『逆転のトライアングル』松本人志が撮るかもしれなかった「有害な男らしさ」
#松本人志 #稲田豊史 #さよならシネマ
謝ったら死ぬ病、ふたたび
今作『逆転のトライアングル』は、モデルの男女カップルや金持ち連中の乗り込んだ豪華客船が沈没し、乗客と乗務員の一部が島にたどりつく物語だ。
島では文明社会のヒエラルキーが文字通り「逆転」し、文明社会でもてはやされていた「カネ」や「美」の価値が地に堕ちて、別の価値が浮上するというエキサイティングな状況が描かれる。モデル業界やインスタグラマー、俗物な金持ちに対する皮肉と毒舌の切れ味は、今までのオストルンド作品にも増してあからさまだ。
本作におけるトカゲのおっさんは、モデルの男・カールだ。映画冒頭、カールはモデルでインスタグラマーの彼女・ヤヤと、レストランで揉める。会計の段になっても財布を出そうとせず、「ありがとう」とだけ言うヤヤ。ヤヤより収入の少ないカールは「そんな風に言われたら払うしかない」「昨夜“明日は私(ヤヤ)がおごる”と言った」「テーブルに置かれた伝票が目に入らなかったとは言わせない」「金への執着じゃない、ただの意見だ」とぐちぐちと抗議。うんざりしたヤヤがいくら払うと申し出ても、もはやへそを曲げたカールは承諾しない。
その言い合いはレストランの外まで続き、「男女の役割にとらわれるべきじゃない」「なぜ(出しかけた)お札をしまった?」とカールは食い下がる。これは一体なんの映画なんだと不安になるくらいしつこく、そのくだりは続く。執拗で、ひりひりしていて、どこか滑稽。『ごっつええ感じ』にこんなコントがあっても不思議じゃない。
男女は対等であるべきだというカールの主張には、無論正当性がある。しかし、であれば、気色ばむことなく「僕の収入のほうが少ないから、今日は払ってくれる?」と穏やかにお願いすればいいだけだ。だが、それはできない。なぜならカールは心のどこかで、まさに自分で口にした「男女の役割」にとらわれ過ぎているからだ。「男性とは本来こうあるべき(女性より収入が高くあるべき、全おごりすべき)」という“有害な男らしさ”に縛られているからだ。
だからこそ、収入が低いゆえに「支払いが痛い」と感じてしまう自分の不甲斐なさに蓋をするべく、カールは感情が高ぶってしまう。自分が「小さい男」だと見られたくないゆえの言動が、むしろ「小さい男」であることを際立たせてしまう。悲しくも惨めだ。
また、カールは豪華客船の甲板上で、マッチョでセクシーな男性クルーがヤヤに挨拶し、ヤヤがそれに笑顔で応えたことに苛立ち、焦る。結果、客室乗務員のチーフに「クルーのひとりが上半身裸になっていてタバコも吸っていた」と“告げ口”までしてしまう。本当に器が小さい。
さらにカールは漂着した島で、空腹のあまり他人(客船の清掃係の女性)のリュックを開けて勝手にお菓子を食べてしまうが、それを詰められるとバレバレの嘘をつく。それでも逃げられないとわかると、開き直って「僕らにも言い分がある」と攻撃的なジェスチャーを交えて言い返そうとする。「謝ったら死ぬ病」だ。なぜ素直に謝らないのか? 謝ることで、彼が後生大事にしている(旧来的な)“男らしさ”が破壊されるからだ。
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