紅しょうがは「結果でぶん殴りたい」 上京決断の裏にあった圧倒的信頼
「熊元さんはいつも間違えない」
──そもそもなぜこのタイミングで上京を決断したんですか。
熊元 今までは『THE W』で優勝したら東京に出ようって思ってたんですけど、去年も負けてしまって。でも正直「今回は勝つやろ」ってどっかで思ってたんで、東京行く気持ちがすでにあったんですよ。私らは腰重たいタイプやから、「行こう」って思えたときに行くのが大事やなと思ったんです。それで稲田さんに相談したら「ええよ」ってことで、ほな行こかと。
稲田 私も行きたい気持ちはずっとありつつ、賞レースでも結果出してへんし、何も達成しないまま行くのはちょっと手ぶら過ぎるよなぁとも思ってて。ただ、熊元さんが「やろう」っていうことはいつも間違えないんで、そこは乗っかることにしてるんです。今回もそれでした。
──『THE W』の決勝は昨年12月なので、本当に急な決断だったんですね。
稲田 そうですね。エゴサしたら「びっくりした」ってリアクション多くて、そら無理ないなと思いましたよ。自分らがいちばんびっくりしてるから。
熊元 たしかに。「ずっと隠してたんちゃうか」って言われるんですけど、ほんまに決めたのが去年末やったんで「さっき決めたねん。ほんまごめんな」って気持ちでした。
稲田 急に決めたのに社員さんも感じよく送り出してくれました。『THE W』前に、「私ら勝つと思うんで、そしたら東京行こうと思います」って話はしてたんです。でも、負けたから話がややこしいじゃないですか。それなのにお世話になってた社員さんに大会後会ったら「行くやんな?」ってすぐ言ってくれて。ありがたかったですね。
──東京はずっと意識していたんですね。
熊元 「いつかは」ってずっと思ってました。ウチは小学生の頃からお笑いがめっちゃ好きで、ずっとテレビの人気者になりたいって思って生きてきたんで。東京で勝負したい気持ちも年々強くなっていきましたね。
──勝手ながら、紅しょうがやロングコートダディ、ニッポンの社長、マユリカあたりの芸人さんたちは大阪を拠点にますます活躍する存在だと思っていたので、上京にはびっくりしました。
熊元 たしかに私ら大阪が好きすぎたせいで、ずいぶん長く残りましたからね。大阪という街もそうですけど、よしもと漫才劇場(マンゲキ)とかの劇場がとにかく居心地よくて。でも、このままじゃアカンっていう思いもありました。大阪時代、たまに東京のテレビに出させてもらうと「大阪の芸人」ってイメージが固定していく感じがあったんですよ。実際、エゴサすると「紅しょうがは関西色丸出しやから東京ではウケん」って言う人もおるんです。もうそんなのを……ぶん殴りたい。
稲田 こわっ! いい感じでしゃべってたのに、急に「ぶん殴る」ってなに?(笑)
熊元 いや、結果でぶん殴りたいんですよ。とにかく東京で自分らがどれくらい通用するか試したい気持ちはずっとあったんですよね。
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