秋篠宮ご夫妻、佳子さまの自宅を「出禁」に…ほかスクープ15本
#週刊誌スクープ大賞 #秋篠宮家
フェミニズムの旗手・上野千鶴子の結婚相手と馴れ初め
今週の第1位は、「おひとりさまの教祖」といわれる上野千鶴子元東大教授が実は「入籍していた」と報じた文春に捧げたい。
嫌味な記事ではない。清々しいほどの純愛物語である。
「おひとりさま」の教祖のような上野千鶴子元東大教授だが、彼女には秘めた純愛と悲しい別離があったと、文春が報じている。
八ヶ岳南麓に、今から25年前の夏の頃、男女の姿が頻繁に目撃されるようになったそうだ。20歳あまり年上の男性に寄り添っていた女性は、フェミニズムの旗手で社会学者の上野千鶴子(74)だった。
「当時から彼女は月に二~三回、勤務していた東大のある文京区本郷から八ヶ岳に通っていました。愛車のBMWで深夜に出発し、中央道を爆走。『原稿執筆に没頭するため』とのことでしたが、実は恋焦がれた男性に会いに行っていたのです」(東大関係者)
おひとりさまが売り物の上野が親しい友人に「好きな男性」だと公言していたのは、23歳上の東京経済大学名誉教授で、「歴史学会の巨星」といわれた色川大吉だった。上野が東大教授に就任した翌年の96年のことだったという。
「おじさんと、お付き合いを始めたのよ」
色川と交流が深かった地域研究家の扇田孝之は、上野からそう打ち明けられたそうだ。
「上野さんのほうから交際を申し込んだんじゃないかな」(扇田)
「きっかけとなったのは、写真家の松本栄一氏が九十五年六月に出版した『KAILAS チベット聖地巡礼』(小学館)。上野氏と色川氏は、松本氏と共にカイラスを訪れ、同書に共著者として寄稿している。長い旅路の果てに二人は強く惹かれあった――」(文春)
1967年、色川は東京経済大学の教授に就任。底辺の民衆の視点を貫いた「色川史学」を確立。1975年に毎日出版文化賞を受賞した『ある昭和史 自分史の試み』(中央公論社)では「自分史」という言葉を作り出し、一大ブームを巻き起こした。
色川は『苦界浄土』を著した石牟礼道子の求めに応じて水俣病の学術調査にも取り組んでいる。
「当時、色川先生は妻子ある身で、周囲から不倫関係だと揶揄されたこともあった。二人の関係は、やがて奥さんにも知られることになりました」(知人)
それでも上野は突き進み、1997年10月に八ヶ岳の麓に約300坪の土地を購入すると、翌年8月、彼女は色川と共同で2階建て、137平米の木造一軒家を建てた。
文春が登記を見ると、所有者欄には2人が名を連ね、色川が3分の2、上野が3分の1の持ち分となっているそうだ。
当時73歳の色川は、妻と住んでいた八王子市内の一軒家の一部を妻に生前贈与して、八ヶ岳に移住。翌年には所有していた東京都渋谷区のマンションの1室も売却したという。
妻子から離れ、おひとりさまになった色川のもとに足しげく通ったのが、当時50歳の上野だったのである。
色川は晩年、訪問介護を受けていたという。
「上野さんは『(訪問介護で)美味しいものを食べられないから、私が作ってあげている』のと手料理を振る舞っていた。彼女は色川さんのことを『おじさん』と呼ぶんです。色川さんは運転ができないので『私がおじさんのアッシー君をやっているのよ』って」(近隣住民)
色川の最晩年の3年半にわたる要介護生活を支え、2021年9月7日、最後を看取ったのも上野だった。
昨年5月に出版された色川の追悼本『民衆史の狼煙をー追悼 色川大吉』に、上野はこんな一文を寄せているという。
「このひとの晩年に、共に時間を過ごすことができたことは、私にとってえがたい幸運でした。(略)家族をつくらなかったわたしが、これほどの深さで受け止めた思いを残してくれたのは、色川さん、あなたです」
いい話じゃないか。これほどの情熱的な思いを胸に、ひとりで生きるなんて、上野は幸せ者だな。(文中一部敬称略)
【巻末付録】
まずは現代から。
「エロすぎビーナス 澄田綾乃」「日本一、色白なグラドル 大胆に本誌初登場! 紅羽祐美 M字ビアンカ」
袋とじ「公立高校元保健室の先生特大ヌードポスター 美河ナオ」
お次はポスト。
「4K動画付録 全裸巨乳キャンプ」
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この中では雪平莉左がグンバツ! 見ているだけで幸せ! 今週はポストの大勝だ。
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