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街裏ぴんく「ウソ漫談師」の「ウソなし」半生と音楽

街裏ぴんく「ウソ漫談師」の「ウソなし」半生と音楽の画像1
撮影=二瓶彩

 フィクションを“ほんとうのこと”にしてしまう言葉の魔術師、それが街裏ぴんくだ。突拍子もないワンダーな空想も、彼の話術にかかれば脳内映像として勝手にプレイされ、気づいた頃には観客は笑いの渦の中で溺れていく。

 ウソ漫談という、虚構と事実の境目を曖昧にしていくファンタジックなネタで、お笑いファンのハートをがっしりと握りつぶす街裏ぴんく。そういえば、ネタ中にその魅力的な歌声もしばしば披露する。知る人ぞ知るオリジナルソング『チャーハンの歌』なんて歌ネタも持っている。

 街裏ぴんくに音楽とのかかわりについて聞いてみたい。今回だけは、ウソは封印して。そうお願いして話を聞いていくと、芸人・街裏ぴんくの原点に歌があったことがわかった。

R & Bシンガーだった高校時代

街裏ぴんく「ウソ漫談師」の「ウソなし」半生と音楽の画像2

──ウソ漫談という唯一無二の芸風で活躍している街裏さんですが、漫談の中でもよく歌いますし、歌ネタもあったり、そもそも音楽と近い距離感でやってますよね。

街裏ぴんく(以下、街裏):そうですね。そもそもお笑いのルーツも音楽的と言いますか。幼稚園のときにけっこうイジメられてて、小学生に上がってもけっこう真っ暗な少年時代だったんですけど、小4のときにクラスの「お楽しみ会」でなんかやらんとアカンってときに、藤井隆さんの定番ギャグ「ホットホット!」やったら、おもろがってもらえて。そこから友達ができ始めたんですよね。それまでガリガリやったのに、体重も増えだしました。幸せ太りですね。

──お笑いに救われた。

街裏:ホンマにそうですね。でも、すぐお笑いをやろうって感じでもなくて。むしろ歌いたい気持ちのほうが強かったんですよ。それで高校2年生のときに、のちに漫才でコンビを組む平田が「夜のクラブでラップやってるから、一緒に歌ってみいひん?」って誘ってくれたんです。平田は今も大阪でラッパーとしてYoung Yujiroって名前で活動してますけどね。

──何を歌ってたんですか?

街裏:もともとEXILEとかCHEMISTRYみたいなR & Bが好きだったんで、その系統ですね。ボーイズIIメンとかメアリー・J. ブライジのトラックに、オリジナルのメロディと歌詞をつけて歌うってことをしてました。レコード屋さんとかで視聴して、この曲に次はメロディと歌詞載せようってやってましたね。

──もともとCHEMISTRYとか好きだったというのは、なんか意外です。

街裏:川畑(要)さんにめっちゃ憧れてて、あの人のマネして、真っ黒の革ジャンに真っ黒のネックレス着けて、水泳帽かぶってましたよ。でも結局、クラブカルチャーに馴染めなくて、そんなに続かなかったですね。パリピ的なノリに合わない。そもそも僕、ステージに出ていくとき「どうもー!」って言ってましたからね。

──芸人じゃないですか(笑)。

街裏:それで5分くらい小話するんですよ。“パリピ”って一緒くたにするのもアレですけど、そういう人らと、根暗な自分の距離を埋めるために、曲を聞いてもらう前に話をしようと。今思うと、そのときからすでにウソ漫談やってるんですよね。「今朝、トースト食べてたら、天井裏から紫色の忍者が出てきて、『トーストくれ』って言われたんですよ」みたいな話をして。クラブのみんなはどんな感情で聞いてたんでしょうね。場所が場所やから、キマってると思われてたかもしれません。

──街裏さんの人生には、常にウソ漫談と歌があったんですね。

街裏:考えてみるとそうですね。藤井隆さんのネタから始まってね。

──最近は、シンガーソングライターのスカートとツーマンを開催したり、来月はピアニストの清水ヒサユキさんと「PINK×PIANO」というコラボライブをしたりと、音楽とまた接近してますよね。

街裏:スカートの澤部(渡)さんとのツーマンは本当楽しかったですね。弾き語りと漫談を互いに打ち合うのみならず、僕の漫談に出てくる歌を澤部さんが歌ってくれはったりと濃厚に絡み合う形で、新しいライブをお客さんに見せられたのかなと思います。7月9日に清水さんとやる漫談×ピアノの試みもずっとやってみたかったんですよ。

──どういう形になりそうですか。

街裏:僕の独演会で漫談の合間にピアノ演奏してもらったり、最後の大ネタでピアノの音色の上で漫談させて頂いたり、さらにもっと魅力的な形で漫談とピアノを本格的に融合させれたらなと。

──音楽とのコラボレーションで、街裏さんのウソ漫談がお笑い好き以外にも伝わるといいですよね。

街裏:ほんとそうですね。僕自身、漫談を聞いてさえもらえれば、惹きつけられる自信はあるんですよ。でも、どうやってライブに来てもらうかが問題で。そこで音楽好きなお客さんの前でも漫談をやれるっていうのは非常にありがたいですね。

──個人的に、街裏さんの『チャーハンの歌』が大好きなんですよ。これはいつ頃できたんですか。

街裏:これは芸人になってからです。ある作家の方に「漫談がおもしろいのはわかったけど、もうちょっとわかりやすいネタも作ってみてよ。歌上手だし、歌ネタとかどう?」って言われて、「うるさいわボケ、漫談聞けや!」って腹立ち紛れに作ったんです。これはもうメロディも丸パクリの替え歌なんですよ。

──「パラパラのチャーハンを分けてどうする/別け隔てなく」のフレーズに元ネタがあるんですか!

街裏:もともと持ってたレコードのピッチを上げて、それに合わせて歌詞を創作して。でももうなんのレコードだったかもわからなくて。だから自分でも元ネタを知りたいんですよね。歌ネタは結局『チャーハンの歌』を超えるのができなくて、もうあんまり作ってないんですけど、また作れたらいいなと思ってますよ。

上京後、ピン芸人として修行を積んだ浅草のリトルシアター

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──6月24日には、15回目となる独演会『Little theateR』を浅草で開催しますね。

街裏:この独演会はけっこう胸アツなんですよ。自分の“原点”になった修行の地・浅草で、大勢のお客さんを集めて、ひとりでネタできるのが本当に感慨深くて。

──浅草で下積みされてたんですね。先ほどおっしゃられていたように、最初は漫才をやってたんですよね?

街裏:そうですね。平田とコンビやってました。僕が主にネタは作ってて、もう今のウソ漫談に近い“ファンタジック漫才”やってましたね。昔、ダウンタウンさんの『ガキ使』(日本テレビ系『ガキの使いやあらへんで』)に、ハガキトークってあったじゃないですか。松本さんがハガキに合わせてウソをあくまでも本当っぽく話すやつ。ああいう感じでしたね。

──すでに今の芸風に近かったんですね。事務所には所属してましたか。

街裏:いや、アマチュアでしたね。ライブも多くて月5本、そんなに活動してるってわけじゃなかったです。結局、平田とのコンビは3年で解散しました。結局、平田は音楽のほうが楽しくなってきたんでしょうね。お笑いへの熱量に差が出てきたんで、「俺ピンでやるから解散しよう」って言いました。

──そこから漫談をやるんですか。

街裏:ピン芸人になってから1年くらいはフリップネタでした。ポスターの写真を見せて、それにツッコむみたいな。フリップ思いっきり投げて、キレまくるみたいな芸風で。でも、ピンになった途端ウケ始めたんですよ。漫才やってたときは3年間スベったことしかなくて自信失いかけてたんですけど、1人になって「俺のお笑いは間違ってなかったんや 」って思えた。とはいえ絵が下手くそなんでフリップは限界あるなと思って漫談に変えましたけど。

──漫談は最初から“ウソ漫談”だったんですか。

街裏:途中からウソ漫談もちょっとやり出しましたけど、最初はぼやき漫談でした。フリップのときと同じで、いろんなことにぼやくというかキレる。大阪って日常的に「なんじゃおらー!」とか言ってるおじさんがおるんですよ。そういう感じで理不尽にキレるのがウケましたね。でも、2012年に上京してきたら全然ウケへんかったんです。こわもてがキレるって、東京では笑われへんねやって気づいて。もともと太めやったんですけど、ウケないストレスでさらに太ったのがこの頃ですね。

ベタの大切さを学んだ下積み時代

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──大阪で手応えを得たのに、東京でまたイチからスタートするのはしんどいですね。

街裏:でも、結果的にそのあとの下積み期間があったから足腰鍛えられたなっていうのはあります。全然ウケへんなーっていうときに、後輩に誘われて、浅草のリトルシアターに出始めたんですよ。

──次の独演会のタイトルにもなっている劇場ですね。

街裏:そうです。浅草には浅草演芸ホールとか東洋館とかお笑いの聖域がありますけど、そこから数十メートル離れた雑居ビルにリトルシアターがあって。その名の通り本当に小さいんですけど、そこで4年くらい修行してましたね。1日3~4回出させてもらって、それを週5でやってました。

──リトルシアターでの下積みはどんなネタをしていたんですか。

街裏:ベタなことを全部やりましたね。観光客とかお年寄りが多い劇場なんで、本当にわかりやすいことをしないとウケない。例えば「僕はお笑い芸人で、こうやって売れてないと『お金ないんでしょう?』とかって言われるんですけど、実は僕、お金持ちなんですよ。ビルも2つ持ってるんです。……上唇と下唇なんですけどね」とか言うと、みんな笑いはるんです。でも、こんなこと今までの自分だったら絶対言いたないんですよ。

 そんなベタなこと言うのは、それまでの自分だったら自意識が許さなかった。上唇と下唇でウケるなんて恥ずかしいんですよ。でも、浅草リトルシアターって、いわゆるお笑いライブシーンとは隔絶した離れ小島だから、そういうベタをやっても、誰にも後ろ指さされない。それでやれてましたね。

──そこでベタの大事さを学んだ。

街裏:そうです。ほかにもお客さんとコールアンドレスポンスしたりしてました。「僕は英語力が?」「ない!」、「学力も?」「ない!」、「街裏ぴんくは才能が?」「ない!」「誰が才能ないねん!」みたいな(笑)。お客さんに声出させると、会場がわっと盛り上がって、そのあとの漫談もウケやすくなるっていうのはここで学びましたね。ここで話術の基礎を学んだんで、それがなかったら今のウソ漫談も全然ウケてなかったと思います。

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