Henny Kが自らを鼓舞し潤わせるための“吸湿性”
#HIPHOP #つやちゃん
もっとも有名なラム酒“バカルディ”を元に命名したカーディ・Bにならって大好きな“ヘネシー”をMCネームに使ったHenny Kは、その名の通り飲酒の快楽を歌うことで多くの客演に呼ばれ、いま国内ヒップホップシーンにおいて重要なポジションを築きつつある。
けれども、Henny Kが興味深いのは、決して酒について歌う「だけ」のラッパーではないということだ。
ゴーゴーダンサーの仕事をしていたという経歴もあり、セクシー系フィメールラッパーという紋切り型の認識が広まっているように感じるが、最新アルバム『“K”』からスマッシュヒットした曲が「カラカラ」であったように、Henny Kのリリックには酒の銘柄だけではなく、数々の“乾くこと”と(渇きを)“満たすこと”に関するモチーフがあふれている。
彼女ほど〈水〉について歌うラッパーもめずらしく、一見すると取るに足らない通俗性の反復によって本質をあぶり出すことができるという点で、ヒップホップとは何たるかを直感的に捉えているように思う。
待望のファーストアルバムである『“K”』は、まずはとにかく酒を飲みまくるのだと宣言する「メニヘニ」「DRUNK」から始まり、続く「カラカラ」で「カラカラだし私のpussy/まだまだ降る雨土砂降り」というパンチラインによって、“酒”から“体液”へとテーマを移行させる。そもそもカラカラな状態を水分で潤すという設定自体は、日本語ラップにおいて散見される対比構造。
BUDDHA BRANDの「井戸を掘るなら水が湧くまでディグる/東京砂漠にボルビック/ココ掘れワンワン/花咲かじいさんのように/イルの芽ばらまくギフト/焼け石に水なら」(「ILL夢Makers 76」より)や、ZEEBRA「逃げる水分の代わりにカクテル/乾いた喉に一気に流し込む/どうせ汗で飛ぶから大丈夫」(「Summertime In The City」より)などで触れられてきた通りである。
性愛に関する欲望を液体の描写に喩える手法も取り立ててめずらしいものではなく、近年では例えばMaRlが「MaRlが来れば降らす雨ゲリラ」「首もpussyもdrippin’」「溺れちゃうジューシー」(「pussy wet」より)といったラップで繰り返し表現されてきた。
性愛の比喩的描写はDADAも優れており、有名な「俺の首に垂らしてくれwater」(「Highschool Dropout」より)というラインでは、愛の交歓を滴るジュエリーの煌めきになぞらえた。「数字のことなんて忘れて溶け合った俺たちヘトヘト」「2人で浴びるシャワービショビショになった俺の指とベッド」という湿ったラップが魅力の曲「DOWN」も記憶に新しい。
だが、『“K”』を聴き進めると、さらなる多岐に渡った〈水〉の描写が広がっていることに気づく。
「YARUDAKEDASHI」では客演のMARIAに「普通って何?常識って何?/耳が痛くなる話はまじ無理/普通って何?常識って何?」というラインでオマージュを捧げた後に「ガソリンぶっかけ燃やしてやれBitches」と続け、“ガソリン”という水分を介して攻撃的なフックを仕掛ける。
他方で「HIGH」では、「Fly high2人回し見てる画面Ted/溶けるまぶたアイスクリーム/食べ頃のタイミング/落ちていくルーティン/ほぐしてるブルードリーム」と、 “溶けるまぶたアイスクリーム”という個体から液体へと変化していく描写によってチルで濃密な時間を優れたメタファーで表現する。
〈水〉に取り憑かれながら、直喩と隠喩を織り交ぜ写実的にリリックを綴っていくアプローチをここまで執拗に繰り返すラッパーは、日本語ラップ史においても稀有ではないか。
無自覚にあふれ出る得体の知れない液体
もちろん、これまでの日本語ラップが〈水〉を描いてこなかったわけではない。近年、優れた水の描写として真っ先に浮かぶのがJJJである。
今年リリースされたアルバム『MAKTUB』でも、「like a water流れる川」(「Mihara」より)、「電気の消えたフロア/乾いたcupに水を一杯」(「Verdansk」より)、「今は眺めてる夜の海/感じているそれぞれとの距離」「泥臭い地面でも空は晴れ/お互いにいたいけな笑み/映る水溜まり」(「Something」より)、「音の立て方/今夜降りしきるはドラムの雨」「宇宙は彼方/チラついた時雨、黒い雫」(「Jiga」より)など、多彩なアプローチが目立った。JJJの功績は、ランドスケープとしての〈水〉をラップへと取り入れた点だろう。
つまり、雨が、川が、海が、移ろいゆく時間への思慕として内なる心情を反映している。
「時間が流れる」という表現がある通り、水とは流動する性質を持っている。ビートは鼓動のごとく永遠に続く律動であるがゆえに、サイファーは人から人へ延々と続くがゆえに、〈水〉の移ろいとは極めてヒップホップ的なモチーフそのものだとも言える。
と同時に、〈水〉とヒップホップにまつわるもうひとつの解釈も指摘しておく必要がある。
「長くつぼんだ彼岸花が咲き/空が代わりに涙流した日/2002年9月3日」(「花と雨」より)で“雨”と“涙”を重ねることで誰よりも悲哀に満ちた〈水〉の描写を成し遂げたSEEDAの出番だ。彼は、水のもうひとつの特性についてBESが歌った「beatzとrhymeが水と油」(「ILL WHEELS」より)というフレーズに着目し、「TERIYAKI BEEF」で「WISEはトラックと水と油/イルマリはトラックと水と油/名前も知らねぇよ水と油/日本語と英語が水と油」とアレンジした。
かくして、日本語ラップ史における〈水〉の項目には、ビートとラップの調合、あるいは相容れなさを連想させる説明も加わることになった。
BES、SEEDAからJJJへと議論を戻そう。上記2点――移ろいゆく風景としての〈水〉、あるいはビートとラップの調合を連想させる〈水〉――について、実はJJJはとある曲ですでに完璧なアンサーを出している。
「七色アスファルト叩く雨音/自由な発想/過ぎる景色にリズム感じてる/次のstepならば“We don’t care”/回転してBackする日はまた登り繰り返してゆくEveryday/てな具合に日々追いかけるWeekend/言葉とMind組んだシーケンス/転がる雲の上/水を切る石みたく/跳ねる音楽俺と人生」(KM「Filter」より)
KMの“プロデューサー・アルバム”で「言葉とMind組んだシーケンス」「跳ねる音楽俺と人生」と綴りビートとラップの融合を志向したうえで、「雨音」「水を切る石」といった〈水〉への言及を果たし、「過ぎる景色にリズム感じてる」という形で移ろいゆく風景をリズムへと換言していく表現が冴えわたっている。
JJJが〈水〉のラッパーであるゆえんが、このラップに詰まっているのだ。
であるならば、JJJが描写する〈水〉に対して、やはりHenny Kの〈水〉への感度はそれとは大きく異なるベクトルへと向いているだろう。彼女の独自の才能がより一層花開く、客演仕事に注目したい。
水流のごとく移ろいゆく時間の経過も、彼女の手にかかればまったく違ったリアリズムへと転化される。Uka Death Audio「MAWARU」で、Henny Kは「クラブ回すモエやヘネシー/画面の向こうあいつジェラシー/受けておいでどっかでセラピー/Hennyに笑う勝利の女神/ぐーるぐる回ってる/忙しすぎて回ってる/ぐーるぐる回ってる/キミの秘密も回ってる」というヴァースを蹴り上げる。
ここには、酒を回す=秘密も回る=人間関係が回るという円環をビートとラップの反復によって表現する技法が観察される。
移ろいゆくのは“人”であると言わんばかりの関係性への着目に徹したリリックは、JJJの綴る“自分対風景”、あるいはSEEDAの“ヒップホップへのメタ視点”といった構図とは明らかに異なる、“自分×他人”の構造に身を投じ没入する姿勢だ。
彼女の客演仕事がもっとも見事な形でフィットしたQ/N/Kとの「火星」は、さらに鋭い。
「吐きそうになりながら歩いた月曜/昨日飲み干したHennyのボトル眺め思い出す変に/横見たら連れが吐いちゃったゲロ」と、相も変わらず“Hennyのボトル”“吐いちゃったゲロ”という〈水〉の描写を入れつつ、それでも「忍忍ってわかる?紅って意味/帰ったら押し倒してねぇkiss me…」と結ばれるラインで、彼女がまだ愛の水分を欲していることが明かされる。
かつて水があったとされる星=火星をテーマに置くことで、常にHenny Kがカラカラな状態になっていることが暗示されるのだ。
日本語ラップにおける〈水〉の描写のバリエーションを超えて、Henny Kはカラカラの乾いた身体でたくさんの新たな〈水〉をあぶりだす。それは移ろいゆく風景としての〈水〉ではなく、あるいはビートとラップの調合を連想させる〈水〉でもなく、もっと泥臭い、関係性の中に身を投じた末の生々しい〈水〉である。
生活や通俗の積み重ねからしか生まれ得ない真に猥雑な液体を描出するラッパーこそがHenny Kなのだ。
思えば彼女は、麻凛亜女、Tomiko Wasabi、CARRECとの「V.A.N.I.L.L.A.」でも「汗水垂らして皿洗い/してた17の自分まだ消えてない」とラップしていた。ここにもまた、〈水〉の表現がある。
“汗水”と“皿洗い”――汗も、水も、酒も、体液も、ゲロも、彼女のリアルとしてすべて繋がっている。自らの原点である17の自分に思いを馳せながら、カラカラの身体を〈水〉で満たそうという欲望の結果、多彩な描写が溢れ出てしまうこと。これをヒップホップと呼ばずして、何と呼べばいいのだろう。
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