『わたしのお嫁くん』『隣の男はよく食べる』――今、ドラマが描く女性・仕事・家事とは
#ドラマ #わたしのお嫁くん
「男は仕事、女は家事」なんて前時代的な話だとはわかっていても、女である私は家事ができない自分を時々恥ずかしく感じることがある。こんなズボラな姿を見せたら女として見てもらえなくなるかもしれない――きっとそれは、私の中で“女らしさ”と“家事”が深く結びついてしまっているからだろう。一度染みついた価値観は、社会からも、自分の中からも、なかなかなくなってくれない。そう考えると、多くの男性もまた、筆者が“家事”という名の“女らしさ”で思い悩むように、稼ぎという名の“男らしさ”に何かしらプレッシャーを感じているのかもしれない。
こうした私のような現代人のリアルな違和感をドラマは見逃さない。ここ最近、“家事”はドラマが現代社会を描くための重要な役割を担っているように感じる。稼ぎ手として仕事に励む女性もいれば、主夫となる男性もいる。男性のためではなく、自分のために料理をする女性だっている。主婦の仕事としての側面だけでなく、より多角的に“家事”というものを見据えているように思うのだ。
例えば、今年の春ドラマでいえば『わたしのお嫁くん』(フジテレビ系)や『隣の男はよく食べる』(テレビ東京系)がそれにあたるだろう。両ドラマはどういう意図で“家事”を描いているのか。それぞれの制作スタッフに、作品に込めた思いを伺った。
『わたしのお嫁くん』性別は関係ない。相手を尊重し、苦手を補い合う関係
「男性は外で働き、女性は家事をする」というテンプレ的な性別役割分業に切り込んだドラマといえば、『私の家政夫ナギサさん』(2020年/TBS系)、『極主夫道』(20年/日本テレビ系)、『今夜すきやきだよ』(23年/テレビ東京系)などが記憶に新しい。そして、この系譜の最新作が、毎週水曜夜10時放送中の『わたしのお嫁くん』(フジテレビ系)だ。
大手家電メーカー「ラクーン・エレクトロニクス」で“営業の神”と呼ばれるエリート社員・速見穂香(波瑠)は、社内での気配りも完璧で、男性社員からは“理想のお嫁さん”と呼ばれている。仕事のためにやっているはずが、結婚相手や彼女候補としての評価に勝手につなげられてしまうというのはあるあるだ。しかし、彼女には汚部屋に住むズボラ女子という秘密があった。まあ秘密というよりも「私って部屋汚いですよ! 飲み掛けのペットボトルすら捨てないし、消費期限が切れたパンも普通に食べますよ!」なんて、わざわざ言う必要がなかったというだけな気もするが。
そんなこんなでON/OFFを使い分けていた速見だったが、ある日“神レベル”の家事力を持つ後輩・山本知博(高杉真宙)に汚部屋に住んでることがバレてしまい、かくかくしかじかで2人の共同生活が始まっていく。
これまで、仕事ができる女性像には“しっかり者だからきっと家事もできるはず”というある種の偏見が含まれていたように思う。本来、仕事と家事のデキはイコールでないし、そこには性別も関係ないはず。でも、働き方やライフスタイルがどれだけ多様化しても“女らしさ”や“男らしさ”を求めるまなざしもあるもので、私たちはそのしらがみと時々、対峙しなければならない。
こうした社会の現状をドラマはどう捉え、作品に反映させてきたのだろうか。『わたしのお嫁くん』プロデュース補・佐々木萌氏に話を聞いた。
――特に女性の場合、仕事と家事(家庭)を完全に切り分けることが社会的に難しいと感じるのですが、本作もそうした問題は反映されていますか?
佐々木萌(以下、佐々木):ドラマでことさら「仕事ができる女性は家事もできるだろう」という点を主張していた作品が多いわけではないかなとは思います。ただ、長い歴史の中で植え付けられている「理想のお嫁さん」の姿に、時代とともに増えている「バリバリ働く女性」の姿が、無意識のうちに共存しているために、そうした印象が反映されていたのかもしれません。
とはいえ、仕事と家庭の両立は完璧を求めれば求めるほど実際にすごく難しい問題だと思いますし、仕事の顔と家庭の顔が違うのは当たり前。だからこそ『わたしのお嫁くん』では、そういった素の部分まで愛せるようなキャラクターを描けるよう、キャスト、スタッフ一同頑張っているので、ぜひ応援してもらえたらうれしいです。
――「家事ができないこと」や「男性よりもキャリアがあること」は、女性にとって“結婚できない”要因として挙げられることが多々あります。主人公・速見のように、仕事のためにやったことが“女らしさ”としての評価になってしまうことも。そうした社会で生きる速見というキャラクターの見せ方について、スタッフさんの間ではどのような話し合いが行われていますか?
佐々木:おっしゃるとおり、現実社会でもこういった場面に直面している速見のような女性も多いと思います。ただ、キャリアを重ねていく上で、社会的な性別(ジェンダー)の“役割”から外れているというだけでマイナスな印象を持たれたり、周りからの嫉妬や妬みを買ってしまったり、評価対象が仕事の実力だけに限らない……というのは、女性に限った話ではないのではないかなとも感じます。これはこのドラマのテーマにもなりますが、家事が不得手な速見に限らず「苦手なこと=マイナス」として見せるのではなく、相手とそれを補い合うことにフォーカスするところをちゃんと見せたいという話し合いはよくしていますね。
――本作には、稼ぎ手となる女性=速見/主夫となる男性=山本がメインキャラクターとして登場します。視聴者への届け方について意識している点はありますか。
佐々木:わかりやすいテーマであるがゆえに、その点を主張しすぎるとある種の“押し付けがましさ”を生んでしまうとは思っています。このドラマは、性別関係なく、相手の得手不得手を理解し、尊重し、補い合っていこうということがテーマなのであって、“男も家事をしてください”、 “女は働いて大黒柱になれば、家事はしなくていいです”という事実だけを伝えたいわけではないんです。だからこそ、その点の見せ方、チューニングは意識しています。キャラクターが個性豊かで、キャストの皆様も魅力的に演じてくださっているので、何か嫌なことがあったとしても、このドラマを観てくださった方が心から笑い、ほっこりし、明日も頑張ろうかなと思ってもらえるような、そんな明るさとあたたかさが伝わったらうれしいです。
『隣の男はよく食べる』「いただきます」「ごちそうさま」のリスペクトと感謝
一方で、自分の作った料理を誰かに食べてもらうささやかな喜びが描かれたドラマも次々生まれている。『きのう何食べた?』(19年/テレビ東京系)や、『作りたい女と食べたい女』(22年/NHK)のほか、前述した『今夜すきやきだよ』にもそうした側面があった。これらのドラマにおける“料理”は、嫁ぐためでも相手に媚びるためでもなく、あくまで趣味(自分のためのもの)として存在する。
毎週水曜、深夜24時30分から放送中の『隣の男はよく食べる』(テレビ東京系)もまた、そうしたドラマの一つだ。
彼氏いない歴10年の35歳OL・大河内麻紀(倉科カナ)が、ひょんなことから隣の部屋に住む年下男子・本宮蒼太(SexyZone・菊池風磨)に手料理を振る舞ったことをきっかけに始まるラブストーリー。料理を通じた交流によって主人公の恋愛も展開していく(しかも年下男子は彼女の料理をどんどん欲していく)のだが、料理が“女性らしさ”の象徴にも、男性に尽くすためのものにも見えないよう工夫されていて面白い。あくまでも“誰かと一緒に料理を食べることの喜び”を描くことに徹底しているのだ。そこでは“料理ができる=いい奥さん”という安直なイコールからも距離が置かれているように感じられる。
近年、ドラマシーンでは、料理や家事ができる女性ならではの悩みにも焦点が当てられている。たとえば手作り弁当を会社に持って行ったら、同僚から“あなたはいい奥さんになれそうだね”と言われ、内心困惑するというキャラクターの心情も描かれるようになった。ただ作ることが好きなだけなのに、自炊をしなくても家計がうまく回るなら作らないのに──些細なことでも花嫁査定にかけられることに対する違和感を、視聴者に投げかけている。
では、『隣の男はよく食べる』は、料理と女性の関係性をどう描こうとしているのだろうか。本作のチーフ・プロデューサー山鹿達也氏に話を伺った。
──本作は、誰かのために料理を作ることの喜びを描いた作品だと感じました。それは女性の繊細な心の機微を捉えたセリフや展開の妙があってこそだと思いますが、こうした描写に関して、スタッフの方々とどのような話し合いが行われていますか?
山鹿達也氏(以下、山鹿):原作漫画の肝であり、ドラマの中でも大切にしている箇所です。男性でも女性でも、「誰かのためを思って料理を作る」。シンプルなことですが、いま我々が忘れがちな、大切なことだと思います。ですので、倉科カナさん演じる麻紀が料理するシーンは、丁寧に撮影をしています。
──ドラマが家事や料理をさまざまな側面から描くことで、世の中の価値観にも変化が生まれているのではないかと思います。ドラマが“働く女性の在り方”や“女性と家事の関係性”を再定義することの意義について、山鹿さんの視点から感じることがありましたら教えてください。
山鹿:先ほどもお伝えしましたが、このドラマでは“家事=女性”というくくりでストーリーを描いていません。それよりも、コロナ禍で孤食や黙食を強いられてみんなが気づいたことですが、誰かと一緒にご飯を食べることがとても重要なことであり、人生に潤いを与えてくれる幸せなことであるということを描いています。
麻紀は一緒に食べる蒼太のことを想って料理を作り、蒼太は「いただきます」「ごちそうさま」ときちんと応えます。そこにはお互いのリスペクトと感謝、愛情がキチンと根底にあり、決して昭和の時代にあった亭主関白の関係性とは違うものです。時には蒼太も料理を手伝いますし、そこは取り立てて特別なこととして描くのではなく、ごく自然なこととして描いています。2人が並んでキッチンで料理をするシーンは、とても素敵です。
──ドラマシーンではこれまでさまざまな“仕事を頑張る未婚女性”のキャラクターが登場してきましたが、本作では“働く女性としての麻紀”をどう見せていきたいですか?
山鹿:今の世の中、昔と違い、女性が働くことは普通のことですし、また“結婚すべき”という価値観は薄れてきていると感じています。価値観が多様化したからこそ、制作側としては一方的な決めつけをしないようにはしました。
原作の設定が35歳の女性です。「35歳の壁」と言われたりしますが、大学を出て新卒から数えて一回り。もう若くもなく、とはいえまだベテランでもありません。一方で、これまでキャリアを積んできた分、また悩み始める年齢でもあります。恋愛でも、結婚や将来のこと、家族のこと、健康のことなど。ちょっとした曲がり角に差しかかった人のリアルな悩みや葛藤を丁寧に描くことを心がけました。脚本家やプロデューサー、スタッフの女性陣から35歳の時の話を聞いて、台詞や設定に取り入れました。
主人公の麻紀は恋愛も仕事も生き方も選択肢が多数ある中で、どれを選んでいくのか。そんな人間ドラマのポイントを押さえて作りましたので、視聴者の皆さんには共感していただけるとうれしく思います。
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『わたしのお嫁くん』と『隣の男はよく食べる』は、“家事”というものを別の角度から捉えたドラマだ。どちらも性別によって定められていた役割や関係性を一度解体し、フラットな目線で見直そうとする心意気を感じる。
ただ、「女性が働きやすい社会に」とか「男性も家事をやる時代」とはよく言われるものの、まだまだその通りに実行するのは難しいのも現状だ。意識的にか無意識的にかはわからないが、“女らしさ”や“男らしさ”を求めているのはほかでもない自分自身という可能性もある。それはもちろん本人のせいではなく、社会の刷り込みによって、そういうことに無自覚になっているということもあるだろう。頭ではわかっていても、いざ自分事となると途端に理解することが難しくなったりもするのだから人間は複雑だ。こうしたテーマから逃げられない世代のアラサーである私は、その矛盾をひしひし感じている。
一方で、現代人のリアルな悩みを絶妙なバランスで代弁してきたドラマというカルチャーが私たちにもたらしてきた影響もまた大きいことは確かだ。今、ようやくステレオタイプや偏見が解かれ、許容され始めたことが、10年、20年前のドラマですでに問題提起されていた、ということはよくある。過去作の中には女性のセンシティブな側面に鋭く切り込む作品もあり、ギョッとすることもあったが、それもまた時代に合わせた問題提起の仕方だったのかもしれない。実際、私が自分の中のちょっとした違和感に気づけたのも、過去にそういう価値観を提示してくれたドラマを観てきたからでもある。
一度根付いた価値観はそう簡単には変えられない。でも、社会問題をあらゆる角度から捉え、フラットな目線で描こうと試みてきたドラマというカルチャーは、私たちに少しずつ変化をもたらしてくれているとも思う。『わたしのお嫁くん』や『隣の男はよく食べる』のような目線を持った作品は、今後も生まれ続けるだろう。その先で、私たちの抱える悩みが氷解した時代が来ることに期待したい。
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