テレビの収録は恐怖でしかない…お笑い芸人のプレッシャーと失敗した時の絶望感
#お笑い芸人 #馬鹿よ貴方は 新道竜巳
テレビを見ていて普通に面白いと思う事は多い。この普通に面白い事を見せ続けるには、すごく労力がいる。当然、テレビは面白くなければならないというのもある。見る側は何も考えずにチャンネルを変えることもでき、消すこともできる。視聴者は「面白くない」と簡単に思ってしまう。
そのため、出演者にはとんでもなくプレッシャーがかかる。よくテレビに出演している芸能人はいとも簡単に言葉を操り、会場の爆笑を誘ったりするように見える。しかし、あそこに辿り着くまでには途方もない時間がかかり、運も作用する。あのテレビの椅子に座るまでに何千何万という人間が挫折し、座る事にすら至らなかったりする。
テレビは特に注目されていればされているほど、プレッシャーがかかり、本番になると舞い上がってしまう。普段できていた会話もできなくなったり、演者として関係ない事を考えてしまったり……。せっかく出演したかったテレビに出た途端、何も思いつかなくなり頭の中が真っ白になる事も多い。お笑いライブで笑いをとるのも凄く大変で、膨大な時間と経験が必要になってくる。
その長い下積みを経てやっと出られたテレビの出演には大きな期待がのしかかる。この1回の出演で次につなげないといけないというプレッシャーから普段とは全く違う頭の動きと行動になってしまい、何もできない芸人さんなんて山のようにいる。何か言えても話すテンポが悪くなったりする。そこでうまくいかなかったときの絶望感はとてつもない。底のない穴に転落したようになる。それを、収録でうまくいかなかったたびに何度も味わうのだ。全てが終わったとすら思ってしまい自信を喪失する。テレビで失敗するたびに、人生と向き合う事に何度もなる。
そして、現場で笑いをとれないと話しかけてくれる人も全くいなくなる。気を遣っているのか軽蔑しているのか、かける言葉もないのかもしれない。雛壇に160人の芸人が座るTBS「オールスター後夜祭」に僕も出演し、クイズに1問も正解できず最下位になってしまったときは、絶望し罰ゲームのリアクションも全く取れずにもうおしまいと思った。
帰ったら、ネット上では目立つためにわざとはずしたと書き続けられた。今もまだ言われる時もある。「あれわざとだったの?」。クイズがとんでもなく苦手という事に誰も気づかれずに出演していたのも、疑われる要素だったのかもしれない。収録後、雛壇に座っていた160人は誰も話しかけてくれる素振りはなく、唯一話しかけてくれたのがモグライダーともしげだった。しかも、心配してではなく、ニヤニヤと人の不幸を喜ぶように嘗め回すように見られた事は今でも忘れられない(仲いいですけどね)。
そこで引退する人もいれば再チャレンジする人もいる。お笑いライブで笑いをいくら取ってもテレビで全く機能しない事も多くある。となると何のために今までお笑いライブに出演していたのか、よくわからない。なにかしらは役に立っているはずなんだが、びっくりするぐらいライブとは違う。テレビを沢山観てしまうと、テレビに出ていた人が目の前にいることで冷静ではいられなくなる時もあるかもしれない。当然なんだが「本当にいたんだ」という訳分からない事を考えてしまう。そしてスタジオの装飾にビビる。ライブでは観客席が真っ暗なので、こんな明るいところで話す経験がないというのもあるかもしれない。
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