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映画『エンドロールのつづき』パン・ナリン監督&ディール・モーマーヤーP特別インタビュー!!

「インド=歌って踊る」は「日本=ヤクザ」と同じ! 映画のステレオタイプから脱するために

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インタビューにじっくりと応えてくれた、『エンドロールのつづき』のプロデューサー、ディール・モーマーヤー氏(右)、パン・ナリン監督(右)。

 かつて日本でも大ブームを起こした『ムトゥ踊るマハラジャ』(1995)からおよそ30年ーー2022年は『RRR』の大ヒットもあり、インド映画に一気に興味を持った映画ファンも多いはず。

 インド映画界の躍進は目覚ましく、21年に制作された映画本数は約1800本。米国の約1000本、日本の約500本と比べると、驚異的な数字だ。しかし日本国内では、劇場で一般公開されているインド映画は年間で10本にも満たないという現状があるのをご存知だろうか?

 そんななか、今年1月20日から、インドのチャイ売りの少年が映画監督を志す映画『エンドロールのつづき』が日本でも公開されている。大ボリュームのアクションとエンタメ性で圧倒した『RRR』とは打って変わって、『エンドロールのつづき』は、パン・ナリン監督の実体験をベースにしていることも相まって、インド社会の過去と現在を映し出した叙情的な作品だ。

 前回(記事リンク)のリモートインタビューに続き同作のパン・ナリン監督、そして今回は、プロデューサーのディール・モーマーヤー氏にも加わっていただき対面インタビューを実施。インド映画業界の裏側や世界市場のこと、配信プラットフォーマーとの関係から、アカデミー賞のインド代表に選ばれたことで命を狙われるというハプニングまで、超貴重な話を聞くことができた。

アカデミー賞選出で命の危機、ボディーガードをつける!?

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『エンドロールのつづき』の主人公・サマイは、映画に魅了される少年。 ©2022. CHHELLO SHOW LLP

ーー世界最大の製作本数を誇る映画大国で、成長も著しいインド映画界ですが、ここ日本では、今もなおインド映画に対する「インドらしさ」ーーつまり「歌って踊る」というステレオタイプなイメージの作品が好まれている風潮があるようにも感じられます。

 それが現在、日本でのインド映画の普及の障害ともなっているように思うのですが、ナリン監督は、日本の観客にインド映画にもっと興味を持ってもらうためには、何が必要だと思われますか?

パン・ナリン監督(以下、ナリン監督):それは私も常に考えていることです。1950~60年代に“インド映画の文法”が出来上がってしまって、それに則った映画作りが今も続いています。

 かつてはラージ・カプール(40~70代年にかけて活躍したインド人映画スター)の作品がエジプトやロシアはじめ世界中で観られた時代もありましたが、スターシステムが確立されてからは、歌や踊りの得意な大スターが主演する映画がメインで、社会派なドラマ作品は輸出されにくい環境になってしまったと思います。

 私はかつてパリにも住んでいましたが、映画が大好きなお国柄のフランスでも、インド映画はほとんど上映されていない状態でした。それこそサタジット・レイやグル・ダットの監督作品がイベントで上映される程度でした。

 スターシステムが確立されてから、インド映画といえば「歌と踊り」が主流のイメージとして広まっているのもありますが、それを上回るグローバルインパクトを与えられていないのも原因のひとつだと思います。

 ただ、新たな試みとしてステレオタイプから脱しようとしているインド映画人が多くいるのも事実ですし、そういった作品は世界に羽ばたいていくでしょう。私が監督した『エンドロールのつづき』も日本で公開されることになったわけですし、国境というものが意味を持たない時代になりつつあると思います。

 もうひとつの問題は、インドではヒンディーやテルグ、タミル、ベンガル映画業界のように、複数の映画業界が言語や地域によって存在していて、それぞれの業界の目指すところや野心がまったく異なっています。

 そして、インドの映画市場は大きすぎるのです。これは日本も同じかと思うのですが、国内市場ファーストで、海外はその次になっています。そのため、海外市場向けに作品を作ろうというインドの映画人は、まだそれほどいないように思えます。

ディール・モーマーヤー(以下、ディール):私も、インドという国を外側から見たときに、ステレオタイプが蔓延しているのだということを実感します。決して歌と踊りがインドの現実を反映しているわけではありませんが、私たちがインド人だからといって、何もいきなり歌って踊り出したりするわけではありません。
 
 それぞれの国の映画にはブランドイメージがあって、ハリウッドの場合はアクションやアドベンチャー、韓国は恋愛やバイオレンスと思われていても、実際にはもちろんそれだけではないのです。そのイメージに悩んでいる映画人も多くいます。

 たとえば、日本は「ヤクザだらけ」という映画のイメージがあっても、そうではないですよね。それと、インドにおいての「歌と踊り」のイメージは同じことなのです。

 だからこそ、新しいインド映画のブランドを作っていかなければならない責任が私たちにはあると思っています。例えばイタリアの場合、40年から50年代にかけてネオリアリズムというものがあったように、現実の延長線上にある物語をもっと作っていったほうがいいと思うこともあります。

 その点で、ナリンの場合は、インド国内や海外に住むインド人をターゲットにした映画作りではなく、インド以外の国の人に届く映画作りをしている、インドでも数少ない監督と言えます。地域の現実を反映した物語作りを徹底しているからこそ、逆にグローバルな作品になっていると思うのです。

ーー配信サービスやSNSの普及に伴って、インドでは全体的に女性の地位向上やミソジニー(女性蔑視)の問題を描いた作品が年々多くなってきました。ナリン監督の『怒れる女神たち』(2015)もいち早くそういったテーマを扱っていたと思いますが、ナリン監督としては、今後こういったジェンダー問題のみならず、インドの社会問題を扱う予定はありますか?

ナリン監督:そういったテーマをまた扱いたいとは思っています。かと言って、アクティビストにはなりたいわけではないのです。自分は常に良いストーリーを作りたいと思っていて、そこに社会問題が偶然にも重なるということがあったとしても、最初からプロパガンダや情報を押し付けようとする説教くさい映画を作りたいとは思いません。

 ただ、自分が世界や社会を変えられるんだと勘違いはしたくはないけれど、結果的に影響を与えるとしたら、それはうれしいことです。

『怒れる女神たち』はまさにそういうケースでした。インドでは男性が主体の作品が多く、特に当時は、女性が主人公の映画はめずらしかったのです。仮にジェンダー問題を描くにしても、舞台が田舎の村になってしまうことが多く、あくまで田舎や保守色の強い地域の問題として描かれてしまっていました。

 しかし当然ながら、ムンバイやデリー、コルカタにも女性たちは住んでいるわけで、そういった人たちが取り上げられていないことも気になっていました。

 そんな中で、2012年にデリーでインド集団強姦事件が起きてしまった。そのこともあって、より都市部の女性の声を映画にしたい、自分たちにも何かできないかと思ったのです。

ーー『エンドロールのつづき』は、第95回アカデミー賞において国際長編映画賞のインド代表に選ばれ、結果的にショートリスト(予備候補)に残るという快挙を遂げました。アカデミー賞のインド代表に選ばれて本ノミネートされた作品は、2001年の『ラガーン』以降一度もない状況ですが、昨年は『RRR』や『ブラフマーストラ』といった、全米ボックスオフィスに入った作品も多くありました。今年1月に米国の350館で限定公開された『Waltair Veerayya』も全米トップ10に食い込むなど、インド映画に対しての認知度も増しています。ナリン監督としては、手応えはどうだったでしょうか。 

ナリン監督:ノミネートや受賞に関しては未知数ですが、感触としては良かったように思えました。アメリカのロサンゼルスでショーキャンペーンに参加してきたばかりですが、今までのオスカー受賞者や俳優、監督、映画関係者などたくさんの人たちに作品を観てもらうことができました。

 私の映画は、大がかりなプロモーションでバズらせることよりも、口コミで広がっていくタイプの作品だと思っています。レースにノミネートされたり、受賞することはもちろんうれしいことですが、作品をより多くの人たちに観てもらうきっかけになることこそが大切だと思っています。

 今回ショートリストに挙げられた15作品は、どれも良い作品ばかりで競争相手として不足はありませんでしたが、残念なこともありました。キャンペーンを行って、ほかの監督と作品と競い合うのかと思っていたら、競争相手はスタジオや配信プラットフォームであったのです。

 そこに挟まれて少しナイーブな気持ちにはなりましたが、大手企業のようなお金をかけたキャンペーンはできないので、できる限りのことはできたのかなと思っています。

ーーインド国内では、どのような反響がありましたか?

ナリン監督:実は……『エンドロールのつづき』がショートリストに選ばれた際には、インド本国でも物議を醸していました。大衆受けする映画が選ばれなかったことに一部の映画ファンが脅迫やサイバーアタックを仕掛けてきたのです。ディールも身の危険を感じ、ボディガードを付けなければいけない状態に陥ったこともあります。

 ただ、今では、インド国内での評価も変わってきました。インドでもたくさんの方々が観てくれて、スターシステムやスタジオの付いていない、歌や踊りのない作品でも良い作品が作れるんだということを理解してくれるようになって、インドの国内からも多くの応援をいただいています。

配信プラットフォームと距離感を保つべき理由

ーーインドでもNetflixやAmazon、Zee5などの配信サービスが普及していますが、もし今後、配信限定の映画やドラマシリーズのオファーがきたとしたら、ナリン監督はやってみたいと思いますか。それとも、劇場映画しか撮らないというスタンスでしょうか?

ナリン監督:配信作品はすごくやってみたいです。そのためには、自分自身の考え方も変えていかなければならないと思っています。

 それは、シリーズものや配信作品に必要な文法が、劇場用長編映画のそれとは違っているからです。例えば長編映画の場合では、映画館という場所で集中して観てもらえるものが、配信だとまた少しシチュエーションが変わってきます。例えば“ながら見”をされる場合も見越して、どういうふうに物語を構築するべきなのかも考える必要があると思っています。それでも良いと思う部分は、シリーズものであれば長いストーリーを綴れることです。

 私はサウンドデザインにこだわりを持っていて、配信にもそれを持ち込みたいと思っていますが、実際には難しく、思うようにいかない部分も多いみたいで、そこをどうクリアするのかを常に考えています。

 プラットフォームが配信サービスであっても、ゲームであっても、それに合った形で、自分なりにどういった物語を作っていけるかを考えていきたいと思っていますし、実際にディールと話をしている企画もあります。

ディール:私はすでにNetflixでプロデュースした作品があって、その経験から言うと、インディペンデント系作品のプロデューサーや監督として仕事をすることに比べると、孤独感は減ります。普通、配給は自分たちで地道にしなければなりませんが、配信の場合は世界各国で同時に観てもらうことができます。

 マーケティングやデータの部分でも解析してくれるので、大きなリスクはありません。しかしリスクがない分、自由が奪われる側面もあります。

 私たちは『エンドロールのつづき』をグジャラート語で作ることにこだわりました。しかし投資家たちからはヒンディー語で作ることや、ヒンディー映画の大スターを起用するように注文があったし、そうすれば「資金や公開形態をもっと大きくできる」とも言われました。

 ですが、私たちは質にこだわったものを作るという覚悟があったからこそ、それはしませんでした。

 配信サービスというのは、映像制作会社というよりは、技術系の会社に近い部分があって、大切なのはどうしても“数字”になってきます。どれだけ短期間で視聴されて、どれだけ話題になるかを重視しています。

 それに比べると、映画のスタジオの場合は、短期間の視聴回数よりも、どれだけ後世に残っていく名作になるかということを目指しています。例えばパラマウントが『ゴッドファーザー』(72)を作ったときには、公開時の興収だけではなく、50年後に残る映画かということを考えていました。“自分たち”の映画を作っているという意識が強く、インセンティブという点においてもそれが伴うことから、次の作品を作るときのバイタリティにもなっていたと思います。

 ところが、配信作品の場合は、依頼を受けて制作するため、権利が配信サービス側にあり、作り手側には残らない状態になってしまうものが多いのです。その点はマイナス面ではありますが、ナリン監督とも話し合った結果、それでも今後、挑戦はしてみたいと思っています。

『エンドロールのつづき』は第95回アカデミー賞の国際長編映画賞インド代表に選出され、結果的にノミネートは逃してしまった(インタビュー収録は発表前)が、プロダクションや製作会社のプロモーションや政治的駆け引きが重要になってくる中で、独立系の作品が同じ土俵に立てたということは、インドだけに限らず多くの映画人にとって、大きな意味があることだった。

 多くの観客は、情報の多いメジャー作やプロモーションの強い作品を選ぶ機会が多いことだろう。昨今、賞レースでは多様性をテーマにした作品が選ばれやすくなったものの、それもあくまでメジャー作のみで、独立系作品は逆に選ばれにくくなってしまった現状は、改めて考えていかなければならないと感じる。

 そもそもインド映画というものが、ひと言で「インド映画」と言えるような規模ではないのだ。それぞれの業界や地方の想いが交差する中で、世界的な視野をもつナリン監督、そしてプロデューサー・ディールの、インド人でありながらインド映画界を俯瞰的に見た意見は、かなり貴重なものだった。

『RRR』監督のS・S・ラージャマウリ、『マイネーム・イズ・ハーン』のカラン・ジョーハル、『人生は二度とない』のゾーヤー・アクタル、『バンバン!』のシッダールト・アーナンド、ローヒト・シェッティ、サヤンタン・ゴーサル、アヌラーグ・カシャプなどなど……。インドの各地で、異なるアプローチではあってもステレオタイプから脱しようとしている映画人が多くいることも事実。世界的にはすでに起きつつあると筆者は思っているが、近い将来、日本でもインド映画の「グローバルインパクト」が起きてくれると信じている!!

 

『エンドロールのつづき』は全国にて絶賛公開中!
https://movies.shochiku.co.jp/endroll/ 

バフィー吉川(映画ライター・インド映画研究家)

毎週10本以上の新作映画を鑑賞する映画評論家・映画ライター。映画サイト「Buffys Movie & Money!」を運営するほか、ウェブメディアで映画コラム執筆中。NHK『ABUソングフェスティバル』選曲・VTR監修。著書に『発掘!未公開映画研究所』(つむぎ書房/2021年)。

Twitter:@MovieBuffys

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ばふぃーよしかわ

最終更新:2023/02/24 11:38
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