minanやあっこゴリラらも寄稿。『ユリイカ』フィメールラップ号が描いた未来予想図
#HIPHOP
このたび、ユリイカ2023年5月号「〈フィメールラップ〉の現在」(青土社)が刊行された。同誌は2016年の号で「日本語ラップ」を題材にしており、シーンの可能性と意義性について多角的に迫る視点が話題となったが、以来となるヒップホップについての特集である。当時から7年が経過しますます日本語ラップが変容を見せる時代において、さらにはヒップホップ50周年という節目において、「〈フィメールラップ〉の現在」なる視点が設定されたことは非常に意義深い。
本特集では実にさまざまなアプローチが試されており、分析手法のみならず、そもそもの問題設定自体も多彩だ。
その中で、例えばヒップホップ・フェミニズムの歴史を縦横無尽に整理する伊藤なつみ「ヒップホップ・フェミニズムの変遷」や、フィメールラップを形成し規定する実体を場・環境という側面から歴史的に観察するnamahoge「インターネットで連帯する〈声〉」~yukinoise「ダンスフロアで進化するフィメールラッパーたちの覚書」~木村優希「“絶対的”な存在でありながら、しかしどこまでも“曖昧”な「アイドル」という枠組に対する「アイドルラップ」という試行」~火気厳禁「K-POPガールズグループにおけるラッパーの系譜――連鎖し、伝播するシスターフッド」といった一連の論考などは、今後極めて重要な資料となるはずだ。
他方で、プレイヤーの立場でありながら冷静に問題提起を重ねるminan(lyrical school)の「(…)お化け屋敷で先頭を歩くみたいに、舗装されていない道に轍を作るような気持ちで活動してきた(…)」からこそ「(…)アイドルカルチャーが、この先一体どのような変化をしていくのかは、ここから先のお互い次第だ」(P.146)という布告にはヒップホップの能動的かつ革命的なスタンスが露呈しており、奮い立たされる。
同様の闘志はCOMA-CHI、valknee、あっこゴリラ、Daoko、chelmico、MARIAといった面々のインタビュー/寄稿らも痛切に伝わってくる。
ほかにも各論考の意義深さはいくらでも列挙できるが、ここではまず新田啓子「What’s This Madness in My Mind?――女性ラップが引き寄せるもの」の、とある記述に注目したい。
氏は、zoomgalsやクィーン・ラティファの曲を挙げつつ「みずからがリスペクトしてきた曲をきちんと聴けていたのか。そうしなくてはと思いつつも、どうも分かりづらいことについては、フェミニズムとか、セクシュアル・ポリティックスとか、ミソジニー(女性嫌悪)への応答とかいう枠組みで布置したうえで、外から触ることしかできていなかったという自己疑念がぬぐえない」(P.64)と記す。
zoomgalsが一元的な政治性を自称しない点を指摘しながら、人間に「内側から」アプローチすることや「日々出会う闘争と圧迫が言語化されること自体どれほど価値のあることか」(P.62)と主張するが、そういった「枠組みの布置」に対する禁欲性は今回いくつかの論考に共通して見られる傾向だった。
Queen Latifah「U.N.I.T.Y.」
二木信は「Awichの痛みとカルマ――反植民地主義としてのヒップホップ」で、Awichの作品がフェミニズムの前向きな可能性を描いていることを認めつつも、「(…)肯定的に評価されるAwichの「エンパワメント」が、資本主義社会の論理に無批判な「自己実現」や「自己啓発」とも親和性があることにもどかしさを感じている」(P.106)と提起する。
氏は一度アイデンティティ・ポリティクスから離れたうえで、作品それ自体と沖縄史そのものに迫っていくことによりAwichの反植民地主義としてのヒップホップ性をあぶりだしていくのだが、その手法は、「自己実現」「自己啓発」といった既存の安易な枠組みに取り込まれることを禁忌しつつ、「人間に内側からアプローチする」という点において奇しくも新田啓子の主張と共振しているように見える。
Awich「口に出して」
それだけではない。
岩下朋世は、論考「Tha 女子会 Is Hot」において、まさに「枠組み」そのものでしかない「フィメールラップ」という呼称について功罪を並べつつも、「もしフィメールラップを手放さずにいるならば」と想定したうえでクリティカルな主張を展開する。ヒップホップのMVにおいて“ホット”な身体が乱舞する様子は表層だけ見ればいくつもの批判を誘うことができるだろう。
けれどもここでは、「「女」をモノ化するような表象を反復しながらも、異性の欲望を煽りつつも引き受けず、むしろ女同士のつながりをアピールする」ことが「(…)フィメールラッパーとして一括りにされ、男性中心的なラップゲームにおいて周縁に追いやられがちな状況を乗り越えるための戦略のひとつと言えるだろう」(P.233)と繋げられる。
MaRI「LIL DICK」
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