バカリズムの脚本作品が持つ「あれって一番楽しかった」時間への郷愁
#テレビ日記 #飲用てれび
テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(6月4~10日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
バカリズム「友だちの家で朝までダラダラする時間ってもうなくなってくるでしょ?」
少し前に、Aマッソの加納がこんなことを言っていた。
「相方としゃべってるの見てるだけで、その人のことわかるやんか」
5月30日の『イワクラと吉住の番組』(テレビ朝日系)でのワンシーン、ピン芸人の吉住が「誰かと一緒に人生の結構大きな部分を占める仕事をできてる人たちは、その時点で人間のレベルが1個上だと思ってる」と、ピンから見たコンビのすごさを語ったときの発言だ。対して、加納のピン芸人の大変さをコンビ芸人の立場から語る。
「私がたとえば(相方の)村上にムカついて『なんやねんお前それ!』って言ってるの見せるだけで『私はこれにムカつくやつなんや』っていうのを発信してるわけよ。でも、そういうことを吉住は意図的に全部発信に変えないとアカンから。吉住という人を、人に渡す作業が2倍なんよな」
自分がどういう人間なのか。それを見る者に伝えるには、コンビであれば相方とのやり取りを見せれば済む。相手への反応が、自己紹介になる。他人が自分の鏡になる。相方が自分のエピソードを話してくれたりもする。対して、ピン芸人は人となりをほぼすべて自分から発信しないといけない。だから、吉住は言う。
「私はずっとコンビってズルいなって思って見てる」
一方、5月30日と6月6日の2週にわたり、『アンタウォッチマン』(テレビ朝日系)でバカリズムが特集されていた。テレビのバラエティ番組や単独ライブはもちろん、大喜利やドラマなど、バカリズムの活躍は多岐にわたる。幼少期からの来歴からネタや脚本の作り方まで、彼は自身の言葉で語っていた(周辺の関係者の証言もあったけれど)。
たとえば、ドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)でもそうだったが、自身の脚本に会話劇が多い理由を次のように語る。
「みんな家庭とかできてそうなると思うんですけど、友だちの家で朝までダラダラする時間ってもうなくなってくるでしょ? 思い返すと、結局あれって一番楽しかったみたいな。その願望が今でも残ってるのかも」
友だちの家で深夜までずっとしゃべる。何が起こるわけでもない。が、ずっと笑っている。その時間が一番面白かったという記憶と、そんな楽しい時間に戻りたいという願望が、脚本の会話劇に反映されているのではないか。バカリズムはそう自己分析する。『ブラッシュアップライフ』では会話劇の面白さがしばしば指摘されたけれど、なるほど、何も起こらないけれど楽しかった時間への郷愁みたいなものが、視聴者と共振したのかもしれない。
バカリズムのネタにはパッケージ感がある。世界観、構成、演出、演技など、さまざまな要素が美しく組み上がっている感。単独ライブになるとなおさらだ。その漏れのないパッケージのなかで、私たちは安心して笑う。あるいは、そのパッケージの見事さに笑ってしまったりもする。それはおそらく、Aマッソ・加納が言っていたような、バカリズムという人を他人に渡すための2倍の作業を、やっている結果なのだろう。
加えて、上で引用した会話劇についての説明のように、バカリズムは自身のお笑いやそれ以外の仕事についても、その背景を結構自分でしゃべっている。論理的かつ説得的に。それもまた、バカリズムという存在、その人となりを見る者に渡すための、2倍の作業の一環なのだろう。その作業が、バカリズムの多岐にわたる作品をより楽しむための文脈を形作っていく。
バカリズムは私たちに、完璧にパッケージ化された作品を渡す。それだけではない。その作品を生み出す自分自身についても、見事に整理された形にパッケージ化して渡すのだ。
柳沢慎吾「朝に打ち合わせしたのよ。カット割り全部」
『アンタウォッチマン』では、いとうせいこうもVTRで出演していた。バカリズムを若手のころから注目し、自身が関係する番組などに積極的に出演させてきたいとう。そんないとうは、バカリズムの大喜利の仕方について次のように語った。
「あるとき、どういうふうに大喜利してるの? って聞いたことあるけど、升野はそれが本当の正解かどうかはちょっとわからないけど、捨てるってことを早くするって言ってましたね」
たくさん思いついた回答のなかから、捨てるものを早く選ぶ。そうすることで、よりいい回答が浮上してくる。『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)などでも、バカリズムは自身が書いたいくつかのフリップのなかから選んでいる様子が見て取れる。何を捨て、何を残すか。バカリズムの大喜利は編集だといとうは語る。
なるほど、大喜利だけでなく、ネタにしても脚本にしても、あるいはバカリズムの人となりにしても、それが美しいまでに整理されて組み上がっているように見えるのは、多くの発想のなかから何を選ぶかというより、何を捨てるかをまずは意識した結果なのかもしれない。そういう作業のためには、まずはたくさんのアイデアが物量としてなければいけないわけなので、常人がすぐに飛びつけるような“発想法”とか“自己プロデュース術”とかには到底ならないわけだけれど。
一方、削るというより盛って盛って盛りまくっている様子がワンパッケージで面白い、という場合もある。
最近、柳沢慎吾をテレビで見る機会が増えているような気がする。『ぽかぽか』(フジテレビ系)や『徹子の部屋』(テレビ朝日系)、『ベスコングルメ』(TBS系)などで見た。6日には『ラヴィット!』(TBS系)にも出演していた。
で、どの番組で披露しているのがアレだ。警察24時とか、甲子園の中継とか、そういう場面をひとりですべて演じる芸のようなもの。とにかく「あの柳沢慎吾の甲子園のやつ」としか言えないアレ、少なくとも今では似たようなことをテレビでやってる人があまりいないアレのことだ。『ラヴィット!』では「ひとり再現界のレジェンド」とテロップで紹介されていたけれど、番組側もアレをなんと呼べばよいのか苦心した跡が見える。「ひとり再現界」なんて界、どこにあるのだ。
で、当然、『ラヴィット!』出演時にもアレを披露していた。しかも、警察24時と甲子園の2本立てで。今回はモグライダーの芝大輔らを巻き込む場面がありつつも、いつものように登場人物や効果音などほぼすべて自分ひとりで演じていく。引き算した様子が見当たらない、さまざまな要素を全部足し算してお届けする例のアレ。当然面白い。間違いなく面白かった。
なお、彼が俗に「ひとり甲子園」などと呼ばれる芸をはじめてテレビで披露したのは『徹子の部屋』らしい。その後、ほかの局でも呼ばれてやるようになったが、長すぎてカットになることも多かったのだとか。『徹子の部屋』での初披露時は、10分もやっていたという。『ラヴィット!』では2~3分程度だったけれど、本当はもっとあるのだ。これでも引き算していたのだ。
さらに、彼がひとりでやっているのは、テレビで見せる芸だけではない。
「朝に打ち合わせしたのよ。カット割り全部」
すべての芸を終えたあと、柳沢はそう語った。スタッフを集めた打ち合わせの場で、カメラのカット割りもふくめて、すべて自分で演出したらしい。彼がひとりでやっているのは、甲子園球場のあれこれの再現だけではない。カメラでどう映すのか、そこも自分でやることまで含めて「ひとり甲子園」であり「ひとり警察24時」なのだ。もちろん柳沢はピン芸人ではないけれど、これもまた、たったひとりで作品を世に出し、見る者に渡すための2倍の作業の賜物といえるのかもしれない。
「いい夢見ろよ。また見る日まで、あばよ!」
柳沢慎吾は、いつものようにそう言ってスタジオを去った。この去り際のセリフまで含めて柳沢劇場。ひとつのパッケージ。彼については、「テープを聞いてセリフを覚える竹内力」のモノマネも面白いので、ぜひ見てほしい。あと、柳沢慎吾の評については、内田有紀による「呼吸の回数よりしゃべる回数が多い方」(『ごごナマ』2018年2月6日)というのが好き。
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