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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 井口昇流フェティシズムを追求した映画
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.739

井口昇ワールドのヒロイン集結! 商業映画では描けない禁断の世界『異端の純愛』

井口昇ワールドのヒロイン集結! 商業映画では描けない禁断の世界『異端の純愛』の画像1
『片腕マシンガール』の八代みなせらが出演。井口昇ファンは見逃せない

 個性の強い映画監督たちの中でも、より際立った異能ぶりで知られているのが井口昇監督だ。劇団「大人計画」の役者として活動する一方、自主映画『クルシメさん』(98)や『恋する幼虫』(03)はレイトショーで注目を集めた。米国のビデオメーカーの依頼を受けて撮り上げた『片腕マシンガール』(07)は、ガールズアクションものの大ブームを呼ぶことになった。

 昭和特撮ドラマの世界をリブートした『電人ザボーガー』(11)や中川翔子主演のSFアクション映画『ヌイグルマーZ』(14)も、井口昇監督ならではの作品だった。身体や心の一部を欠損した主人公たちが現実社会に懸命に向き合おうとする姿が、井口作品では繰り返し描かれてきた。

 押見修造原作の同名コミックを実写映画化した『惡の華』(19)も充分にマニアックな作品だったが、井口監督自身によるオリジナル脚本の新作『異端の純愛』はいつも以上に振り切った内容となっている。井口監督がプロデューサーも兼任し、自主規制することなく、自身のフェティッシュな指向性を赤裸々に映し出した3話構成のオムニバスものだ。

 制作費・宣伝費ともにクラウドファンディングで募った『異端の純愛』は、これまでの井口昇作品を彩ってきたヒロインたちが集結している。

 小さな職場で起きるパワハラを題材にした第1話「うずく影」は、『ライヴ』(14)や『キネマ純情』(16)に出演した山本愛莉。片腕の女性に高校生が想いを寄せる第2話「片腕の花」は、『片腕マシンガール』の八代みなせ。共に幼少期のトラウマに悩む恋人たちの行く末を描く第3話「バタイユの食卓」は、『楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女』(05)と『ゾンビアス』(12)に主演した中村有沙。

 他にも『スレイブメン』(17)で正義のヒーローを演じたイケメン俳優・中村優一が意外な役で出演するなど、井口監督とゆかりのあるキャストが顔をそろえた。井口監督の想いにキャストやスタッフが賛同した、井口昇ワールドの集大成的作品だと言えるだろう。

「多様化」からもはみ出した愛の形を真摯に描く

井口昇ワールドのヒロイン集結! 商業映画では描けない禁断の世界『異端の純愛』の画像2
第1話「うずく影」のヒロイン・山本愛莉は第2話にも出演

 近年は若手人気キャストを配した『マジで航海してます。』や『覚悟はいいかそこの女子。』(ともに毎日放送)などの青春ドラマのチーフ監督を務めるなど、作風を広げつつ順調なキャリアを歩んでいた井口昇監督が、なぜこのタイミングで自主映画スタイルでの創作に挑むことにしたのだろうか。井口監督が2時間にわたり、『異端の純愛』に込めた想いを語ってくれた。

井口「映画監督として、自分は恵まれてきたと思っています。でも、コロナ禍になった頃から、『自分を丸裸にして晒すような作品をまだ撮ってないんじゃないか』と考えるようになったんです。監督は撮影する度に『カット。はい、OK!』とジャッジをするわけですが、その『OK!』は誰に対してのOKなんだろうかと思ってしまう時期もありました。プロデューサーが求めるOKなのか、視聴者が見たい場面としてのOKなのか勘ぐってしまったりしました。青春ものを撮っても、僕自身はキラキラした青春は経験していないので、本当にリアルな姿なのかは分からない。でも、職人監督としてもしっかりした演出をしていきたいので、自分の心の芯みたいなものを養いたいと思ったんです。だから『自分の中で何がOKなのか』を一度把握して作品として形に残さないと、先にいけない気がしたのです。

 それにコロナや戦争などで僕が死んでしまったら、僕の想いは何も残らなくなってしまうと思う気持ちが強くなってきたのもありました。そこで商業ベースではなく、完全なインディーズ形式で、僕自身がプロデューサーも務める映画をここで撮っておこうと決めました。劇場との交渉やクラウドファンド参加者へのお礼のグッズの手配なども、すべて僕が中心になって進めています」

 今回、井口監督が商業映画とは異なる形での制作を決断したのには、もうひとつ大きな理由があった。3つのエピソードは井口監督の実体験をベースに、本人が抱えているフェティシズムの世界が描かれている。どれもナイーブかつマニアックな題材であり、また世間的なモラルからは逸脱したものばかりだ。井口監督はプロデューサーを兼任することで、一種のカミングアウトを行なっている。

井口「最近はLGBT、性の多様化への理解が広まりつつありますが、そこにも入らない性的嗜好、フェチズム(フェティシズム)もあるわけです。世の中にはいろんなフェチがあって、そのジャンルの中でも人の数だけ『それのどこに惹かれるか』というポイントが違うんです。つまり“1人1フェチ”と呼べると思うし、求めるポイントがまったく同じという人はなかなかない。僕も50年生きてきて出逢ったことがないんです。だから人にフェチを説明するのは難しいんです。

 僕はアダルトビデオの監督をしていた頃にスカトロビデオを撮ってた時期もあったのですが、『井口さんはウンコを食べるのが好きなんですよね?』とよく誤解されました。僕が関心あるのは、排泄を我慢している人のリアクションやフォルム、恥じらっている心理状態なんです。それを伝えると『食糞する人を否定しているんですか』と反論されたことがありました。『そういうことではなくて、フェチジャンルの中でも、サッカーと水泳くらいに種類がまったく違うんで』と説明してもなかなか理解してもらえないことが多く、その度に孤独感に苛まれてきました。

 それゆえに今回の作品は『フェティシズムに惹かれてしまう人々』を外野の人からの見世物的な視点で描くのではなく、『どうして惹かれるようになったのか』という生い立ちと心理を主観的に描くことにこだわりました。僕の幼少期や思春期を正直に物語に取り込んでいるので、他人に見せることには勇気もいりました」

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