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スタンダップコメディを通して見えてくるアメリカの社会#30

クリス・ロックがついに「ウィル・スミスビンタ事件」を語る

クリス・ロックがついに、「ウィル・スミスビンタ事件」を語るの画像1
NETFLIX『Selective Outrage(邦題は『勝手に激オコ』)』公式サイトより

 2023年3月4日、ネットフリックスは世界初の試みとなる世界同時ライブ配信を行った。そしてその夜、主人公として舞台に立ちマイクを握ったのは、アメリカを代表するスタンダップコメディアン、クリス・ロックだった。

 これまで、数多くのコメディ・スペシャルを配信し、2010年代中盤以降のエンタメシーンを牽引してきたネットフリックス。

 今回、さらなる新しいチャレンジにクリス・ロックを迎え、しかもオスカーの授賞式一週間前というタイミングで展開したことは示唆に富む。当然、筆者を含めた視聴者の多くが、昨年のオスカー授賞式でのあの「ビンタ騒動」を想起した。そしてあの一件以降、ツアーなどでアドリブのネタとしてはあるものの、公式な見解や、作り込んだネタとしての発信がなかったロックが何を語るのかに、配信前から大きな注目が集まった。

 筆者の住むシカゴでもその注目度は凄まじく、土曜の夜という繁忙期にもかかわらず、本作をパブリックビューイングするために、特別スケジュールに変更するコメディクラブもあったぐらいだ。

 実際、これまでのスペシャルと異なり、ライブであるがゆえに編集の効かない一発勝負の舞台は、独特の緊張感が漂っていた。撮影の行われたボルティモアの大劇場では観客を温めるべく、超豪華なコメディアンに加え、ポール・マッカートニーといったミュージシャンまでもが2時間以上も前から「前座」として現れ、会場を沸かせた。

 そして、会場の熱気が最高潮になったところで満を辞して登場したクリス・ロック。昨年の一件から、評価は急上昇し、ツアーのチケット価格は高騰。一部の地域では1000ドルを超えるプレミアとなった。これまで数えきれない数の大舞台を経験してきたレジェンドでも、この日のライブは緊張の面持ちなのが画面越しに伝わる。そして、あろうことか最終局面で、オチの部分を言い間違えてしまうという失態を犯すが、それもライブ配信ではそのまま世界に届けられ、皮肉にも「生」であることがより強調された。

 数日後にリリースされた編集版では、言い間違いのあったネタそのものがカットされるという措置が取られた。日本向けには、日本語字幕もつけられ(クレジットには6人の名前)、その圧倒的なスピード感からも、ネットフリックスの本作にかける意欲が伝わる。

 上記の「トチり」こそあったものの、多くのメディアは高評価を並べた。たとえば『ニューヨークタイムズ』誌は、

「クリス・ロックは一年後に反撃の平手打ちを激しく食らわせに戻ってきた」

と評し、本作を「魅力的で笑える」と褒め称えた。

 では、具体的に内容を見ていこう。タイトルは『Selective Outrage(邦題は『勝手に激オコ』)』。邦題だけでは、そのニュアンスが正確に伝わりづらいが、”Selective Outrage”というのは「恣意的な暴力、怒り」という意味。つまり「相手を選んでの怒り」という含意になる。アメリカでは、昨今の分断の中で、属性や政治的イデオロギーによって選り好みした上で、「他者」に対して敵意をむき出しにする姿勢を指してよく用いられる。しかし、ロックの公演タイトルの場合、多くの人々がウィル・スミスのビンタという「暴力」がクリス・ロックというコメディアンを「選択」して行われたという趣意にたどり着く。

 ロック自身、冒頭から、ウィル・スミスの話題を小出しにするという演出で、ラストの語りを示唆的に際立たせる。スヌープ・ドッグやJay Zの名前を出しては、

「もう俺はラッパーを怒らせたくないんだ」

と語る。当然、ラッパー出身でもあるウィル・スミスを想起させるこのジョークに観客が大きな笑い声をあげる様子がカメラに映される。とりわけ、この日の会場の大半を占める黒人オーディエンスを中心にカメラに抜かれているのがわかる。

 中盤、ロックは語気を強める。

「今、アメリカではみんなが“注目”を欲しがってる。まさに中毒のようにね」

 そして、世間の注目を獲得するために必要な4つの要素を語ってみせた。

 一つ目は「ケツを見せる」こと。つまり露出の激しい格好をして、それをソーシャルメディアにあげれば一定数のフォロワーを獲得できるという現状を皮肉っぽく語る。

 二つ目は「悪名高くなる」こと。悪いことすれば自ずと有名になるということ。

 三つ目が「優秀である」こと。ロックがテニスのウィリアムズ姉妹を例としてあげたように、ここに皮肉は込められておらず、むしろ原意のごとく、何かの才能に溢れることで得られる耳目を指す。

 そして四つ目が「被害者面をする」こと。世間に自分があたかも被害者であるかのように振る舞うことで、大きな注目を浴びることができるというのだ。

 その上で、ロックはメーガン・マークルを例に出す。女優として成功を収めたのち、イギリスのヘンリー王子と結婚したメーガンは、多くのタブロイド紙で注目の的となった。

 そして昨年ネットフリックスから配信された『ハリー&メーガン』はドキュメンタリー部門で過去最高の視聴者数を獲得する大ヒットを見せたが、その内容からメーガンへの批判も高まっていた。そして彼女は有名司会者、オプラ・ウィンフリーのトーク番組にゲスト出演すると涙ながらに、ロイヤル・ファミリーが黒人の血を持つ自らに対して、人種差別的だったという旨の訴えを行った。

 ロックはこの件に噛み付く。

「イギリスの王室がレイシストだってことは、誰が見ても明らかだ。事前にGoogleで調べとけよ。歴史的に見たら奴らは人種差別の祖だ」

 ここには、おそらくメーガン・マークルという「優秀な」女優が、「被害者」となることで自身のプレゼンスを上げようとしたことへの痛烈な批判が込められている。

 そして、この批判を本公演の最後を締めくくるジョークの前フリとして巧妙に使ってみせる。もちろんスミス夫妻へのジョークとして。

 ロックの矛先はまず、自分へ直接的な暴力を行なったウィルへと向く。

 そもそもこの一件の前、世間を騒がせたスミス夫妻の家庭問題。ジェイダの浮気が全国紙を賑わせる中、夫婦揃ってリアリティショーへ出演すると、ウィルがインタビュアーとなって妻にその真相を尋ねたのだった。そのあまりにセンセーショナルな内容に世間ではウィルへの同情が集まると同時に、彼は「妻に浮気をされながらも家庭の修復に向かう夫」という像を獲得した。まさに「被害者」としてのプロモーションだったとロックは追及する。

 そしてジェイダ。2016年のオスカーで、ノミネートされた俳優に黒人がいなかったという理由で「#OscarSoWhite(オスカーは白すぎる)」という抗議運動が勃発。スミス家は夫婦揃って式典をボイコットしたがその夜、司会を務めたのがロックだった。

 彼は舞台上で、

「ジェイダ・ピンケット・スミスが今日この式典をボイコットするのは、俺がリアーナのパンティをボイコットするのとおんなじなんだ。そもそもお呼びじゃない」

と痛烈にジョークにした。

 彼女の黒人という立場からの抗議というのは、あくまでも名目で、夫がノミネートされなかったことの腹いせに欠席した、と糾弾する。その前段にふれた上で、昨年の騒動を同じ枠組みに当てはめてみせた。つまり、脱毛症をいじられた「被害者」という振る舞いは、むしろウィルとの家庭内不和や、それへの世間からの自身への批判を交わす口実で、怒りの転嫁に過ぎないというのだ。

 その上で、ウィル・スミスが主演し黒人奴隷を演じた映画『自由への道』で、

「俺はヤツが白人奴隷主からムチで打たれるのを楽しみに観てるんだ」

とジョークにすると、またもや会場の黒人オーディエンスから爆笑が起こった。

 妻の浮気に対する怒り、そして世間からバッシングに対する怒りを「被害者」として、それもロックを「意識的に選んだ」上でぶつけてきた「Selective Outrage」だ、と夫妻を追い詰めるジョークは鬼気迫るものがある。

 しかし、ロックがこうした「被害者面で名声を得る」存在に、自らを意識的に当てはめていることは明確である。つまり冒頭のように、大舞台でビンタを受けた悲劇のコメディアンとして、クリス・ロックは評価を上げ、ツアーは盛況となった。自らの「脱毛症いじり」というジョークの是非にはあえて触れることなく、本作でこのような主張を展開したことにも「被害者」に徹するという意図がみてとれる。

 過去に共にその「肉体美」でも注目を集め、何より世間のバッシングにも晒された「悪名高き」スミス夫妻。当然、類い稀ない才能を持つ「優秀」な彼らが行なった「被害者面」にロックは疑問を投げかけた。その上で、自らもがそうした「被害者」として知名度を獲得したことを示唆的に観客に投げかけ、その矛盾を浮き彫りにする。

 そして何より、その「被害者面」というテーマは、ロックがそのキャリアの中で一貫して行なってきた「黒人としての視点」さえ際立たせる。歴史における被害者感情をいつまでも一方的に抱くだけでは、前進しないという考えを発信し、その度にブラックコミュニティからも批判を受けてきたロック。差別や制度的不平等の是正のためには、同胞の意識改革こそもっとも先決と捉え、2016年のオスカーで多くの黒人映画人がボイコットする中、あえて黒人としてマイクを握り司会を務め上げた。

 ムチで打たれた歴史の「被害者」という主張に基づき、マジョリティの白人を「選択」して怒りの声を上げるだけでは、分断の社会が進展し得ないことを心底理解しているロック。スミス夫妻が彼に与えた怒りは、ロック自身が「被害者」という仮面をかぶることで、社会構造そのものの歪みさえ示唆的に映し出す。そして、圧倒的に大多数を占める黒人オーディエンスという会場の構図も、白人への「選択的な」怒りを浮き彫りにする運営側の「選択」であったように思えてならない。

 

Saku Yanagawa(コメディアン)

アメリカ、シカゴを拠点に活動するスタンダップコメディアン。これまでヨーロッパ、アフリカなど10カ国以上で公演を行う。シアトルやボストン、ロサンゼルスのコメディ大会に出場し、日本人初の入賞を果たしたほか、全米でヘッドライナーとしてツアー公演。日本ではフジロックにも出演。2021年フォーブス・アジアの選ぶ「世界を変える30歳以下の30人」に選出。アメリカの新聞で“Rising Star of Comedy”と称される。大阪大学文学部、演劇学・音楽学専修卒業。自著『Get Up Stand Up! たたかうために立ち上がれ!』(産業編集センター)が発売中。

Instagram:@saku_yanagawa

【Saku YanagawaのYouTubeチャンネル】

さくやながわ

最終更新:2023/04/03 20:00
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