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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 石山蓮華、推しとつながり続けるために
「推しからもらった光で、社会を照らしたい」

電線愛好家・石山蓮華、推し=好きなものとつながり続けるために

電線愛好家・石山蓮華、推し=好きなものとつながり続けるためにの画像1
石山蓮華(Photo by Kyogo Hidaka)

 俳優、文筆家であり、電線愛好家としても知られる石山蓮華さん。この4月からは、10年以上続いたTBSラジオ『たまむすび』の後継番組『こねくと』のメインパーソナリティにも就任し、石山さんのオタクな偏愛的トークも話題を集めています。著作『電線の恋人』(平凡社)は石山さんの電線愛が綴られ、推しを持つ者としての在り方に学ばされる部分がありました。石山さんの好きなものに向かう姿勢、大事にしていること、葛藤などのお話をじっくり伺いました。


石山蓮華(いしやま・れんげ)

俳優・文筆家・電線愛好家。1992年生まれ。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』や、映画、舞台に出演。『月刊電設資材』『電気新聞』などに連載・寄稿。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)ほか、2022年12月に最新刊『電線の恋人』を発表。23年4月よりTBSラジオ『こねくと』(毎週月~木曜日13時~15時30分)のメインパーソナリティを務める。

 

自分の思いをいくらでもぶつけていいし、
返ってこないというのが安心する。

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──石山さんが電線に惹かれるようになったのは、小学3年生のころ。ご著書には、お父様の職場・赤羽で見た電線に「都市の血管だ!」と感動したエピソードに始まり、高校生のころから電線写真を撮るようになったと書かれていました。電線=推しへの愛に共感する部分がたくさんありましたし、電線の入門書としても学びがあっておもしろかったです。「電線を感じるカルチャーガイド」なんて、素晴らしくて。

石山蓮華(以下、石山):私自身が、電線についてもっと知りたいと思ったときに一般の人がサッと手に取れる本がなかなかなくて、「電線を愛でる」という視点の本があるといいなと思ってつくったんです。

──4月から始まったTBSラジオ『こねくと』も、「つなげる」という意味では電線を連想させますよね。新番組の広告を都内の電柱に掲出するなど、石山さんの電線愛が徹底して貫かれているなと思って、そのオタク魂に拍手を送りたくなりました。

石山:番組のスタッフさんが、私の溺愛っぷりを「やれやれ」というより「イケイケ!」という感じで後押ししてくださっているのでありがたいです。水曜日は、私と同じように何かを偏愛している方々をゲストにお呼びする「愛好家同盟」というコーナーがあり、「愛好家が集う場所」になったらいいなと思っています。

──私は、アイドルという存在を偏愛しているのですが、そこには多くのジレンマも感じています。アイドル業界の問題はいったん置いておいて、今回は「愛好家としての在り方」についてお話を伺いたいと思っています。というのも、『電線の恋人』を拝読して石山さんの「推し(電線)との距離感や愛で方」が素晴らしいなと思ったんです。「愛しているけれどもあくまでも他人=自分とは違う」という考えは、有機物・無機物に関係なく、人付き合いにおいて大事な考え方ではないかと。

石山:わあー、そうですか。ありがとうございます。

──ファン目線は多様であって当然ですが、ときに危険な距離感も見受けられます。その結果、推されている側はファンに対して常に誠実で、元気で、ファンを愛さなければ“ならない”感じがある。それは推す側が勝手に作り出してしまった部分もあるのかなと思います。石山さんの愛でる際の心構え、について教えていただけますか?

石山:私が生身の人間を推す方向に行けなかったのは、好きになると一直線というか、大事なものに対して200%で愛情を注いでしまう性格だからなんです。それは、私自身、人付き合いが苦手で交友関係が広くないので、親しくなれそうな人に出会うとうれしくて。友だちには「重い女だね」と言われたこともありました(笑)。ただ、思い過ぎるのは相手も自分もしんどくて、付き合いの長い友人と関係が悪くなってしまったことがあったんです。20代半ばくらいですかね。そこで人間関係の難しさを感じて、マイペースに電線を愛でる方向に思いきり舵を切りました。

──それは、人間同士だと自分の愛情が行き過ぎてしまうけれど、電線だと深い愛情も受け止めてくれるからですか?

石山:そうですね。自分の思いをいくらでもぶつけていいし、返ってこないというのが安心するんです。

──返ってこないのが寂しいのではなく、安心するんですね。

石山:私の想いがどうであれ、電線の生き方は変わらないじゃないですか。言ってしまえば、私がいてもいなくても電線というインフラは100年以上存在し続けているわけで、その“ぶれなさ”にすごく安らぎます。「見返りを求めないの?」と思われるかもしれないのですが、電線はインフラなのでその恩恵が日常に溢れている。部屋の照明がついて、パソコンが使えて、電車に乗って移動して、電線によって電気が届けられている事実を感じるだけで心がホッとするんですよね。街にもどこかしらにケーブルや電線があるので、疲れたときや頑張りたいときに目にすると、元気が出ます。

──もう充分、見返りはもらっていると。

石山:はい! もちろん、相互のコミュニケーションが発生する関係性は楽しいだろうなとわかっているし、私と電線は閉じたどころか、一方通行のコミュニケーションだとは思うんですけど……電線は意志を持って私と交流することはないし、私がどうであろうと大丈夫。ただ、電線そのものは変わらないんですけど、無電柱化の推進など電線を取り巻く社会の目は確実に変わっているので、盲目的に愛そうとするのではなく批判的な部分も含めて真剣に考えていきたいし、その議論をポジティブなものにできたらいいなと思います。

推しからもらった光で、
別のところを照らす。

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──電線を愛でるようになって、対人間関係に変化が起きたりしましたか?

石山:単純に、20代半ばから30歳にかけて大人になったんだと思いますけど、電線というまったく言葉の通じないものに対して「好きってなんだろう?」、「また別の見方でいいところを探してみよう」といろいろな視点で考えるようになり、視野が広くなったなと思います。あと、お互いに尊重はしているけれど、他人と自分は別の人間で、相手の意見や態度に自分自身そこまで影響を受けなくなりました。それは、電線の態度に学んだことだと思います。

──著書を拝読して、石山さんの「相手の存在そのものを受け入れる」という姿勢が、人間関係に悩みがちな私には学びがたくさんありました。

石山:やっぱり、人間同士だと通じ合える可能性もあるので、期待したりがっかりしたりしますよね。それは、人間だからこそのおもしろさで、私ももっと楽しみたいと思う部分なんですけど、私にとってそこに踏み込むための土台が電線で。最初から、通じ合える可能性がないとわかっているのである意味安全で、双方向の矢印がない。矢印はないけれど、推しと私がそこに存在していて、その先に世界があって、私は推しからもらった光を反射板に映して、推しのいる社会を照らせるようになるのかなと、いま話をしながら思いました。

──推しからもらった光を照らし返すのではなく、別のところを照らす……!

石山:推しが光っていて、自分が鏡となって社会を照らす。照らす場所はそのときどきで違っているし、その光を受けた人たちはまた別の何かを照らすのかもしれません。だから楽しさを共有したいし、もっと知っていくことで鏡が増えていく感じがします。また別の視点で世界を捉えると、「あっちもこっちも綺麗! おもしろい!」と気付けるようになるというか。同時に、たとえば電線業界は女性の働ける役割が男性と比べて少ないのはどうしてだろうとか、エネルギー問題や、景観を扱う政治的文脈の問題とかも考えるようにしたいと思うようになりました。

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