『どうする家康』とは違う? 史実における瀬名と信康の最期と、信長の判断
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家康の非情な決断の背景にある、信長を悩ませた相次ぐ謀反
『三河物語』は『改正三河後風土記』とはかなり異なる内容で、家康が築山殿と信康を殺す決断をするまでの経緯が説明されています。
このコラムでも何度もご説明したとおり、信長の娘・五徳姫は、義母の築山殿と夫の信康に関する告発状を信長に送るわけですが、この告発状を信長に届けたのが酒井忠次でした。信長は、その書状の内容を忠次に逐一確認するのですが、忠次がまったく否定しなかったので、築山殿と信康の罪を厳しく問わざるをえなくなったといいます。
さらに興味深いのは、この時期の信長は相次ぐ謀反事件に悩まされていたという背景があることです。まさに築山殿事件が起きた天正7年(1579年)の夏~秋にかけての時期には、信長はかつての重臣・荒木村重の謀反事件の決着もつけねばならなかったのですね。荒木村重はその前年の10月に信長に反旗を翻し、そこから長らく摂津の有岡城に籠城しました。これを知った信長は、村重の縁者にあたる黒田官兵衛などを含む使者を何人も送り込み、村重に翻意を促したのですが、最終的にかなり失礼な形で拒絶されるという憂き目に遭っています。
ドラマの信長なら「裏切り者は決して許さん!」と怒鳴り、謀反発覚直後に大軍で有岡城を取り囲むよう命じそうなものですが、史実の信長は慎重派でした。お気に入りだった村重に対して信長は、交渉の最終段階においても「お前の命と引き換えに、家族と部下たちの命は救おう」という、ある意味で寛大な処置を提案したものの、村重はまるで耳を貸さず、(ほぼ)単身で城から脱出して姿を消すという、かなり卑怯な逃亡事件を天正7年の9月に起こしています。この村重の態度にはさすがに信長も激怒し、有岡城に残された人々は女子供、老人を問わずにほぼ全員、見せしめとしてなぶり殺されました。
そうした恐ろしい部分だけを見て、信長に対して(ドラマのように)パワハラの暴君というイメージを後世の我々は抱きがちなのですが、実際はその悲惨な結果に至るまでに、信長が何度も粘り強く長い時間をかけて停戦交渉を行っていたという事実があることを忘れてはいけません。
そもそも一次史料の信長には、はっきりと確認できるパワハラ・モラハラ事件の記録がありません。明智光秀が本能寺の変で信長を討ち取った直後に、謀反人と呼ばれることを避けるために「以前から、私は信長から足蹴にされていた」という噂を流させたという記録があるぐらいなんですね。『どうする家康』には明智光秀も登場していますから、信長のパワハラ問題の実像については、その時また詳しく取り上げる予定です。
少々脱線しましたが、『三河物語』において、五徳姫からの書状に驚きながらも、まずは酒井忠次に真偽を問いただそうとした信長の冷静な姿には、荒木村重の謀反事件発覚時の対応とも重なる部分があり、実際の信長の反応に近い記述なのではないかと筆者は考えます。
『三河物語』と並んで良質の史料だといわれる『松平記』には、五徳姫からの告発状の内容が掲載されています。五徳が娘を2人続けて産んだら、築山殿と信康が男子が生まれないことに立腹し、それがきっかけで夫婦仲も悪化したと説明されているのは興味深いですね。
『三河物語』同様に、『松平記』においても酒井忠次(たち)は、信長の聞き取りに対し、信康や築山殿の不品行や謀反の疑いをまったく否定しなかったために、家康は彼らの殺害命令を出さざるをえなくなったとしていますが、『松平記』において注目すべきは、信長が「彼らを殺害しろ」とまでは命じていなかったという点です。
『松平記』での信長は、「いかようにも存分にせよ(=家康殿の思うがままにしなさい)」とだけ言ったのに、家康は、信康だけでなく築山殿の命まで奪ったわけです。家康がそこまでの厳しい対応を取ったのは、荒木村重の謀反事件が同時期に起こっていたこともあって、信長にはよりハッキリと忠誠を誓う必要があると考えたからかもしれませんね。
『三河物語』『松平記』は江戸時代初期に成立した書物ですが、それよりも少し前に成立したと考えられる『安土日記』(太田牛一による『信長公記』の原本)や、家康の家臣・松平家忠による『家忠日記』にも、信康が父・家康に謀反を企てたという「噂」が書かれていることは注目されます。
ドラマでは築山殿が信康や家康のことを思って行動していますが、やはり史実の築山殿は夫・家康を忌み嫌い、息子・信康を味方に引き入れて武田家と手を組み、クーデターを企てていたことが発覚して罰せられた……というのが、築山殿事件の真相に近いような気がします。この事件の悲しい結末は、ドラマではどのように描かれるのでしょうか。
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