『思い出のマーニー』は“宮崎駿はずし”のためだった?
#ジブリ #金曜ロードショー #しばりやトーマス #金ロー
宮崎駿、高畑勲という二人の巨匠を抱えたスタジオジブリはこれまでに二度、次の世代を担う才能二人にバトンタッチする機会があった。その二人は近藤喜文と細田守だ。
近藤は『耳をすませば』の監督として成功したが、これが最後の監督作となり数年後に病没した。
細田は『ハウルの動く城』で監督の予定だったがある事情から降板、以後は自身のスタジオで名監督として名を馳せる。
近藤、細田の二人が「次代のジブリ」として名を遺す未来は失われた。その理由は今も詳しく語られてはいないが、理由のひとつに宮崎、高畑からのすさまじいプレッシャーがあったからといわれている。
そう考えると米林監督も大変なプレッシャーがあったと思われる。なにしろ、ジブリの名を冠する以上は何をやっても宮崎、高畑と比べられるのだから。本人が意識する、しないは別として。
だから巨匠があまり手を付けていない百合もの(に見えるような作品)挑んだのはテーマだけでも巨匠の影を避けたかったという意図が見えなくもない(ただし原作本は、宮崎駿のお勧めだったそうだが)。
しかしそれでも宮崎駿はいつもの通り口出しをしようとしてきて、初期の段階で公開されたマーニーがこちらを見ているという画の宣伝ポスターに『いまどき、金髪の女の子で、お客さんの気を引こうなんて古い!』と怒っていたそうな。だから宮崎監督、そういうところがよくないんですよ!
ひょっとしたら、自分がやってこなかったものに果敢に挑戦する米林監督にジェラシーを感じていたのかも。
それらのプレッシャーを乗り越えて完成した作品はマーニーの過去を杏奈が追体験することで、過去のトラウマから決別し、一人の人間として新しい一歩を踏み出すというクライマックスで、まさに新時代のジブリを祝う旅立ちの一歩なのだ。
そして米林監督は本作の後、ジブリを退社してその志を受け継ぐ制作会社スタジオポノックを設立した。
巨匠の志はジブリの外で受け継がれる。
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