『どうする家康』いよいよ「家康」誕生! 由来、時期…謎多き元康から家康への改名
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源義家から一字いただいて「家康」になったという“俗説”
「元」の文字を捨てた理由はわかりやすいですが、よくわからないのが、「家」の文字が採用された理由です。世間では、家康の遠い先祖にあたる(とされる)平安時代のカリスマ武将・源義家の名前から一文字頂くことにした……などと説明されていますが、これも仮説にすぎないのです。
先述のとおり『御実紀』にも改名の理由の記述はありませんし、また、同書においては、「徳川家の出自の起源」とされる清和天皇から家康の先祖の歴史が脈々と記されているのですが、その中で源義家だけが特別に扱われているようなこともありません。
現在では家康の『御実紀』だけでなく、各将軍の公式伝記が『徳川実紀』と総称されて誰でも読むことができますが、江戸時代にこの手の書物を読むことができたのは、将軍とその周辺にほぼ限られていたと考えられます。おそらく、「神君」家康が元康から家康に改名した事実だけは広く知られているのに、その理由がわからなかったからこそ、江戸時代の庶民たちはさまざまな仮説をひねり出さざるをえなかったのではないでしょうか。そのうちの一つが、「徳川家康の先祖の一人で、清和源氏の祖とされる源義家にちなんだ」という説だったのだと思われます。
では、その義家起源説が有名になったのは、いつごろのことだったのでしょうか。
『尾参宝鑑』という書物には、「永禄6年7月」の項目として「(元康から家康に)改名の理由」の記述があります。それによると、「永禄四年信長と(家康の)面会の節」に、「尾張国稲葉郡光明寺村光明寺住職」の「(青井)意足和尚」なる人物が武家にとっては神聖な存在である「八幡太郎義家」の「兵法を伝授」しているらしいので、それを教授してくれないかと信長が頼んだところ、「吾(われ)は平氏なれば門弟たるを得ず」……自分(信長)の先祖は平家だから、和尚の弟子にしてもらえなかったのだそうです。そして信長は家康に、「御辺(ごへん、「あなた」という意味)」は源氏なので「之を学ぶべし」と言ったというのです。
さっそく家康は意足和尚を岡崎に呼び、兵学の特別授業をしてもらうわけですが、授業が終わった際に和尚から「八幡公の兵学を窮(きわ)む故に義家の一字をも受(うけ)らるべし」……すなわち「あなたは八幡太郎義家公の兵学を極めたから、その証しとして、彼のお名前から一文字いただきなさい」と勧められたといいます。これが『尾参宝鑑』が説明する、元康から家康になった理由です。
しかしここで注意してほしいのは、『尾参宝鑑』という書物は、明治になってから愛知県の伝承を集めて刊行されたものにすぎず、さらにこの逸話の出どころについての記述もありません。のちの調査の結果、「尾張葉栗郡葉栗村」の「青井唐氏所蔵の意足居士背像の讃」(意足の子孫たちが所蔵した意足の肖像画に書かれた文章)に、兵学の才能が認められた意足が家康に特別授業をしたことや、改名を勧めたという先述のエピソードが記されていたそうです。これは、1958年から1961年にかけて発刊された全5巻の『徳川家康文書の研究』(日本学術振興会)に掲載された情報を筆者なりにまとめたものですが、著者の歴史学者・中村孝也は「家の字を採用した理由を、遠祖八幡太郎義家に結びつけたのが興を惹くに足らうか」(第5巻)としかコメントしていません。つまり、学問的には信じるに値しない精度の情報ということでしょう。
まとめると、家康の「家」の由来は源義家にあるとする説はいかにもソレっぽいので、いつしか(明治時代以降?)全国規模で有名になったものの、もともとは「尾張葉栗郡葉栗村」の青井家に伝わる先祖の肖像画の由来書きの内容に尾ひれがついたものにすぎなかったといえそうです。
しかし家康は、武士の世をつくった源頼朝を尊敬しており、昨年の『鎌倉殿の13人』の最終回で松本潤さん演じる家康が『吾妻鏡』を読むシーンがあったように、実際に『吾妻鏡』を愛読していたという家康が、頼朝の有名な祖先である義家「も」尊敬していたとしてもヘンではありません。ドラマの家康が「三河をひとつの家」と考えて家康と名乗るようになったとしても、周囲が義家公の情報も絡めてくるのではないかな……と思われますね。まぁ、いずれにせよ、「家康」の名前の由来は現状では謎のままなのですが。
ところで次回・第7回では改名問題だけでなく、三河一向一揆の始まりが描かれそうです。公式サイト版の予告映像では「家康3大ピンチ 一向一揆編スタート」とありました。第6回で家康の妻子を奪還するのに一役買って視聴者にも顔と名前を売ることに成功した本多正信(松山ケンイチさん)ですが、史実通りにいけば彼は徳川家中から早々に離反してしまうはずです。そのあたりがどうなるのかなど、「一向一揆編」は見どころも多いと思われますので、楽しみですね。
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