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GG賞3冠!『イニシェリン島の精霊』はオジサン同士の泥沼離婚劇!?

男の「罪」に敏感な女

『イニシェリン島の精霊』が上手いのは、絶交の原因についてわかりやすい理由が語られないにもかかわらず、物語が進むにつれ、パードリック自身や彼が安住している環境に「根本的な問題」があるからこそ、コルムは距離を置こうとしたのではないか?と観客が徐々に疑問を抱くように作られていることだ。

 根本的な問題とは何か。一言でいえば「向上心がない」という罪だ。しかもその罪に、女たちはとても敏感である。

 かつて取材したCさんは、20代で妻と出会い、2年ほど同棲したのち結婚。しかし妻がなにかにつけCさんに自分の不機嫌をぶつけるようになり、その3年後に離婚した。その際に妻から言われた言葉は、「このままだと私もあなたもダメになると思う」だったという。

 Cさんは当時、妻の言葉の意味がわからなかった。しかし10数年たった今はわかるという。

「同棲中は、仕事にしろ妻との生活にしろ、どうしたら今より良い状態になれるかを日々模索していました。しんどかったけど、妻にしてみれば、必死で奮闘している僕が好ましかったんだと思います。だけど結婚後は仕事が安定したこともあって、毎日がルーティンになりました。同じ時間に帰って、同じ時間に同じ量の晩酌をする。土日の過ごしかたも3パターンくらいのローテーション。まだ若かった妻は、それが嫌だったんでしょう」

 親しく長い付き合いの相手だからこそ、成長の停滞や精神的堕落には無性に腹が立つ。自分に向上心があればあるほど、相手との格差に苛立ちが止まらない。音楽家として、表現者として、死ぬまで成長と向上を求めたいコルムにとって、平穏でルーティンな毎日に満足しているパードリックは我慢ならなかったのだ。

「指を切り落とす」の意味

 ところで、コルムはパードリックに対し、これ以上自分に関わってこようとしたら自分の指を切り落とす、とまで宣告する。愛想が尽きたなら、ただ離れればいいものの、なぜこんな「脅迫」をする必要があるのか。

 これも、極まった夫婦関係に置き換えてみれば納得がいく。

 夫との関係が良くないと察知した聡明な妻は、ある時点でこう悟る。このまま夫婦を続けていても良いことはない。だからすっぱり関係を断ってリセットするか、ものすごい荒療治を施して夫婦関係を継続させる可能性に賭けるか。その二択しかない、と。

 そこで妻は夫に究極の二択を迫る。

 私とあなたの生活様式や価値観(仕事や交友関係もすべて含む)一切を、まるっと、根本的に変える。捨てるものは捨てる。人生の棚卸しをして、ハードな断捨離を決行する。それができないなら離婚しましょう、と。

 大抵の夫はすぐ決断したくないので「もう少し様子を見ようよ」と言い、大抵の妻はそれに我慢できず離婚を選ぶ。特に女性の場合、再出発は早ければ早いほうがいいからだ。「様子を見る」時間などない。

 一方、ハードな断捨離を選ばされたのがパードリックである。

 その顛末は凄まじい。具体性を避けて描写するなら、「人は大事なものを手放さないためには、別の信じられないほど大事なものを失わなければならない」だ。夫婦関係を継続させるのは、これほどまでに大変なことなのだ。

 本作は着地点の読めないミステリーであり、時おりブラック・コメディであり、シーンによっては身の毛もよだつホラーだったりする。それはつまり、夫婦そのものだ。

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2023/03/11 13:31
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