切り抜き動画は誰のため?コメディが簡単に国境を超える危うさ
#スタンダップコメディ #Saku Yanagawa
今アメリカでひとりのスタンダップコメディアンが発したあるジョークが、国際問題にまで発展している。
渦中にいるのはニューヨークを拠点に活動する女性コメディアン、ジョセリーン・チア。元々はシンガポール出身の彼女だが、若くしてアメリカに渡り、市民権を取得。弁護士として活動したのち、スタンダップコメディアンに転身した。
これまでコメディ専門のケーブルテレビ「コメディ・セントラル」に出演を果たすなど順調にキャリアを積み重ね、現在はアメリカ国内でもっとも権威のあるコメディクラブのひとつ、ニューヨークの「コメディ・セラー」にレギュラー出演している。
問題となったのは彼女が、今月6日に自身のSNSにあげた一本のライブの切り抜き動画だ。近年、コメディアンが自身のライブ映像のネタの一部を切り抜き、そこに字幕をつけるなどの編集を施してインスタグラムのリールやTikTokなどにアップするのが、トレンドとなっている。
チアはこの日、自身が「これまで100回は言ってきた」という鉄板ネタを「コメディ・セラー」の観客の前で披露した動画を投稿した。
「マレーシア、よく聞きなさい! あんたたちは私たちシンガポールをバカにしてくるけど、あなたたちの飛行機は飛べやしないじゃない」
2014年、上空で消息を絶ち、未だに見つかっていないマレーシア航空のMH370便をネタにしたこのジョークに、客席はどよめきと笑い声の合わさった反応を見せる。するとチアはこう続けた。
「ほらね、こんなジョーク、ちっとも笑えないでしょ。ときにジョークはこうやって『落としどころ』がわからないものなのよ」
と、「land」という「着陸」を意味する語と、話の「帰着点」を表す語をかけてオチにしてみせた。これには会場も拍手で応えた。
だがこの様子を収めた動画が公開されると、本国アメリカではなく、ジョークにされたマレーシアを中心にインターネット上で大きな批判が巻き起こった。
そして9日には、マレーシア国内の最大政党である統一マレー国民組織(UMNO)の青年部をはじめとする100人超のデモ隊が、クアラルンプールのアメリカ大使館を囲む抗議運動にまで発展した。
また、MH370便の乗客の多くが中国籍だったこともあり、中国でも大きな批判を呼んだ。
こうした状況を受け、シンガポールのビビアン・バラクリシュナン外相は「彼女はシンガポール人の代弁者ではないし、彼女の恐ろしい発言には愕然とする」とツイートした上で、マレーシアの人々にも謝罪の意を示すという異例の事態となった。
チア本人もCNNの取材に答え、
「このジョークの本意はマレーシアとシンガポールの両国の歴史と、そこから来る友好的なライバル関係に起因するもので、決してマレーシアの人々を故意に傷つける意図はなかった。でも、自身でネタ動画を切り抜いてアップすることで、ジョークが異なる文脈になりかねないことに対しての配慮が足りなかった」
と述べ、自身のSNSを閉鎖した。
もともと同一国家であった両国だが、1965年のシンガポール独立以来、別々の道を歩み、シンガポールがIT立国として先進国の仲間入りを果たした一方、マレーシアは未だ発展途上だという見方もなされる。日常会話のレベルでも、両国に出自を持つ人々が互いにジョークにし合う様子が、アメリカ国内ではよく見られる光景だ。
スタンダップコメディの分野でも、両国に居住経験のあるロニー・チェンや、マレーシア出身のナイジェル・ンーがそれぞれの国々をジョークにして笑いを取ってきた。互いをいじりあうこうしたジョークは「Roast」と呼ばれ、多民族国家アメリカでは特に受容されてきた歴史がある。
今回のジョセリーン・チアのジョークが「犠牲者」を含む事故をネタにしたものだったという点で、その批判をめぐり議論の余地はあるだろう。しかし、過去の事例と比較しても、なぜ彼女のジョークはこれほどまでに炎上し、国際問題にまで発展してしまったのだろうか。
その根底には、SNSというグローバルなプラットフォーム上で拡散された、切り抜きの動画だという要素が大いに関係しているように思えてならない。
そもそも、この動画が撮影された「コメディ・セラー」は先述のように、全米随一のクラブとして知られているため、連日、観光客を含んだ多くの観客で賑わうが、客席の人種バランスで見ると、やはり白人を中心に構成されており、アジア人は圧倒的なマイノリティに分類される。そのため、マジョリティの観客を前に、舞台の上でジョセリーン・チアという「アジア系」のマイノリティ・コメディアンが、同じくマイノリティであるほかのアジア系を「いじり」ジョークにするという構成が、当日のオーディエンスにも共有されているからこそ、大きな笑いにもつながる。
しかし、コメディアンの姿と、観客の「笑い声」のみを切り取った動画においては、オーディエンスの姿は可視化されず、カメラに向かってチアが直接ジョークを投げかけるさまが鮮明に映し出される。この空間に居合わせなかった視聴者が、自身のスマートフォンでこのネタを鑑賞する際、居合わせた観客という存在は不在となり、不可視化されるため、ジョークのえぐみは幾分も増すことが見て取れる。
そして、そのジョークが、日常的に行われているアメリカのコメディの文脈、文法を共有していない別の国々にインターネットを通して瞬時に伝播することで、大きな齟齬、批判が生じるという可能性に、動画の投稿主であるコメディアン自身が無自覚だったと言わざるを得ない。
アメリカ国内で日々行われているマイノリティ同士のいじり合いが、国外で受容される際にその文脈を逸脱しうることを、チア本人が想定していなかったことは彼女のインタビューからも明らかである。
当然、チア本人に明確なマレーシアに対する敵意や差別意識があったとは思えない。しかし、本来であれば15分以上の持ち時間の中で伝えるジョークのコンテキストから、1分弱の動画を抜粋しただけでは、それを享受しうる、異なる文化の人々を不快にさせ、批判を呼ぶことは想像できたかもしれない。
ますます進むグローバル化の波と、デジタル化の波、そしてキャンセルカルチャーの波。こうした荒波の存在にコメディアン自身が、自覚的にならなければならない時代が訪れているのかもしれない。
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