『ザ・ホエール』衝撃的な巨漢に変貌した主演俳優フレイザーの一世一代の熱演
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『ザ・ホエール』が4月7日から公開中。本作はアカデミー賞で主演男優賞と、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の2部門を受賞した。
その受賞を、本編を観れば誰もが納得できるのではないか。ブレンダン・フレイザーの熱演は鬼気迫るという言葉でも足りないほど、『ハムナプトラ』シリーズのヒーローとは似ても似つかない巨漢の男へ変貌した姿は目を疑うほどに衝撃的だったのだから。
そして、舞台劇を原作としながらも、ダーレン・アロノフスキー監督の作家性がはっきりと刻印されている映画でもあった。さらなる魅力を記していこう。
ミニマムな舞台ながら濃厚なドラマ
本作の内容は、「余命わずかな体重272キロの孤独な男が、疎遠だった娘との関係修復を切望する最期の5日間を描く」というもの。ほぼ全編が家の中のワンシチュエーションものでもあり、主要登場人物はわずか5人。極めてミニマムな内容でありながらも(だからこその)濃厚な人間ドラマが紡がれていることが最大の魅力だ。
主人公のみならず、それぞれが簡単には解決できない悩みを抱えており、対話をして少しずつ分かりあうこともあれば、逆に怒りを募らせることもある。主人公の過去が徐々に明らかになっていく構成や、ネタバレ厳禁の「秘密」があることも実に巧みで、舞台がずっと同じ場所でありながらも、グイグイと惹き込まれる物語の吸引力があるのだ。
重いファットスーツを着てこそのリアリズム
舞台がずっと同じ場所なのに飽きさせない理由のひとつは、やはり巨漢の男のビジュアルにもある。ブヨブヨの肉体もさることながら、歩くどころか立ち上がるだけでも困難な様が「本物」としか思えなかったのだから。
ブレンダン・フレイザーは毎日メーキャップに4時間を費やし、45キロのファットスーツを着用して40日間の撮影に臨んだ。F1ドライバーのクールスーツに使われているような冷却システムが内蔵されていたものの、非常に暑いことに変わりはなかったらしい。
さらに、フレイザーの表情が見えづらくなることを避けるため、本作のために史上初の100%デジタル技術によるメーキャップも開発。デジタルとアナログの両方を組み合わせての革新的な技術が用いられているのだ。
また、フレイザー自身「心理的な重さも重要だった」「何をするにもものすごい努力が必要な状態では、ひとつひとつの選択がより重要に感じられる」とも語っている。重いファットスーツを着ての俳優としてのチャレンジが、そのまま演じる役柄にも一致している。それでこそのリアリズムを作り出しているのだ。
「罪」そのものを実感させる、普遍的ですらある物語
巨漢の男のビジュアルは、もちろん物語にも深くリンクしている。彼がなぜそこまで太ってしまったのか、その謎がミステリー的に解き明かされていくのはもちろん、生活そのものが困難な上に「死」が目の前にある身体に伴う、「心」の問題にも気付かされるという構図があるのだから。
はっきり言えば、主人公は決して褒められた人物ではない。太ってしまったことも含め、自業自得なところもある。彼には心から心配をしてくれる看護師の友人もいるのだが、それでも病院に行くことを頑なに拒む、というよりも「死んでも構わない」とこの後の人生を半ば諦めていることが切ない。彼の「罪」そのものがその肥えた身体に蓄積されている、という見方もできるだろう。
これは、ダーレン・アロノフスキー監督らしいアプローチと言える。『レクイエム・フォー・ドリーム』『レスラー』『ブラック・スワン』などで、「身体と精神が同時に変容して行く様」を描いていたのだから。体重272キロの巨漢の男という設定およびビジュアルを持ってして、健康面のみならず精神的にも極限状態にある主人公を描き、その心理が痛切なまでに伝わってくるというのは、実に「アロノフスキー監督節」だ。
また、描かれているシチュエーションは特殊にも思えるだろうが、描かれている家族や友人との軋轢や、過去の選択による後悔の念などは、多かれ少なかれ誰の人生にもあり得る、普遍的なものだ。そして、自分勝手だった男が苦しみ続けた人生の最期の5日間の物語から、何を見出せるかは、観客それぞれが持つ人生観からも大きく変わっていくだろう。
また、劇中では1851年の小説『白鯨』が引用されている。鯨への復讐心や捕鯨船での壮絶な航海を綴ったその物語が、どのように主人公の心理とリンクしていくかにも、注目してほしい。
悩み苦しむ姿が実人生とも重なる
ダーレン・アロノフスキー監督は、主演俳優をブレンダン・フレイザーに決めるまで約10年を費やしていたのだという。ありとあらゆる検討をしても、ひとりとして納得できずにいた中、決め手となったのは2006年の映画『復讐街』の予告編でのフレイザーを観て、嬉しさのあまり顔が輝いたことだったそうだ。
そのフレイザーは、実は体調の悪化、結婚生活の破綻、そしてセクシャルハラスメントを受け鬱状態になったなどの様々な要因で、ハリウッドの表舞台から遠ざかっていたことがある。その復活劇としても、この『ザ・ホエール』の意義は大きく、その俳優としての物語そのものが感動的だ。彼の実人生が(もちろん理由そのものが違うことを前提として)劇中の悩み苦しむ姿ともリンクしているようにも見えるのだから。
ちなみに、1992年の映画『原始のマン』で共演したフレイザーとキー・ホイ・クァンが、揃ってアカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞を受賞したという、運命めいた巡り合わせもある。最多7部門を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がぶっちぎりで注目を集めたが、この『ザ・ホエール』の完成度も決して引けを取らない。ぜひ、劇場でこそ、フレイザーの一世一代の熱演を、目に焼き付けてほしい。
『ザ・ホエール』
4月7日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
監督:ダーレン・アロノフスキー(『ブラック・スワン』『レスラー』)
原案・脚本:サミュエル・D・ハンター
キャスト:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス、サマンサ・モートン
提供:木下グループ
配給:キノフィルムズ
【2022 年/アメリカ/英語/117 分/カラー/5.1ch/スタンダード/原題:The Whale/字幕翻訳:松浦美奈】 PG12
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