足立正生監督が描く「宗教2世」の苦悩 追い詰められし者の決起『REVOLUTION+1』
#映画 #インタビュー
劇中の銃は山上がつくったものにほぼ近い
――父親は自殺、兄は小児癌の手術に失敗して片目を失明。母親は統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に全財産を献金し、一家は貧困状態に。統一教会を創立した文鮮明夫婦と祖父・岸信介の代から統一教会に関わっていた安倍元首相を恨み、川上が銃を自作し、射撃訓練するシーンは異様なリアルさを感じさせます。
「銃をつくるシーンを何でもっと克明に描かないんだ」と批判する人もいました。でもね、銃にこだわりすぎるとおかしな映画になってしまう。詳しく撮ってはいたんですが、映画で見せるのはあの程度でいいと判断したんです。銃は山上がつくったものにほぼ近いものにしています。事件を調べてみると、山上は最初の一発を空に向かって撃ち、安倍の演説を聞きに集まっていた人たちをまず散らし、安倍がひとりになって振り返ったところを狙っているんです。他の人には当たらないように、2発目を撃っている。非常に考えた末での犯行です。そのことも、今回の映画を撮った大きな動機になっています。
――無差別殺人ではなかった。
そうです。社会への恨みではなく、個人への怨恨だった。怨恨と、怨恨に伴う生理、そして冷静さがないと、ああいう射撃にはなりません。
――山上が自作した銃の精度はどうだったんでしょうか?
シンプルな構造だけど、正確に撃とうと思えば撃てるものになっていたはずです。俺だって、素人じゃないからね。
――パレスチナでゲリラ活動していたわけですからね。
俺が手作りしていたのは爆弾だけだったけど、世界各国のいろんな銃がそろっていました。どの銃がゲリラ戦に適しているか選んでいました。いちばんすごいなと思ったのは、ロシア製のカラシニコフ。この銃は氷点下で放っておいても狂わず、冬の山岳地帯でも凍りつくことのない名機でした。でも、山上はカラシニコフを手に入れることはできなかった。自分ひとりで研究し、自分で銃をつくるしかなかった。
ヒロイックなものを否定したところで、決起があった
――映画を観れば、川上はヒーローとして描かれていないことは分かりますが、公開前から「犯罪者を美化するのか」という批判が殺到しました。
それはね、映画を観ていない人たちが騒いでいるんです。映画を観れば、分かりますよ。確かに山上さんをモデルにはしていますが、映画はフィクションであり、モデルにしか過ぎないわけです。描こうと思えば、いくらでもヒロイックに描けますよ。でも、そういうヒロイックなものを否定したところで、山上の決起があったと僕は思っています。山上の決起は、決してヒロイズムからではない。追い詰められて、追い詰められて、自分を追い詰めて、決起しているわけです。ヒロイズムは関係ないですよ。それがうまく描けていないようでしたら、どうぞ批判してください。「足立は偉そうなこと言っていたけど、アンチヒロイズムは出てないじゃないかと」と酷評してください。
――ヒーローとしては描いていませんが、感情移入はしていますよね。
当たり前です。感情移入したぶんだけ、ヒーローではなくなっているんです。映画は主人公に密着しているわけだから、そこは揺るぎないわけです。決行した瞬間に川上が喜ぶ表情を見せるなど、ヒロイズムとして表現することは簡単なんです。そういう表情はいっさいさせていません。せいぜい、銃が完成した際に踊り出すくらいです。
――銃を完成させ、部屋を出るシーンは印象的です。どのような演出を?
あのシーンは脚本では「踊る、踊る、踊り狂う」と3行だけ書かれていた部分を、タモトくんと2分くらい話し合ってから、撮ったものです。「このシーン、どう演じる?」と尋ねたところ、「自分自身の中身のなさも含めて、すべてを叩き出したい」というから、「叩き出すだけでは足りない。自分にまとわり付くあらゆる制約みたいなものを全部脱ぎ捨てる、払い落とすくらいでやった方がいいんじゃないか」みたいなことを話しました。その後はぶっつけ本番で撮っています。テストなしと知って、カメラマンは慌ててましたけどね(笑)。
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