憎しみ合いながら、母と娘はなぜ同居するのか? 映画『同じ下着を着るふたりの女』
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社会人になった娘が実家を出て行かない理由
娘のイジョンは20代後半で、定職に就いている。だが、母・スギョンと暮らす団地からは出ていこうとはしない。母とケンカしながらも、仕事が終わると帰巣本能のように母と暮らす団地へと帰っていく。
仲が悪いなら、家を出て独立すればいいではないか。適度な距離があったほうが家族関係が修復されるケースは少なくないはずだ。男性から見ると、なぜ社会人になったイジョンが家から出ていこうとしないのか不思議に思えてくる。キム・セイン監督によると、娘のイジョンが家を出て行かないのは、ソウルの住宅事情が悪いからではないそうだ。
キム・セイン「実際、私たちの世代は、親と同居している人たちが多いんです。もちろん家族と一緒に暮らしていると、我慢しなくちゃいけないことがいろいろとあります。でも韓国だけでなく、世界的にもこうした傾向が強いようです。母親の感情に、同性である娘は共感することを求められることが多いように思います。母親が苦労した体験を、娘も受け止め、共有しなくてはいけないと感じてしまいがちなんです。そうすることで、母と娘の関係性はより強いものになっていくんです。経済的な事情というよりも、やはり情緒的なつながりが強くて、家を出られないんだと思います。劇中、イジョンは同僚のソヒに『家を出ていく準備が完璧に整ったら、出ていくつもり』と語るシーンがあります。でもイジョンが家を出ていかない理由は、準備が完璧に整っていないからではないわけです。そのことを同性のソヒも理解していて、お互いに笑い合っているんです」
強い母親にも心の均衡が崩れる瞬間がある
母のスギョンは恋人・ジョンヨル(ヤン・フンジュ)との再婚話に夢中になっており、娘のイジョンは職場の同僚・ソヒ(チョン・ボラム)と懇意になっていく。母と娘はそれぞれ、血でつながった家族以外の新しい居場所を求めている様子が描かれている。
また、言葉での説明が難しいユニークな描写が盛り込まれているのも、本作の特徴だろう。母・スギョンは団地に引っ越したばかりの頃、ベランダから垂れ下がっていたスカーフを引き上げようとする。だが、スカーフの先が何かに結びつけられているのか、なかなか引き上げることができない。結局、スカーフの先に何があったのかは最後まで不明なままだ。
キム・セイン「スカーフの先に何があったのかは、問題ではないんです。映画全体をリアルな描写のシーンだけでなく、ちょっとファンタジックなシーンをはさむことで、作品自体にリズム感を与えたかったんです。ベッドの上でスギョンが自慰をするシーンも、同じような効果を狙ったものです。シングルマザーであるスギョンは強い女性のように映るかもしれませんが、彼女はひとりぼっちになると不安が押し寄せ、心の均衡が崩れる瞬間があるんです。強そうに見える女性も、感情が揺れ動いていることを言葉ではない表現で伝えたかったんです」
Netflixの人気ドラマ『イカゲーム』などに出演しているスギョン役のヤン・マルボク、本作が女優デビュー作となるイジョン役のイム・ジホが、ともに母娘役を熱演してみせている。父と息子の関係性を描いたヤン・イクチュン監督の『息もできない』(09)や、男兄弟の妬ましい関係性を題材にした西川美和監督の『ゆれる』(06)などとはまた違った家族の実像は、鮮烈な印象を与える。
キム・セイン監督自身、劇中のイジョンと同じようにシングルマザーに育てられたそうだ。どこまで、自分と母親の関係性を映画の中に反映したのだろうか?
キム・セイン「確かに私はシングルマザーである母親に育てられましたが、この映画ほど強烈な母親ではありません(笑)。いろんな人の体験談を参考にし、『こんな母娘っているよね』と思ってもらえるものにしています。なので、私と母の関係をどのくらい反映したかという質問には、うまく答えることができないんです」
とはいえ映画の冒頭、母・スギョンが洗ったばかりの濡れたパンティーを履いて出掛け、職場のストーブで乾かすシーンは強いリアリティーを感じさせるが……。
キム・セイン「あれは、私の母の実際のエピソードです(笑)。濡れたままの下着を履いてそのまま出掛けるなんて、若い頃の私には信じられませんでした。『私は母の真似は絶対にしない』と思っていたんですが、仕事が忙しいと、私も濡れたままの下着を履いて出掛けることがあります。同じ家で暮らしていると、どうしても生活習慣が似てしまうようです(笑)」
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