『どうする家康』家康の義弟・源三郎の救出と、老獪な武田信玄との正面衝突
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“神がかっていた”信玄相手に孤軍奮闘することになる家康
源三郎を取り戻し、武田家との決戦ムードがますます高まった家康ですが、ここで、運の悪いことに、その翌年の元亀2年(1571年)10月21日、北条氏康が病死してしまいます。中心人物を失ったことで、徳川・上杉・北条による「越相同盟」で武田家を潰そうという空気は一気にしぼんでしまったのでした。
かつて北条家は上杉家と敵対関係にあり、上杉家による幾度もの侵攻を武田家と共闘して防いだ過去がありました。老獪な武田信玄は、北条氏康とは違って嫡男の氏政は変わらず武田派であることを掴んでおり、氏康のいなくなった北条家と有利に交渉を進めます。こうして元亀2年末には、武田・北条の間に「第二次甲相同盟」が速やかに締結されることとなり、強敵・武田を効率的に攻撃できる「越相同盟」成立の可能性はなくなりました。なお、北条と武田の再接近については、氏康が死の床で、武田家との同盟を復活させろと氏政に遺言したとの説もあります。
この時期の信玄は神がかった外交力を各方面で発揮しており、京都の室町将軍・足利義昭とも急接近しています。武田家は源氏の名門ゆえ、成り上がりの信長の暴虐ぶりに辟易としている室町将軍としては、信玄こそが本当に共闘したいパートナーであったことでしょう。さらに信玄がすごかったのは、将軍家の権威を背景に、ライバルである上杉家との和睦すら成功させてしまったことです。『どうする家康』では前回、「桶狭間から始まった信長の神通力、そろそろ尽きてきた頃かのう」と信玄が言っていましたが、史実においても、桶狭間の戦いにおいて今川義元に奇跡的な勝利を収めてから高まる一方だった信長の評判は、金ヶ崎での敗走をきっかけに下落傾向にあったと考えられ、そうした状況も信玄の味方を増やしたのかもしれません。
信長は義昭との関係もすぐに破綻させてしまっており、武将としての信玄との実力差は明白です。宿敵たちともうまく交渉し、和睦してしまう信玄こそ、戦国時代において「最強の武将」との呼び声があることに納得してしまいますね。そんな信玄から見て、家康など、本気で戦うべき敵にはとても見えなかったでしょう。
ドラマでは次回、家康は桁違いの実力差があるにもかかわらず、武田信玄と正面対決せざるを得なくなることになると思われ、ここから家康の孤軍奮闘ぶりが描かれていくことでしょう。信長との同盟関係があるのに、なぜ家康が孤立したかというと、信長もこのときかなりの逆境にあったからです。
元亀2年に、いわゆる「織田信長討伐令」が足利義昭=室町幕府によって発令されてしまったのです。ドラマではうつけ者として描かれている義昭ですが、史実においては信玄にも迫る外交力を発揮する人物で、越前の朝倉義景、石山本願寺、そして信長の義弟でありながら反旗を翻した近江の浅井長政などを抱き込み、「(第二次)信長包囲網」を結成しています。ここで「第二次」というのは、すでに前年において、信長が浅井長政と朝倉義景の連合軍に挟み撃ちにされ、金ヶ崎から敗走した事件を「第一次包囲網」とみなす例があるからです。
包囲網に与するすべての勢力がずっと信長の敵だったわけではなく、時期によっては和睦が結ばれたりもしていたのですが、当時の信長がこの対応に多忙を極めたのは事実です。家康のことなど構っている余裕などもなかったのでしょう、信長は家康に「信玄との争いを避けて、浜松城はひとまず置いておいて、いったん三河に引いておけ」とアドバイスしていたとも伝えられますが、家康は信長の言葉に従おうとしませんでした。「信玄との争いを避けろ」という史実の信長からの助言が、次回の「信玄を怒らせるな」というタイトルの元ネタなのでしょうが、史実におけるこうした複雑な人間関係がドラマではどのように描かれるのか、興味津々ですね。かなりの情報量ですから、ある程度は省略されることはやむを得ませんが、金ヶ崎からの決死覚悟の撤退戦のように「その後、何やかんやありましたが、無事、金ヶ崎の戦いを乗り切ったのでありました」というナレーションひとつで片付けられてしまわないことを祈ります。
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