ビートボックス×歌で異彩を放つYAMORI GBB優勝候補のバックグラウンドに迫る
#インタビュー #あぷ噛む
ヒューマンビートボックスの世界大会〈Grand Beatbox Battle(GBB)〉が今年9月に東京で開催され、ますます注目を集めるビートボックスシーン。このGBBの動画予選を1位(タッグ部門)で通過した日本人ユニット=Jairoの片割れとなるYAMORIは、ビートボクサーだけでなく、シンガーソングライターとしての顔を持つ。
そんな“ヒューマンビートシンガー”の彼が、1st EP『ヒューマン』を5月に発表した。AFRA、HIRO(Rofu)、John-T(Jairo)、KAJI(SARUKANI)、RYOYOといった名うてのビートボクサーをゲストに迎え、歌とビートボックスを融合させた独自の世界観を構築したこの注目の才能に、話を聞く。(取材・文=末﨑裕之)
――2018年からビートボクサーとして活動を開始したということですが、音楽をやりたいと思った元々のきっかけは?
YAMORI 高1で吹奏楽部に入ったんですよ。それが一番最初に音楽にガッツリ触れた機会で。ほぼ同じ時期にビートボックスもしっかり始めたので、音楽が生活の中に自然と入ってる感じでした。
――なぜ吹奏楽部に?
YAMORI それまではめちゃくちゃバスケットマンだったんですけど。高校で体験入部に行ったら、あんまりおもしろく感じなくて。自分はエンジョイ勢だったんだなということに気づいたんです(笑)。同時に、再放送か何かだったんですけど『坂道のアポロン』っていうジャズのアニメがあって、第2話で、淳兄っていうお兄ちゃんみたいな人がジャズバーでトランペットを吹く瞬間があって。後から調べたらホレス・シルバーの楽曲(「Blowin’ The Blues Away」)だったんですけど、プルルルルルル♪ってトランペットで始まる音で、その瞬間、あ、やりたいなって思って。あのトランペットを吹きたいと思って、すぐに吹奏楽部に入りました。影響受けやすいんですよね。
――音楽はどういうものを聴いてたんですか?
YAMORI 中高とかは、アニソンとかボカロばっか聴いてました。ブラックミュージックというか、ビートが強くてグルーヴィーな音楽にハマり始めたのは大学の初めぐらい。ちょうどシティポップブームだったんです。そこで、シティポップいいなっていう表面的な入り方をして、でもなんで好きなんだろう?とか思い始めて掘り下げていったら、どんどんR&Bとかソウルとか、ヒップホップとかを聴き始めるようになって、「あぁこういうのやりたいな」みたいなに思い始めましたね。でも、ボコボコのクラブのEDMとかもめっちゃ聴くし、中学生のときはダブステップとか聴いてました。
――中学でダブステップ!?
YAMORI 僕の中高時代がちょうどEDMブームなんですよね。それでエレクトロなサウンドには親しみがあって。だから超雑食系ですね。強いて言うならブラックミュージックとかそういう類のが好き、というぐらいで。あとは父親がジャズをずっと聴いてたんで、それは何となく体に染みている感じがありました。
――ヒューマンビートボックスを始めたのは?
YAMORI 一番最初にビートボックスに出会ったのが、テレビで見たAFRAさんでした。小5~6年生ぐらいのときにNHKで取り上げられてるのを見て。それで簡単な音、ちょっと素人が頑張ればできるレベルはできるようになったんです。それから、バスケ部も同じで、クラスも3年間ずっと一緒みたいな腐れ縁のやつがいたんですけど、中3のときぐらいにそいつが急にビートボックスやるわって言い始めて。ちょうどヒカキンさんとかDaichiさんとかがYouTubeで出てきた時代だったんです。でも、そいつがクラスの人気者とかになって調子に乗ったらイヤじゃないですか(笑)。で、対抗して始めたのが、ちゃんとやり始めたきっかけです。
――どっぷりビートボックスの世界に入っていくのは大学ですよね。
YAMORI そいつもすぐやめちゃいましたし、高校ではやってる人がほぼゼロで、本当にずっとひとりでやってたんですけど、2017年、大学1年生の終わりぐらいに全日本大会があって。それまでずっと動画で観てたんですけど、観客として初めて観に行って、初めて現場の音を聞いて、ワーッ!てなったし、すげえってなったし、あの場に自分も立ちたいなってなって。その1カ月後、2018年の頭に、初心者も出られる大会があって、それが初めてのビートボックスシーンへの参入みたいな感じでしたね。
――トランペット、ビートボックスときて、歌も歌い出すのは、また別のきっかけがあるんですか?
YAMORI 歌はずっと好きで。2018年のビートボックスの大会で、審査員をやってた人に、ピッチ(音程)けっこう取れるんだったら、そういう系のビートボックスやってみたら?って言われてから、歌も交えたスタイルにシフトしていって。元々カラオケとかめっちゃ好きではあったんですね。多少歌えるなっていう自覚があったんで(笑)、それでやり始めたって感じですね。でもシンガーソングライターとしては最近のことで。2020年とか、コロナぐらいから作詞作曲とかをちゃんとやり始めました。
――それはルンヒャンさんとの出会いがあって?
YAMORI そうですね。その前にも大学時代に、シンガーソングライターが5人ぐらい集まってYouTube上で歌うみたいな、Goose houseみたいな感じのユニットをやってて。オトノグラムっていうんですけど、そこで出会った人がルンさんを紹介してくれて。それでルンさんとこに行ったっていう感じでしたね。そこでいろいろやってたら、自分もソロでやりたいなって思い始めて。そのタイミングでコロナがあって、大学も休学したんで、時間がすごいたくさんできて、そこで一気にガーって始めた感じです。
――ルンヒャンさんの音楽塾「ルンヒャンゼミ」で一番学んだものって何ですか。
YAMORI それはもう間違いなく、音楽とか制作とか、クリエイティブをする上で、持ってなくちゃいけない一番ピュアな部分かな。考えなくちゃいけないこと、たくさんあるじゃないですか。売り込みとか、計算もすごい大事だし、そういうバランスを取る作業ってすごく大事なんですけど。でも、そことは全く違う、聖域みたいな領域で自分のクリエイティブを発揮しなくちゃいけない時間とか場所とかがあって、それを大切にするマインドを一番学んだっていうふうに俺は思ってます。もちろん、制作に使う技術的なこともたくさん学んだんですけど、音楽とかクリエイティブに対するそういうマインド――何を大事にして、どこを汚さずに大事にしてるか、守ってるかっていう部分を俺は本当に尊敬してるんです。本当に大事なものをもらったなっていう意識がありますね。(1/3 P2はこちら)
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