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日刊サイゾー トップ  > 「ルフィ」の“賢すぎる”手口

「ルフィ」連続強盗団の“賢すぎる”手口、ほかスクープ14本

福岡ストーカー殺人、警察の対応や法への疑問

 ところで、またストーカー殺人が起きてしまった。

 なぜ、警察にも訴えていたのに、無残に殺されなくてはいけないのか。悼む気持ちはあるが、怒りのほうが先に立つ。

 被害者の川野美樹(当時38歳)は福岡県那珂川市の会社員である。

 愛知県名古屋市に生まれたが、中学卒業後、安室奈美恵やSPEEDを輩出したアクターズスクールに入った。歌手志望だったという。

 昨年10月2日、スクールの「大復活祭」が行われた日の夕刻、沖縄宜野湾市の家庭料理屋に集まった男女は泡盛「残波」を飲みながら思い出話に花を咲かせた。彼女も、スクールが制作した「WE ARE BACK!」というTシャツを着て笑顔で写真に収まったという。

 それから約3か月後の1月16日の夕刻、彼女はJR博多駅前の路上で頭や胸など10カ所を刺され、帰らぬ人となってしまった。

 その2日後、逮捕されたのは元交際相手の飲食店店員・寺内進容疑者(31)だった。

「寺内は『復縁を求めたが、かなわずに刺した』と動機を語る一方、『女性のほうも悪かった』と自己を正当化する供述をしている」(社会部記者)

 文春によれば、彼女は幼い頃に両親が離婚して、女手一つで育てられたそうだ。

 母親は自宅でエステ店を開き、歌が上手く評判の美少女だった。中学生になると、

「安室ちゃんみたいに、歌って踊れるアーティストになりたい」

 という夢を持つ。

 友人の前で安室の『CAN YOU CELEBRATE?』を歌うと拍手喝采されたそうだ。

 当時流行っていたMAXを同級生4人で結成して、校内で歌とダンスを披露していたという。

 そんな彼女が、沖縄のアクターズスクールに単身で入学するのは必然だったのかもしれない。

「恩納村のムーンビーチにあった、アクターズスクール系のインターナショナルスクール『ドリームプラネット』に通いながら日々、レッスンを受けていました。

 同期は三十~五十人。美樹ちゃんは県外から来ているだけあって、エネルギーとやる気に満ち溢れ、いつも輪の中心にいた。仲間思いで誰からも慕われ、人気者でしたね」(当時の恩師)

 同じ志を持った仲間と、休日は北谷町や名護市に遊びに出掛け、夢を語り合ったことだろう。だが、1年余りスクールに通ったが、デビューすることは叶わなかった。

 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京だった。

 下町にある家賃約6万円の単身者用マンションから、東京の空を見上げて何を思ったのだろう。

「東京への憧れも強かったのでしょう。といっても働き口はなく、当時はキャバクラで働いて生計を立てていました。美人なので人気があり、彼氏にも困らなかった」(名古屋時代の友人)

 母は福岡県出身の男性と結婚。名古屋を離れて福岡で暮らし始めたが、その再婚生活は楽ではなかったという。

 彼女も東京を離れる時が来た。大阪府出身の男性と結婚したのだ。2011年に長女を出産。大阪府岸和田市に移り、母親と娘3人で、ディズニーランドへ旅行したのは、娘が2歳の誕生日を迎える頃だったという。

 だが、結婚生活は長くは続かず、数年後に離婚し、母親と同じシングルマザーの道を選び、佐川急便に事務職として勤務しながら生きることになる。

「苦労はしていたが、いつも笑顔でイキイキしていた。ただ、お酒が好きで、呂律が回らなくなるまで飲むこともあった」(元夫の友人)

 生きていく苦しさを酒で紛らわせていたのだろうか。

 約6年前に、家族ぐるみで付き合っていた友人に彼女から電話が入る。娘を育てながらの生活は大変だから、母親のいる福岡へ行くというのだ。

 母親はすぐに受け入れてくれた。

 住まいは福岡市から少し離れた那珂川市にある2階建ての賃貸住宅。

 彼女には歌手とは別にもう一つの夢があったそうだ。母親がエステ業界に関わっていたから、彼女も「人を奇麗にすることが好き」だった。

 自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 

 だが、初期投資が回収できずに、間もなく店を畳んでしまった。

 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。

 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だったそうだ。

 昼間は派遣会社で働き、夜は蝶として舞い、週末は子育て。楽しみは大のファンである中日ドラゴンズの応援と、娘と一緒に通うジムだった。

 娘とお揃いのドラゴンズのユニフォームを着て、仲よくトレーニングする写真が、友人限定のフェイスブックに上げられた。

 娘との笑顔の写真。思い出の沖縄にも、たびたび娘を連れて訪れていたという。

 そんな生活に暗雲が垂れ込めるのは、昨年春、中洲のバー「X」で男と出会ったことだった。

「茶色の短髪に鋭く刈り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル顔の男が寺内だった」(文春)

 この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、ときどきヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという。

 そこで寺内と出会ってしまったのだ。

 寺内は1991年8月生まれ。大阪市福島区で、父親が働く運輸会社の寮で育った。

 母親はラウンジで働いていて夜いない。父親もほとんど家にいなかったそうだ。

 そんな寺内が中学進級後に変わってきたという。

「友達の家で突然キレて物を投げたり、どついたりして喧嘩を始める。中学はお弁当だったけど、彼はいつもファミリーマートのおにぎり。部活はしていなかったが、ボクシングを習っていた」(学校関係者)

 目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた。

「ボクシングの強豪校に推薦が決まっていたけど、教頭先生を殴って推薦が飛んだんですわ。学校が被害届を出し、更生施設送りになったと校内で噂が立った。実際、三年生の大半は学校に来ていなかった」(同)

 地元の高校に進むも中退した寺内は、大阪市中央卸売市場に勤め始めるが、祭りですれ違った同級生に対して、

「お前、金持ってるか。俺のバックには神戸の山健組がいとるんや」

 と凄んだという。

 十代の頃に一緒に過ごした地元の知人がこういっている。

「気分の浮き沈みが激しく、定期的に『死にたい』と病むことがあった。理解力に乏しく、冗談が通じない。年をとってみんな大人になっていったけど、彼はずっと子供のままやった」

 髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んだそうだ。

 その後、どっぷり夜の世界に浸かっていった。

「十三年、大坂のショーパブ『K』に二十歳そこそこの寺内が入店してきた。すると直後、酔って先輩従業員に暴行したのです。警察沙汰にはしなかったものの、本社のある東京で教育し直すことに。ところが、指導を厳しく感じたのか、あいつは二~三カ月で飛んでしまった」(元同店経営者)

 逃げるように大坂に舞い戻った寺内は様々な飲食店を渡り歩いたという。

 2015年3月、窃盗容疑で大阪府警に逮捕される。そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。

 黒服として働いていたが、見かけによらずにレディファーストだったという。女性に一途で、高級バッグをプレゼントしたりしていたそうだが、信じられないほど幼稚な面があったという。

 当時の交際相手はこう語っている。

「束縛が激しく、携帯を盗み見るなんて日常。友達と遊びに行くときは、いつでも連絡できるようにしておかないと彼は怒り狂うから、遊びにも行けへんかった」

 その過度な束縛癖がために、彼女は警察に相談に行ったという。

 別れた後も、勝手に家に来て、「別れてない」としつこくいい続けたそうだ。

 2016年から17年頃は、東京や沖縄を転々とし、大阪市東淀川区に知人と一緒にバーをオープンさせたのは2019年12月だったという。

「一時間ちょっといて二万円のぼったくりバー。寺内は雇われ店長だったけど、数カ月で店は潰れてしまった」(他の飲食店経営者)

 周囲に「人生をやり直す」といって、縁もゆかりもない九州へ飛び立ち、鹿児島や熊本を経て、福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。

 そして昨年春、川野美樹と知り合い、交際を始めたというのだ。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。

だが寺内はだんだん彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだったそうだ。

「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」

 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。

 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、付きまといを行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した。

 最近、勤務先の人材派遣会社で昇進が決まり、彼女は喜んでいたそうだ。11歳になった娘を絵画教室に送り迎えする姿は、幸せそのものに見えたという。

 だがその幸せを、寺内の刃渡り20センチの刃物が切り裂いてしまったのである。

 周囲を明るく照らす太陽のようだった彼女は、生きていれば39歳の誕生日だった日に、親しい友人らに囲まれて荼毘に付された。

 だが、ここで文春が触れていない警察の責任について考えてみたい。

 ストーカー法ができたのは2000年。知られているように、樋川の女子大生殺人事件を追いかけていた写真週刊誌FOCUSの清水潔記者が、事件の真犯人を突き止め、警察が極めてずさんな対応をしていたことも暴いて、警察に対する世間の信頼は地に堕ちた。

 そのような事件が起きないようにと、ストーカー規制法が成立したのだが、それが十分に機能しているとはいい難い。

 この事件が起きるまでも、いくつものストーカーによる殺人事件は起きている。

 今回も、川野美樹の悲鳴のような訴えを、警察はどこまで本気で聴き、対応していたのだろう。

 寺内に対する警告と、時折の巡回でなんとかなると考えていたのではないのか。もしそうだとしたら、甘かったというしかない。

 文春が報じているように、寺内という男は暴力を振るう癖があり、付き合った女性を異常なまでに束縛するタイプである。それに、文春がいっていることが事実であれば、逮捕歴もある。

 幼い娘もいるのだから、もっと親身になって、万が一が起こらないようにできなかったのか。こうした事件が起きると、警察の対応は十分だったのかという疑問が必ず出てくる。

 もし、今のストーカー法で、被害者を守れないのだとしたら、法律をきめ細かく改正して、被害者を絶対出さないという「最低限」のことはできるようにするべきではないか。

 両親のDVで殺される子どもがいる。今の法律で子どもを守れないのなら、どうしたら守れるのか、どういう法律にしたら被害を受ける子供を助けられるのか、即刻考えるべきだ。だが、この国の人間もメディアも、事件が起きた時は大騒ぎするが、しばらくすると何もなかったかのように忘れ去って、顧みることがない。

 この記事を読みながら、怒りがわいてきて仕方がなかった。 

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