佐久間宣行が答えたテレビの「偶然」と、平野レミ語るテレビの「選択」
#平野レミ #テレビ日記 #飲用てれび
テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(3月19~25日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
平野レミ「自分に合うものを見極める力がないと、ちょっとダメだと思うね」
これから、平野レミと佐久間宣行を対立させてみようと思う。
2023年は日本でテレビの本格的な放送がはじまって70年にあたる。それを記念し、同じ年に放送を開始したNHKと日本テレビが、12日から19日まで「コラボウィーク」と題してさまざまなコラボ企画を放送していた。
コラボは多岐にわたっていた。たとえば、『有吉の壁』(日本テレビ系)がNHKの局内でロケをしていたり、『NHKのど自慢』(NHK総合)に『行列のできる相談所』(日本テレビ系)から吉田沙保里らが出演していたり。
そんなコラボウィークの締めくくりとして、19日に放送されていたのが『TV70周年特番 テレビとは、○○だ』。午前は日テレ、午後はNHKで、ほぼ同じタイトルの番組がリレー形式で生放送された。どちらにもメインMCとして出演していたのは有吉弘行だ。
番組は対決形式で進んだ。日テレとNHKのアナウンサーが、「テレビとは、喜怒哀楽だ」「ビジュアルだ」といったテーマとともに、自局のアーカイブから過去の番組映像を紹介。どちらの映像が刺さったか、有吉がジャッジしていくというものだ。
個人的には、NHKで1980年に放送されたという、視聴者からの意見を受けつけるNHKのコールセンターのドキュメンタリーが興味深かった。国会中継が流れると「国会中継いつまですんのん? 相撲ちょっとしかせぇへんでしょう」と視聴者から電話が入る。大相撲中継に切り替わると「なんで国会中継切っちゃうんだよ。相撲をビデオでやりゃいいんだよ」みたいなご意見が届く。なんだか、いまも昔もあまり変わらなさそう。
あと、これもNHKだけれど、鹿児島と青森を中継でつないでお見合いをする番組(1990年放送)。お見合いをする本人たちだけでなく、その親なのか親戚なのか近所の人なのか、地元の人が2人をくっつけようとマイクを握りPRするのだけれど、方言が強いものだからおたがい何を言っているのかよくわからない。同時通訳をする人も間に入るのだけれど、そのチグハグなやりとりが面白かった。
さて、いろいろな角度から「テレビとは」を問うていたこの番組。出演者もさまざまな角度からテレビについて語っており、たとえば平野レミはこう言った。
「(テレビは)いろんなジャンルがあるんだけども、そのなかから自分に合うものを見極める力がないと、ちょっとダメだと思うね。のんべんだらりと、全部でれーんと見てんじゃなくて、私はこの番組が好きだな、これいいな、これ嫌だなっていうふうに、自分の好きなものだけをチョイスしていったらば、どんどん夢が膨らんで、楽しい人生がね、もっともっと開けるんじゃないかなと思う」
なるほど、見る番組を自分で主体的・意識的に選択していけば、テレビは人生を豊かにするものになりうる。ひとつの見識かもしれない。
こんな機会でもないとあまり聞けないかもしれない平野レミのテレビ論。一方、逆にさまざまな場面でテレビを語ってきた佐久間宣行もまた、先週ある番組でテレビについて語っていた。
佐久間宣行「偶然の出会いって、もはやテレビでしかないんじゃないかな」
21日の『NHKスペシャル』(NHK総合)で放送されていた「テレビとはあついものなり~放送70年 TV創世記~」。これもテレビの本放送が開始されてから70年を記念した、NHKの番組のひとつだ。
番組では、NHKでテレビの本放送がはじまる前後の様子が、再現ドラマや証言などで振り返られていた。また、太田光(爆笑問題)や指原莉乃、佐久間宣行がスタジオでVTRを見たり、黒柳徹子を迎えてインタビューをしたりしていた。
インタビューのなかで、黒柳は語る。
「NBC(アメリカのテレビ局)のディレクターが来て、NHKで講演してね、これからはじまるテレビっていうものは平和のものに使われたら自分はどんなにうれしいだろうとおっしゃったんですよ。そのとき私ね、テレビって平和になるんだと思って。それで私、テレビそのまま続けようと思ってずっと続けてる」
黒柳が繰り返し語ってきたエピソードだけれど、昨年末の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でタモリが言った「(来年は)新しい戦前になるんじゃないですかね」が話題になったのを思い起こすと、このエピソードもまた違った響きを帯びる。
さて、この手の番組になると、特にNHKでは、若者はテレビを見ていないという話題が盛り込まれがちだ。ネットメディアに押されるなかテレビはどうあるべきか、みたいな問いかけ。テレビをつくる人が考えるべき問いをテレビを見る人に投げかけられても、と感じたりもするけれど、今回の『NHKスペシャル』でも終盤のトークテーマのひとつになっていた。
この問いに自身の見解を示していたのが、まさにテレビをつくる人、テレビプロデューサーの佐久間宣行である。彼はこの問いに対し、決まった時間にしか見られないテレビは「不便なのは確かだと思います」と前置きしつつ、次のように答えた。
「でも、TikTokとかYouTubeって、関連動画をすすめてくるじゃないですか。そうなると、どんどん趣味が狭くなってくる。でもテレビって、たとえば紅白歌合戦みたいなごった煮、演歌とかポップスとかごった煮になる。だから偶然の出会いって、もはやテレビでしかないんじゃないかなと思うんですよ。それなくしてほしくないなっていうのは思いますね」
ここでは、先ほどの平野レミとは対称的なテレビ観が示されているように見える。レミは、テレビは「チョイス」だと語っていた。自分の好きなものを選んでいけば、人生が豊かになると語っていた。対して佐久間は、テレビは「偶然」だと語った。自分の好みの外のものに遭遇する時間が、テレビが提供する体験の豊かさだと語った。
レミと佐久間のテレビをめぐる対立。果たして、テレビは選択的に見るべきか。それとも偶然の出会いを楽しみながら見るべきか――。
と、少し対立を強調して並べてみたけれど、実際はどっちもあるのだろう。選択と偶然はテレビが併せ持つ2つの契機。視聴者は自分の好きな番組を選んだりするし、たまたま見た番組から目が離せなかったりする。
そして何より、見る番組を選択するにしても、偶然の出会いを楽しむにしても、どちらもその成立条件となるのは、さまざまなコンテンツや見解がテレビのなかにあることだろう。複数のメニューがなければ選べない。多様さがなければ偶然は望めない。いろんなものを乗せる器。そんな器だからこそ、それこそレミと佐久間は異なるテレビ観を別々の場所で語るのだ。
ところで、はじめに触れた日テレとNHKのコラボ番組で、最後に「有吉さんにとってテレビとは?」と振られた有吉は、「僕にとってテレビとは……わからん」と笑いながら答えていた。なるほど地上波のすべての局に冠レギュラー番組をもち、今やテレビの象徴のひとりと言えるような男、大事なところは何とでもとれるようにして、いろんなものを乗せる器を用意する。
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