『どうする家康』謎多き“カリスマ”信玄の実像と、武田軍はいかに「化け物」となったか
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ドラマの直政のセリフは「井伊の赤備え」への伏線?
信玄の軍隊といえば、ドラマでは、信玄の開戦の演説を聞く部隊たちはすべて「赤備え」だったように見えましたが、武田家の精鋭部隊を象徴する赤備え部隊の伝統は、当初、「甲山の猛虎」と呼ばれた飯富虎昌が結成した騎馬隊から始まりました。元来、朱塗りの具足をまとうことは、合戦において多くの首を上げた者に主君から贈られる特権の一つでしたが、虎昌は信玄から承認を得て、自力で成り上がるしかない武家の次男以下を集めて特訓を施し、赤や朱の色で揃えた切り込み部隊として鍛え上げました。
その後、信玄がわが意に背いた嫡男・義信を切腹させる事件が起きると、飯富虎昌は義信に殉じて切腹してしまいます。赤備えの部隊は、(虎昌の弟とも、甥ともされる)山県昌景が引き継いで指揮することになり、その後、小幡信貞、浅利信種の隊も赤備え隊となったといわれます。武田の赤備え隊は、こうして総勢1000名にまで膨れ上がったそうです。
なお、武田家滅亡後も赤備え隊の伝統は、真田家の面々や、井伊直政をはじめとする井伊家に継承されていきました。井伊家が赤備えを採用した理由は諸説ありますが、ドラマではその背景を、家康暗殺を企んで捕らえられた直政(虎松/板垣李光人さん)のセリフに忍ばせていたように思います。ドラマの直政は「武田様は我らのお味方。我らの暮らしを助けてくれる。武田様こそ新たな国主様にふさわしい」と家康に言い放ち、甲州金をばらまいて遠江の民の暮らしを助けている信玄に心酔している様子でしたが、こうした信玄への敬愛を、徳川家の傘下となった後も持ち続け、それが後の「井伊の赤備え」に反映される……ということになるのではないでしょうか。うまい関連付けだと思いました。
ドラマ第16回では信玄が時折腹部を押さえ、苦しそうな素振りを見せていたのも印象的でしたが、最後に、晩年の武田信玄を悩ませた体調不良について史実ではどのように伝えられているかもお話しておきましょう。
元亀3年(1572年)10月、信玄は遠江中央部に侵攻し、徳川方の城を破竹の勢いで攻め落とし続けました。しかし家康にとって頼みの綱の信長は、彼を取り囲む「信長包囲網」のせいでまともに動けず、家康が悲惨な敗北を経験する「三方ヶ原の戦い」にもわずかな援軍しか送ることができませんでした。
しかし、この年の末、そして翌年になると、信玄の侵攻スピードはなぜか一気に落ちました。これまで通常の3倍ともいわれる速度で次々と徳川方の城を攻め落としていたのに、三河・野田城の攻略には元亀4年1月~2月の1カ月もかかっているのです。その背景にあったのは信玄の体調不良で、信玄は野田攻略後に血を吐いて病臥したとされ、武田軍はほぼ停止するという状態に陥ります。信玄ひとりが不調であれば、戦国最強を謳われた武田全軍がその価値を発揮できなくなるというのは興味深いですね。いかに信玄がかけがえのない存在だったかがわかります。
信玄は同年4月初旬に甲斐に戻りますが、帰還の直後、12日に亡くなりました。『甲陽軍鑑』によると、信玄は自分の死を3年間、秘匿するように勝頼らに伝えました。また、信玄はしばらく自身が生きていることを演出できるよう、花押だけを記した用紙を800枚も残したともいいます。
いかにも伝説めいたエピソードではありますが、史実の勝頼は「父親は病気で隠遁したので自分が後を継いだ」と公言し、各方面との交渉を進めようとしたので、死を秘匿せよとの遺言があったのは恐らく事実なのでしょう。勝頼は将軍・義昭に忠誠を誓うという起請文を信玄の名で書いて送るなど、信玄の死は絶対に隠し通そうとしていました。
しかし勝頼の努力も虚しく、13日後にはすでに信玄死去の噂が甲斐の国内に広がりはじめ、信玄の死の翌月にあたる5月、噂の検証を行うべく、家康は武田領の駿府や井伊谷に侵攻します。結果、武田からの反撃はほとんどなく、これは信玄存命中であれば考えられない事態であったため、家康から武田側の異変を伝え聞いた信長や、噂を聞きつけた謙信もまた、信玄の死を確信したそうです。3年どころかわずか数カ月で、信玄の死の情報は近隣諸国に漏れてしまったのでした。
このように亡くなる経緯はある程度後世に伝わっているのですが、信玄の実際の病状や、その晩年の姿を伝える史料はやはりほとんど残っていません。しかしこれもまた、情報漏洩を恐れた本人もしくは勝頼の手で抹消されてしまったと考えることもできそうです。ドラマにおいて、阿部寛さん演じる絶対的カリスマの信玄が見られるのも残りわずかですが、史実では不明なところが多い彼の最期の日々がどのように描かれるのか、楽しみですね。
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