“異常”と“正常”を行き来する、有吉弘行への畏怖のようなもの
#有吉弘行 #テレビ日記 #飲用てれび
テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(6月25~7月1日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
有吉弘行「人生でやってきたことのなかで一番ムズいかもしれませんね」
27日の『有吉クイズ』(テレビ朝日系)で、恒例の「有吉とメシ」の企画が放送されていた。さまざまなバージョンがあるこの企画。これまで飲食店を黙々と食べ歩いたり、山の中で本格的なジビエ料理を食べるなどしてきたが、今回は有吉がうな重をイチからつくる様子がお届けされていた。
その様子が、今回もまた“異常”だった。
お店で食べるもののイメージがあるうな重を、はたして素人がつくれるのか。そんな疑問をよそに、有吉がやって来たのは川だ。イチからうな重をつくるというときの「イチから」とは、天然うなぎを釣るところからである。お店の味を素人が再現できるのかとか、もうそんなレベルの話ではない。
有吉が挑戦したのは穴釣りと呼ばれる方法だ。紐付きの竿にエサのドジョウを仕掛け、その竿をうなぎがいそうな穴に突っ込んで釣る、というものである。
うなぎが潜む可能性がある穴は、川が段になってちょっとした滝になっているところ。そこに竿を突っ込むべく、有吉はびしょびしょになりながらちょっとした滝に手を突っ込んでいく。そのときのしかめっ面というか、独特の表情。スタジオにいるせいや(霜降り明星)が「コロッケさんや」「五木ロボや」と指摘する。島崎和歌子からは「岩崎宏美さん」との声も。とにかくコロッケの顔芸のような表情を見せながら、ウエットスーツなどを着ているわけでもなく普段着のような服のままちょっとした滝に打たれながら何度も何度も川に手を突っ込む有吉がおかしい。
「人生でやってきたことのなかで一番ムズいかもしれませんね」
さらに、穴釣りの達人からの、ちょっとした滝の奥にある空間(スポット)に顔を入れるとよいとのアドバイスを有吉は実行する。「スポットっていったって、細いんですよ」と言いながら。滝の裏でびしょびしょになっている有吉の表情がまたおかしい。
「ちょっと、体がもたないかもしれないですね。もうちょっと別の場所ないですか?」
有吉のギブアップ宣言。これを受け、もう少し流れが穏やかな下流でパイプの穴に竿を突っ込んでうなぎを釣る方法にシフトするのだった。
改めて有吉のロケVTRを見てみると、あることに気づく。有吉は、スタッフにていねいな敬語を使う。もちろん若手芸人とかであれば敬語もわかるし、ベテラン芸人であってもカメラが回っていないところでの敬語は普通だったりするのだろうが、それなりのキャリアがあるなか、カメラの前で有吉ほどスタッフにていねいな言葉遣いをしている芸人はあまり例がないように思う。キツめのツッコミを入れるような場合は別だが、有吉がスタッフとロケをする場合には基本的には敬語ベースでコミュニケーションが進行していく。
そのようなていねいな言葉遣いが振り幅となり、川のちょっとした滝のなかに顔を突っ込むような“異常”さがより浮き彫りになるのだろう。社会人としての“正常”な振る舞いが“異常”な行動のおかしみを引き立てるのだろう。こうなってくると“異常者”が世を忍ぶ仮の姿のごとくバカていねいに敬語を使っているようで、そっちの見方でもおかしみが深まっていく。
有吉は普段着で、敬語で、“異常”をやる。そんな有吉がうな重をつくった結果、素人が見様見真似でつくった味は「めっちゃまぁまぁ」というごく普通の結論に到達し、一方、うなぎを焼いた囲炉裏で焼いたつきたての餅はめちゃくちゃうまいという、これまたごく普通の結論にたどり着くところにもまた、“異常”と“正常”をシームレスに行き来する有吉らしさを感じた。
光浦靖子「自分が今まで長いこと閉じてた人格が広がったかなっていう」
28日の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)は、オアシズの光浦靖子と大久保佳代子がゲストだった。現在、カナダに留学中の光浦。夏休みを利用して一時帰国をしているらしい。日本で人間ドックや歯医者に行ったりしているようだが、メディアにも少し出ていたりする。
光浦はカナダではどんな生活をしているのか。トークの話題は当然そこからはじまる。光浦いわく、カナダに滞在して1カ月ほとで「ただのいち学生の脳みそ」になったという。日本が恋しくなるときも、日本のお笑いを見たくなる瞬間もなかったようだ。
「こんなに30年近くこの世界(=芸能界)に執着してたのに、意外とね、1カ月くらいでもういいやと思って」
また、性格にも少し変化があったらしい。「自分がこんなにフレンドリーな人間だと思わなかった」と、自分のなかの見知らぬ自分に驚いたという。バスから降りるときに運転手にあいさつや簡単なコミュニケーションをとるようなフレンドリーなカナダの土地柄もあってのことのようだが、光浦は次のようにも語った。
「(日本のメディアでは)みなさんの需要によってクソババアになってましたけど、人間って多面性があって、決して私がやってたキャラクターは嘘じゃないけど、これをギューンって80%に引き伸ばしてた感じがして。クソババア(の面)はいまだにあるよ。(留学先の)学校で喧嘩ばっかりしてるから。でもそれが40%ぐらいになって、60%ぐらいが別の、自分が今まで長いこと閉じてた人格が広がったかなっていう」
もちろん、変化は多方面に及ぶ。日本にいるときは芸能ゴシップが苦手だった(「人のニュースでもへこんで、落ちちゃって落ちちゃって見れなかったの。人が否定されてるのも見れなかった」)と語る光浦は、距離をおけたからか、カナダでは日本のゴシップ情報が好きになったという。欧米に行って開明的な私に、みたいなシンプルな話でもない(あるいは、そんなシンプルな見方を退けるためのエピソードだったかもしれない。いや、そんな意図はなく、単に面白いエピソードを話しただけだとも思うが)。
いずれにせよ、人格が広がったと語る光浦。人格が「変わる」ではなく、「新しい自分になった」でもなく、自分のなかに前からあった部分が「広がる」という言葉の選択に節度のようなものも感じ、そこに光浦の変わらなさを見たりもする。
さて、「長いこと閉じてた人格が広がった」という光浦の話を受け、若林は「もちろん仕事で求められたキャラを出すじゃないですか。結構プライベートまで侵食してきてんのかもしんないですね」と語った。これを聞いた大久保が反応する。
「ホントの自分がわからなくなる。ホントの自分をどこに置くかわかんないけど、小学校のときにそんなにしゃべるほうでもなくて、なんならそれこそ動物が好きでみたいなのが、やっぱりテレビでちょっとした小ネタで悪く言う、なんならサービス精神できつい言葉を言う、それのほうの時間が長くなってきてるから、それを言うほうのが私になってる気がする」
で、ここから若林が「俺も加害者の意識がちょっとあるのが」と語りはじめ、番組で若いアイドルと対立構図をつくり笑いをつくれるのは大久保ぐらいしかいないので、自分がMCだったとしたらどうしても振ってしまう、「俺が(きつい言葉を)言わせてる」とちょっとした反省の弁のようなものを述べるのだが、大久保はそれに対して「(私をこうしたのは)お前のせいだ……!」とボケ気味に返し、さらに光浦も「昔は優しい子だったよ……」と乗っかる流れが、いろいろ考えさせられつつ面白かった。
環境にあわせて個人は変わっていく。人格のようなものも周囲にあわせて、ある面が広がったり狭まったりしていく。そうやって環境と個人があまり大きな齟齬なく重なっているような状況を、私たちは何気ない“日常”と呼んでいるのかもしれない。
だからこそ、そんな何気ない日常を突き破るような異常な動きを普段着で、敬語で見せる有吉が面白い。日常の地平で異常をやることの異常。面白さもまた多面的なものだとしたら、そんな有吉を見るときの面白さは畏怖と呼べるような面をいくらか含んでいるのではないかと思う。
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