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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 宝塚の壮絶イジメの“文春砲”

宝塚の壮絶イジメの“文春砲”第3弾、他スクープ14本

南海ホークス・門田博光さんの孤独な晩年

 天皇皇后が1月20日、皇宮警察の「年頭視閲式」に初めて出席したことが話題である。

 1986年の皇宮警察創立100周年という節目に、当時の浩宮さんが出席したことはあったが、天皇だけではなく皇后も出席したのだから、極めて異例なことだったようだ。

 その背景には、昨年、新潮が報じた、皇宮警察の面々の皇族に対する悪口雑言があったのではないかというのである。

 宮内庁関係者がこう明かしている。

「今回の陛下のご出席は、“皇宮警察に感謝の念をお持ちであり、地道な努力をねぎらいたい”というのが表向きの理由ですが、愛子さまへの陰口を含め、数々の“実態”が報じられるにつけ、大いにお心を痛めておられました。ご自身が出席なさることで、取りも直さず国民へのアピールにもなる。

 陛下は、先々の良好な関係を願って、あえて皇后さまとともにご出席を決められたのです」

 さらに続けて、

「問題の絶えない組織に対し『こうして観ていますから、しっかりと頼みますよ』という、無言のメッセージを送られたとも言えます」

 だが新潮によれば、「不祥事の百貨店」である皇宮警察が、陛下のご臨席を賜ったことで、劇的な変化を遂げるとは到底思えないというのである。

 一部の不心得者がいることは間違いないようだ。皇宮警察はこれを機に、そうした者を特定して追い出し、天皇に安心してもらえるよう努力すべきであろう。

 

 偉大な記録を残した野球人の訃報が相次ぐ。偉大な投手であった村田兆治は孤独のうちに火事で亡くなった。今はなき南海ホークスの日本を代表する門田博光も一人で寂しく亡くなってしまった。享年74。

 現役時代、2751試合に出場して通算打率は2割8分9厘。567本塁打と1678打点は歴代3位で、本塁打王3回、打点王を2回獲得している。

 それも40歳で本塁打王と打点王に輝いたのだ。しかもオリックスに移籍しても、41歳で本塁打33本、42歳で31本も打ったのだから、日本のプロ野球史上燦然と輝く大記録である。

 だが、不摂生で糖尿病を悪化させた挙句に離婚していたというのだ。

 新潮によれば、現役の時、自主トレで台湾を訪れた際に、現地の水道水が不衛生で飲めないため水代わりにビールを飲まざるをえなかった。そのため、朝からビールを飲む習慣がついてしまったという。

 引退後も、朝からビールや酒を飲む習慣はやめなかったそうだ。

 得津高宏(75)は、朝8時ごろに彼と会ったが、居酒屋の看板を見ると急いで駆け込んでビールを飲み、車内でも缶ビールを飲んでいたと話している。

 完全にアル中症状だな。私も30代の頃、午後3時か4時頃になると手が震えて仕方なくなった。あわてて会社の前の蕎麦屋に駆け込んで、大びんのビールを2本、身体に流し込んでようやく震えが止まったという時期があった。

 小心者の私だから、それからしばらくは、人に会って飲むのもなるべく遅くして、8時ぐらいに会うようにした。バーで飲むのも水割りにして、ウイスキーやジンのストレートは飲まないようにしていたら、いつの間にか、震えや、壁を這う虫たちは消えていた。

 門田は、アル中から糖尿病が悪化していたようだ。監督にもなれたのだろうが、体調面で不安視されたため叶わなかったという。

 その後、透析を始めたようだが、体調は良くなかったそうだ。だがそれでも「透析終わりに飲むビールがなんともうまい」といっていたようだから、酒とは縁が切れなかったのだろう。

 いや、酒しか話し相手がいなかったというべきか。現役時代、「勝負の世界は一人でいい」と考え、陶芸や絵画、仏像彫りなど多趣味だったが、それは、「野球のために集中力や手先の感覚を研ぎ澄ますべくやっていた」ためで、引退後はすべてやめてしまったそうだ。

 村田も門田も一匹狼的な生き方を貫いた。だが、引退後も人生は続き、栄光の日々は周りから忘れられていく。

 妻も去り、子どもも去り、豪邸に一人。寂しいという言葉さえ陳腐である。

 かつての栄光が華々しければ華々しいほど、現在の闇は深い。

 門田を発見したのは、「来院予定の門田さんが来ない」という通報を受けて、自宅にやってきた警察官だった。

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