維新議員が立憲議員に砂をかけて終わった「立憲・維新突然の共闘解消」
#日本維新の会 #立憲民主党
国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。
6月21日、通常国会が閉会しました。政府が提出していた61本の法案のうち59本が成立するなど、与党の存在感はまあまあ示せましたが、永田町の空気は重いです。いつもなら閉会後は「飲みに行くぞー」とか「夏休みはどの時期に取ろうかな?」などと秘書仲間たちはルンルンして雰囲気も明るくなるのですが、今年はなんだか冴えない顔が目立ちます。
理由は、6月の解散はなかったものの、これからどうなるのか、まったく読めないからです。野党の議員たちは、秋に解散総選挙があるだろうと秘書たちに準備を命じ、平時は議員会館勤務の秘書を7月から地元に入れて臨戦態勢に入ったからです。自民党や公明党も関係悪化で対立候補の擁立が相次ぎ、焦っているので、秘書たちに準備を指示し、ゆっくり休めそうな雰囲気はありません。
しかし、前回の総選挙(2021年10月)から2年も経っていないのですから、岸田文雄総理は今回のように、今年中の解散総選挙は考えていません! と明言してくれたらいのになぁと妄想しています。
維新・立憲の共闘解消に「聞いてないよ!」の声
そしてもう一つ、2022年9月に突然スタートした立憲民主党と日本維新の会の国会内での「共闘」が終わったこともかなりの衝撃でした。国会閉会後の21日16時過ぎ、維新の馬場伸幸代表が会見で「立憲民主党との政策共闘が今国会限りとなる」と発表したのです。共闘は一部の幹部だけで進めた話だったので、本当に突然のことで、両党の議員だけでなく他の国会議員たちもかなり振り回されました。そして、終焉も唐突でしたね。
もっとも、前から予測はできました。5月には立憲の安住淳国会対策委員長による「自民の後ろをついていく金魚のフン」発言とか維新の遠藤敬国対委員長の「共闘ご破算したいならお好きにどうぞ」発言とかが報じられていました。というか、以前は維新の懲罰王こと足立康史議員が公然と立憲を批判していましたしね。委員会での発言について、立憲から懲罰動議を出されて謹慎にもなったほどです。
当時はバチバチって音が聞こえてきそうなくらい、関係が悪化していました。そんな状況だったのに、安住委員長から持ちかけた「政策合意」ですから、党内で理解が得られなかったのも仕方なかったかなと思います。
6項目の合意文書を結んだ政策合意ですが、文中に「共闘」という言葉があるので、「いずれは選挙協力もするのではないか」との観測が広がり、これまで議席を激しく争ってきた議員らを中心に動揺が走ったのです。
立憲の党内では「安住委員長が自分の選挙区(宮城5区)に維新の候補を出させないために進めたんだろう」とまで言われ、批判されていました。安住委員長は、前回の総選挙で自民党から出馬した元アイドルの森下千里さんと一騎打ちで戦い、2万票差で勝ちました。安住委員長が勝てたのは野党統一候補だったからで、突然の共闘宣言には「今後も統一候補で出たいからでしょ」と呆れる議員が多かったです。
結局、この政策合意で利があったのは維新の方だけだったように思います。維新は昨年10月の総選挙で議席を増やすまで11人しかいなかったので、衆議院で議員立法の提出に必要な20人に足りませんでした。選挙後41名と4倍になったものの、予算を伴う議員立法の提出に必要な50名には届きませんでした。それが、立憲との政策合意によって予算が伴う議員立法も提出できるようになりました。
新人議員ばかりの維新にとって、経験豊富な立憲の議員とともに議員立法を作成から提出までのプロセスを経験することは、とても勉強になったと思います。また、11人だった時は、衆議院の常任委員会でも、議員の少ない維新は各委員会の委員に1人しか所属できず、理事を出せませんでした。理事の交代には委員会の承認が必要になるほど重要な役職で、出席できない時に他の議員に代わりに出てもらうこともご法度です。
理事を出せない維新は「オブザーバー」として議員は陪席するだけで、委員会運営にもノータッチでした。しかも、よく自己都合で欠席し、仲良しの議員に代わりに参加してもらっていました。所属委員でもないのに理事懇談会などに陪席するわけですから、はじめは職員のみなさんも戸惑っていました。
そして、41人に増えた後に初当選の1年生議員が責任の重い理事になったのですから、本来はすごく混乱が起きたはずです。そういう維新の議員たちに対して、立憲は野党筆頭理事としてノウハウを伝授し、情報もすべて共有してきました。ましてや、立憲の予算で各委員会の立憲と維新の議員で懇親会まで開催し、世話をしています。維新は、世話を受けるばかりだったのです。
最終的には憲法や安全保障など基本政策の違いが決定打となって会期途中で破局を迎えてしまいましたが、維新が混乱なく国会運営をしてこられたのは、間違いなく立憲のお人好しな議員たちのおかげでもあるのです。
解散総選挙の気運が高まっていなければ、もう少し関係は続いたかもしれませんが、選挙戦略では妥協が難しかったのでしょう。党の存在意義がかかっていますからね。
最初からうまくいくわけないとみんなわかっていた立憲と維新の共闘生活でしたが、ひとつの通常国会を経験し、様子はわかったからもうあんたらは必要ないと、維新の1年生議員たちが立憲のお人好し議員たちに砂をかけて巣立っていったというのが真相です。
共闘は終わっても利用はする不思議
維新はLGBT法や内閣不信任案で国民民主党と足並みがそろう場面が目立ち、「立共」「維国」という野党が2ブロック化したのかなあと見える部分もありました。でも、政策面はそうともいえないようです。6月16日には、立憲と国民民主と社会民主党と共同で、議員立法「公務員制度改革関連5法案」を衆議院に提出しています。また、14日にも立憲と維新が共同で「公文書管理法改正法案」(「公文書等の管理に関する法律の一部を改正する法律案」)及び「公文書院設置推進法案」(「公文書等の管理の適正化の推進に関する法律案」)を衆議院へ提出しました。
これまで進めてきた議員立法だからということなんでしょうか。「共闘は終わったはずなのに、共同提出ってねえ……」と思いながらニュースを見ていました。ほんと、永田町の人間模様は複雑怪奇なのです。長年の住人である神澤もまだまだ理解しきれません。
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