」……。
なぜこんな意見が出てくるのかというと、宮﨑監督の演出が説明的になることを意図的に避けているからだ。明らかになんらかの説明がいるような場面でさえ、説明を拒否し、登場人物は流されるようにその状況を平然と受け入れるのだ。
例えば主人公の眞人は、東京の空襲を避けて亡くなった母親の実家に疎開する。そこに住み着いているアオサギ(映画に関する数少ない情報としてポスターになっていた、あの鳥だかなんだかわからないやつである)は人の言葉をしゃべる。
鳥が人の言葉をしゃべったら普通はかなり驚くだろうが、眞人は驚くこともなくアオサギに対応し、弓矢を作って撃ち落とそうとする。その前に鳥が人語を話していることを疑問に思ってくれ。
眞人は父の再婚相手である亡き母の妹、ナツコには複雑な感情を抱いている。
父の再婚相手と言って紹介されたのが亡き母と瓜二つの顔をした妹な上にお腹に子供がいると言われて、思春期の少年が「はい、そうですか」とはならないでしょう。父親の声を担当している木村拓哉みたいに「ちょ、待てよ」ぐらいは言いたくなるところ。
その後、つわりがひどくなったナツコは部屋にこもるようになるが、ある日屋敷の近くの森の中へ入っていくのを眞人は見かける。それを追っていくと、屋敷をつくったという大叔父様が建てた奇妙な建物にたどり着き、眞人とお屋敷のお手伝いのキリコばあさんの二人はアオサギを追って不思議な世界に迷い込んでしまう。
その世界では奇妙な生き物たちが蠢き、若き日のキリコばあさんや、火を扱う少女ヒミ(亡き母の若い頃)らと出会い、セキセイインコの軍団(?)に襲われたりしながらも、この不思議な世界には疑問を抱かず、冒険を続けていく。
まるで『不思議の国のアリス』のように夢と現実がごっちゃになって、観客は混乱する。なにしろ「なぜそうなるのか?」がまったく説明されないし、普通は観客の代弁者である主人公の眞人が「これはどういうことなんだ?」「お前は一体何者なんだ?」みたいな疑問をぶつけてくれれば、誰かが観客に向けて説明してくれるだろう。ところが眞人は自分の身に起こる不思議な出来事や体験を疑問に思うことなく、流されるように受け入れてしまう。
こう聞くと「わけのわからない物語を見せられても、退屈なだけじゃないの?」と思うだろうけど、この映画は久石譲の音楽に合わせて凄まじいビジュアルが展開し、観客に一切退屈だという感情を与えることなく、スムーズにクライマックスに向けて押し流してゆく。疑問を感じても「なんだか凄いことが起きているんだ」ということだけはわかるようになっている。こんな作品は宮﨑駿監督にしかつくれないだろう。
この映画は吉野源三郎の同名小説と同じタイトルがついているが、原作というわけではない。宮﨑監督が以前に同作を読んだ際に深い感銘を受けており、今回のタイトルに使ったのだという。
映画の原作ではないが、早い段階で吉野源三郎の本自体が劇中にでてくる。眞人は亡き母親からの「やがて大人になる眞人へ」というメッセージカード入りの本を手にし、読んで涙する。
小説『君たちはどう生きるか』は年の離れた叔父さんと主人公がやり取りをする中で、社会の中で自分たちにどんな役目があるか、社会の仕組みを知っていく。
本を読んだ眞人は微妙な関係だったナツコとの和解のために、不思議な世界に迷いこんだナツコを救おうと冒険をする。
やがて不思議な世界の果てで眞人は、この世界が壊れないようにしている大叔父に出会う。現実の世界の大叔父は周囲から「頭は良いが、本の読みすぎでおかしくなり、姿を消した」とされている。
この世界の大叔父は世界のバランスを取る積み木をつくって世界が壊れないようにしているが、限界が来ている。跡継ぎは自分の血を引くものにしかできないので、眞人に継いで欲しいと。
この大叔父というのは明らかに宮﨑駿のことで、彼が積木を積むのは、自分がかつて手掛けた作品のことだ。もう自分は老い先短い老人でこれから先の未来もない。残っているのは過去しかない。だから過去という積み木を積む。
若い眞人に積み木を積んで世界のバランスを取り、理想の世界を作ればいう。理想の世界とはアニメのことだ。宮﨑駿はアニメーションで自分の理想の社会を作り上げてきた。創作が自分にとっての夢や、それを見る観客に影響を与えるはずだと信じて。
後を継いでくれというのは、ジブリのスタッフをはじめ、若いアニメーション制作者たちや、実子である宮崎吾朗のことだろう。
眞人は理想の世界をつくることを選ばず、ナツコを連れて現実の世界に帰る道を選ぶ。それまでは「ナツコおばさん」と呼んでいたが、「ナツコ母さん」と呼び、現実でも不思議な世界でもいがみ合い、争っていたアオサギと友達になる道を選んで。
現実はあまりに辛いが、それでも前を向いて、友達を作って生きていってほしい。過去ばかり振り返るな、君たちには将来があるのだから。君たちは、どう生きるか!?
……という確かに説教臭い話に思えるが、それらを劇中で詳細に説明しないため、説教臭さは思ってたより薄れている。そう感じるのは意図的に説明を省いたことと、一切宣伝しないというスタイルを貫いたせいだろう。
宮﨑駿監督は、こういったメッセージを観客(そして若い人たち)にまず体験してほしい、その上で自分たちで考えて欲しい……だからこそ説明せずに、内容をできるだけ知らせずにしようとした。体験するための映画だからだ。
『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリック監督が劇中のナレーションをすべて削除して、公開前に原作本で内容が知られないように販売を遅らせる工作までして、完全に臥せたように。
しかしそれだけでは内容が伝わらない恐れがあるため、劇中の様々な描写に自身の過去作からのオマージュ的なシーンを散りばめた。本作で飛行機の工場社長をしている父親というのは間違いなく宮﨑駿監督の父親のことで、つまりこれは個人的な物語なんですよ、というのがわかるようにしている。監督の過去作を見ていればおのずと劇中で示されているのが何か、がわかるようになっている。
だから「何が言いたいのかわからないから、つまらない」というのはもったいない。日本人の多くは劇場や、テレビの『金曜ロードショー』(日本テレビ系)のジブリ特集で、宮﨑駿作品を年中浴びるように見てきた人たちだ。巨匠が何を考え、何を伝えたいのかは必ずわかるようになっているので、もう一度観に行ってほしい。
この映画を見ながら筆者は「ツチノコ芸人」と呼ばれた漫談家、テントさんのことを思い出した。テントさんの話芸はあまりに独特なので、ついてこられない人が多く、そうしたお客さんに向けてテントさんは
「いちいち説明しませんよ。義務教育やないんやからね」
という笑いを飛ばす。『君たちはどう生きるか』もそうではないか。いちいち説明しませんよ。義務教育じゃないんだから、別に観なくてもいいんですよ。でも見たらきっと笑うね、テントさんの芸と同じで。
まさか世界の巨匠と孤高の芸人が同じ方向を向いていたとは、恐るべし。
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