『どうする家康』家康の“お手付き”になる侍女・お万が登場! 瀬名とのトラブルはどう描かれる?
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家康は於万の方の“浮気”を疑った?
本来なら家康は次男の誕生を喜ぶべきところなのに、なぜそうはならなかったのか、その理由を『以貴小伝』や『幕府祚胤伝』といった史料は説明していません。於義丸を実子だと家康が認知したのは天正7年(1579年)の築山殿の死の後で、於義丸の誕生(天正2年)からすでに5年以上が経過しており、認知がこれだけ遅れたのには、正室だった築山殿が死ぬまで於万の方を側室とは認めなかったことが影響したとされます。家康が築山殿の嫉妬を恐れたともいわれますが、以前にも指摘したとおり、史実では築山殿は形式上の正室であり、家康との実際の夫婦仲は冷え込んでいたとみられますから、別居して久しい築山殿の意見に家康が左右されたとは考えにくいでしょう。むしろ、家康の中にあった於万の方への愛情がなんらかの理由で、ある時期を境に消失してしまったと考えるほうが自然な気がするのです。
家康が於万の方を一転して疎むようになった経緯を説明する史料は残念ながら見当たりませんが、『柳営婦女伝系』には興味深い一節が見られます。成長した於義丸=結城秀康が藩祖となった越前藩の史料に見られる情報として、「秀康君の母(=於万の方)遠州浜松城において懐妊のとき、東照宮の命に背きしことあり、夜中俄に城内より出で、本多半右衛門(=本多俊政)の伯母の許(もと)に行く」とあるのです。
妊娠した於万の方が起こしたトラブルなのですが、まずこの話の背景として、築山殿から岡崎城を追放された於万の方を家康が浜松城で受け入れたという説に則った逸話であることをご理解ください。ある日、於万の方は家康と深刻な喧嘩をしたことで、夜中だったにもかかわらず衝動的に浜松城を飛び出し、幼少時代から家康に仕える奥女中(本多俊政の伯母)の屋敷に行ったといいます。この奥女中は、無断で夜中に城外に出た於万の軽はずみな行動を叱責し、「早くお城に帰りなさい」と諭したのですが、於万は「それなら私は死にます」と自害をほのめかして帰ろうとしません。なんとか奥女中がなだめすかして、朝になってから(おそらく於万に同行して)浜松城に帰すと、家康からは何のお咎めもなかった……という話です。
家康は出ていった於万の方を探しに行かせることもなく、自分の子を宿した於万の方の不用意な行動を咎めることもなかったというのは、彼女やこれから生まれてくる子に対する無関心さを表しているといえるのではないでしょうか。同書によると、於万の方はその後ふたたび浜松城を出て、先の奥女中の屋敷に戻り、30日ほど後に双子を出産しました。
なぜ出産を間近に控えた大事な時期に、家康と於万の方は別居につながる大喧嘩をしたのでしょうか。『柳営婦女伝系』の原文には、彼女が「東照宮(=家康)の命に背きしことあり」と書かれているだけですが、この曖昧な記述が、江戸時代に一般化する「身持ちの悪い女・於万」の逸話のもとになっているのではないか、と推測されます。
どういう逸話かというと、於万の方は妊娠が発覚した時期に自分以外の男と会っていたと家康が疑い、その結果、於万は家康の寵愛を失い、於義丸に愛情が注がれることもなかった……というものです。この話に具体的な根拠はありませんが、本来なら愛情が頂点に達しているであろう、子どもが生まれる時期に関係がこじれ、そのまま没交渉で終わったというのは、家康との関係に何か決定的な亀裂が入ったとみるのが自然で、於万の不貞疑惑が囁かれても仕方ない気はします。正室の築山殿は家康と於万の関係にまったく気づいていなかったのでは、と先ほど指摘しましたが、これは逆にいえば、於万が人目を欺くことにかなり長けていたとも取ることができ、こうした部分も、他の男との関係を家康から疑われる理由になったのかもしれません。いずれにせよ、於万は出産前後の時点では家康からの関心を失っていたとみられ、かつての主人・築山殿だけでなく、次の後ろ盾になってくれるはずの家康からも疎まれたのは大ピンチだったでしょうね。
家康とその周辺は善良な人々として描かれることが多い『どうする家康』というドラマでは、他の歴史創作物では「悪女」として描かれることが多い築山殿(瀬名)ですら、「悪女とは真逆」で「家康をそばで支えるあたたかい女性、愛情深い女性」とされています。また、史実の家康もドラマのように心優しい人物とはいえない部分も多いわけですが、於万の方をめぐるトラブルは彼らの刺々しい一面がもろに見えてくる逸話であり、『どうする家康』はこれをどのように描くつもりなのか(あるいはまったく描かないのか)、興味津々です。
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