何者かわからない出で立ちで爆笑の数々を生んだ「上岡龍太郎」の話術の破壊力
#上岡龍太郎 #馬鹿よ貴方は 新道竜巳
「私が上岡龍太郎です」でお馴染みの上岡龍太郎さんが5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のために亡くなったと発表されました。81歳でした。信念が強く、否定を芸風にしたといっても過言ではないくらい、しっかりした語り口と説得力がありました。トーク力が人一倍あり、幽霊や超能力者を絶対に信じず、番組的に乗るという行為も一切しなかったのが上岡さんでもありました。物事を否定し論破することでも、当時は有名だったと思います。話術のある芸人さんは必ず上岡さんに一目も二目も置かれていました。
公言通り、芸能界を2000年3月の58歳で辞めていったのも、今までないタイプの芸人さんだったのではないでしょうか。はっきりと物事を言う一方で、タバコをやめると言いながらも吸ったり、ゴルフをしないと言いながらもしたりと、矛盾も多くある方でした。
上岡龍太郎さんの事で記憶に新しい部分と言えば、2007年に「漫画トリオ」の一人、横山ノックさんが他界した時の弔辞があると思います。漫画トリオは横山ノック、横山パンチ(上岡)、横山フックの3人コンビで、1963年に横山フックさんが辞め、代わりに青芝フックさんが入りました。
上岡さんが久しぶりにテレビで弔辞を読んでいる姿を拝見できて、安心と少し年齢を重ねたんだなという風貌が目に飛び込んできました。弔辞は紙を持って読むわけではなく、まっすぐ横山ノックさんの遺影に向き合い話をしていました。気持ちいいぐらいの喋り口調と品のある笑いの取り方で葬儀が笑いに包まれる瞬間を見た時には、現役の時と変わらない姿に喜びと感動がありました。笑いの後に悲しさもこみあげて泣く上岡龍太郎さんの姿も映り、弔辞がこんなに印象的だったのは初めてでした。
笑福亭鶴瓶さんと読売テレビ放送の「鶴瓶・上岡パペポTV」に11年間出演していました。当時の超人気番組で、大阪城にて1万人規模の特番もありました。その番組の最後の放送が、ゲストに島田紳助さん、明石家さんまさん等が出演し、今までのテレビ番組ではないくらいの爆笑に次ぐ爆笑が起こり神回とされました。これは上岡さんへのリスペクトでもあり、自分もこれだけ喋れるという部分や、認めてほしいという欲求からのものなのかと思わされました。トークのスペシャリストにトークで挑んだ、さんまさん、紳助さんは後に大御所芸能人となりますが、覚悟と度胸と話術はお笑い史の1ページにしっかり刻み込まれたと思います。
上岡龍太郎さんのトークにはディテールの細かさがあり、笑いに誘われるまでのストローク振りの部分から聞き入ってしまいます。振りを聞き入るという事はオチがよりはっきりし、爆笑が生まれやすい話術が凄かったです。
日本テレビ系列「いろもん」にゲストで出演した時は、芸能界を引退する理由を「命がそこまで長くないから」と丁寧に説明し、全員が信じた頃に嘘と明かし、開場を笑いの渦に変えたこともありました。
1人だけでテレビに出て、テレビについて喋るという特番もありました。上岡さん以外では成し遂げられないんじゃないかという話術の数々、一見お笑い芸人には全く見えないスーツで白髪交じりの男という何者か分からない出で立ちも魅力の一つでした。知らない人が見たら、あれだけはっきりした滑舌で軽快に言葉が言えるのなら名物アナウンサーかと思っていた人も少なくないと思います。
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