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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > 松本人志「有害な男らしさ」
稲田豊史の「さよならシネマ」

『逆転のトライアングル』松本人志が撮るかもしれなかった「有害な男らしさ」

別の世界線を夢想する

『逆転のトライアングル』松本人志が撮るかもしれなかった「有害な男らしさ」の画像5
Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

 オストルンド作品を観れば観るほど、「松本人志の映画が、もしある種の深化を重ねていれば、こうなったかも……」と、つい思ってしまう。少なくとも1作目の『大日本人』には、まだ「そうなる可能性」があった。

 街を襲う巨大生物を退治するおっさん・大佐藤大(演:松本人志)の悲哀、しょっぱさ、惨めさに、かつての『ごっつええ感じ』の香りが残りつつ、映画的フィクションとしても成立していたからだ。大佐藤大には紛れもなく、トカゲのおっさんの名残があった。ただ松本は、その後の監督作ではもっと別のものを追求していく。

 表現者がどんなモチーフを選び、どんなテーマを追求するかなど表現者の勝手であり、一観客が注文をつける権利などない。余計なお世話にもほどがある。

 ただ、オストルンド作品が立て続けに大絶賛を浴びている状況(前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』もパルムドールを受賞)をこうして目の当たりにすると、松本がカンヌのレッドカーペットを歩いている世界線を、どうしても想像してしまう。

 もちろんテレビコントと劇映画は違う。必要な構成力も創造力も違う。監督以外に必要な人材、資金、マネジメント力、すべて段違いに違う。しかし、そういうことを差し引いても、無責任な一観客として、かつて『ごっつええ感じ』に心酔した者として、「そうなっていたかもしれない可能性」を、どうしても夢想してしまう。

 まったくもってピンとこない、という方もおられよう。オストルンド作品をお笑いに関連付けるなんてとお怒りの方もおられよう。

 だが、かつて間違いなく『ごっつええ感じ』のコントは、松本人志を中心に作られていたコントは、「人間」を描いていた。オストルンド作品を観てそれを思い出したことは、忘れずに書き留めておきたかった。それだけは何卒、ご理解いただきたいと思う。

『逆転のトライアングル』松本人志が撮るかもしれなかった「有害な男らしさ」の画像6
Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

『逆転のトライアングル』

2月23日(木・祝) TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー
配給:ギャガ
監督:リューベン・オストルンド
出演:ハリス・ディキンソン、チャールビ・ディーン、ドリー・デ・レオン、ウディ・ハレルソン
Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2023/02/23 20:00
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