トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 映画『デヴィッド・ボウイ』の強烈な哲学体験

『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』は”自らの人生哲学との対峙”を促す

『デヴィッド・ボウイ』は自らの人生哲学との対峙を促すの画像1
『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』公式サイトより

 公開より暫く経っている事もあり、これはもうネタバレ全開で行く事をご容赦頂くとしてであるのだが、観に行かれた皆さん、如何でしたか。

 おっさんは19世紀のドイツの哲学者でありこの一節によって未だに地球規模で蔓延する病である厨二病、その患者を増やし、そして崇められ続けているフリードリヒ・ニーチェの下記を思い出した。

“深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ”

 くううやっぱ痺れるっすニーチェさんパネェっす深淵汁迸ってますたまんねっすやめらんねっすサイコーっす。

 こちら厳密に言えばその前の一節である、

“怪物と戦う者は自らも怪物にならぬ様気をつける事”

が抜けており、意味合いとしては力に力で対抗するとそれはいずれ取り返しのつかない暴力となりうる的なお話であり、ミイラ取りがミイラになる的な、対象を取り込まんと深く関わる時にはその対象も自分を取り込まんとするので、気をつけなはれや!!的な心得であり、本作『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』はひたすら一方的にボウイの人生哲学を聞かされ続ける2時間15分というなかなかに気力体力を要する体験な訳なのだが、エンドロールが終わった後、「Changes」が終わった後、本当に最後の最後に浮かれたトーンでボウイが”お前の人生もめちゃおもれえじゃんか俺知らんかったよ超楽しかったありがとう(おっさんによるクソ意訳)”と、覗き込んだ深淵が本当にまたこちらを覗いていたという、超受動型説法映画と見せ掛けて実は観客個人とボウイとの会話劇である事が明かされる。

 そして本作、おっさんはそうであったし、観に行かれた諸兄諸姉その他諸々の皆々様方も鑑賞中延々と喰らわされ続けるボウイの哲学と自らの哲学とを多かれ少なかれ重ね合わせて時にはデヴィッド・同意(言いたかっただけ)したり時にはデヴィッド・同意(言いたかっry)しかねたりした事であろうし、恐らく劇中劇後のどこかで半強制的に”ああ、ボウイはこんな風に人生を楽しんでたんだな。んじゃ俺・私はどうだろうか”的な思案に陥れられる結果となり、よって本作の鑑賞という行為そのものが”自らの人生哲学との対峙”を促すと言う自己啓発映画でもあり、上述のラストでそれもボウイはまるっとお見通しであり更にはそれを”おもれえじゃんか”と肯定してくれると言う優しいオチが付いているのだ。

 んでもって基本的にボウイが言うとる事は”人生は諸行無常だから変化は楽しんだモン勝ちだお(^_-)-☆(おっさんのクソ意訳)”的な事なのでこれなら取り込まれてもさしたる問題はないつうかまあ変化は受け入れちまった(肯定的に諦めちまった)方がラクだしそれを楽しめりゃもっと良いしでもボウイは”俺ぁ安住なんかぜってえしねえかんなギリ足着かない海ん中ぐれえが1番クリエイティブなんじゃボケェ(クソ意訳)”と言う自己のクリエイティブに関しての考え方が超ハードコアなドMにしてドS(この両性具有感が正にボウイっぽくて大好き)だからそこに影響され過ぎるとまあアレではあるがでもこれも要するに”安定と刺激は両立しないからあたしゃ刺激を取るよ(クソry)”なお話なので取り込まれても大丈夫なのかあんま大丈夫じゃないのかはそれこそ自分次第だけど先の通りボウイはそうして生きる事で伴うその痛みも愛すると言うドMであるつうか恐らくそこにこそ俺生きてんだなを感じてしまう変態即ち天才であるとも言える。

 だからこそこの映画は「Changes」によって締め括られるのであろうとおっさんは思い、そして乃木坂46曰く「人は二度夢を観る」のであればデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズでありディヴィー・ジョーンズでありジギー・スターダストでありシン・ホワイト・デュークでありトム少佐であり両性具有者であり役者、作家、芸術家、思想家で夢想家、親日家、宇宙人的でありながら極めて人間臭いその時々の興味に己が身と心を全振りしまくりつつ(だからその作風と発言はブレまくるしだからいつもファーストとティン・マシーンの事は語られないし、この映画に於いてもやっぱりそうであった)、ちゃんと結婚もしたし物理的な子孫と影響を与えたと言う意味の子孫を残しまくって逝った、デヴィッド・ボウイと言う生き物は一体その生涯で何度の夢を見たのだろうと少し羨ましく思った次第であるし、本作のラストの観客への肯定をもってして実はデヴィッド・ボウイはコウペンちゃんであったという史上初の大発見映画でもあったのだ(或いはツンが2時間14分30秒でデレが30秒と言うコスパの悪過ぎるツンデレ映画)。

 余談であるが劇中至る所で美味そうにタバコを吸うボウイの銘柄はマルボロで”世界中どこでも買えるから”と言う理由であったらしい(後に禁煙)。

 そんなおっさんは映画で使われなかったこちらを最近よく延々とリピートして聴いています。意外とやってなかったUKロックど真ん中っぽい曲調と泣きまくるギターと実は…な歌詞がたまらん1曲です。

 遺作となった「Blackstar」の3年前の2013年リリースで当時ボウイは66歳。10年振りの復活作として迎えられた「The Next Day」より、「Valentine’s Day」。

庄村聡泰(コラムニスト・スタイリスト)

ロックバンド[Alexandros]のドラマーとして2010〜21年に活動。バンド時代の収入ほぼ全てを注ぎ込むほど傾倒した音楽や洋服を中心に、映画やマンガ、アニメやグルメ、世界各地の珍スポットなどのさまざまなカルチャーに精通し、これらの知識と経験を生かしてライフスタイル提案型ファッションブランド「スナック NGL」を始動。また、歌劇な過激団 @furaku_taru の制作総指揮を務めるなどプロデュース活動や、#サトヤスタイリングとしてファッションスタイリングや、#ショウムライターとして音楽や映画をはじめさまざまなメディアでインタビューやコラムを執筆。自ら映画にも出演するなど精力的な活動を広げている。 #サトヤスタイリング #ショウムライター インタビュー

Twitter:@shomurasatoyasu

Instagram:@shomurasatoyasu

庄村聡泰のホームページ

しょうむらさとやす

最終更新:2023/04/22 21:00
ページ上部へ戻る

配給映画