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「話の特集」元編集長・ジャーナリストの矢崎泰久さんを偲んで
ところで、矢崎泰久が12月30日、急性白血病で亡くなった。享年89。葬儀は近親者で営んだそうである。
朝日新聞DIGITAL(1月1日 5時00分)はこう伝えている。
「東京都出身。日本経済新聞、内外タイムスを経て、65年に月刊誌『話の特集』を創刊。95年の休刊まで編集長を務めた。『商業主義に流されず、リベラル、反権威』を掲げた同誌はミニコミ誌の草分けと言われ、小松左京、寺山修司、永六輔、横尾忠則、篠山紀信の各氏ら最先端の文化人が誌面を彩った」
私は『話特』のいい読者ではなかったが、綺羅星のごとく並ぶ新進文化人の名前は魅力的だった。ミニコミ誌が次々に出され、どれもが若者たちの心をとらえていた。
ベトナム戦争、反戦、学園紛争。既成の出版物では飽き足らない若者たちが挙って買い、雑誌自体がムーブメントになっていた時代だった。
小沢昭一、永六輔、野坂昭如が『中年御三家』というトリオをつくり、武道館を満員にした。この仕掛人も矢崎だった。
私は2015年夏に、矢崎と対談をしている。今井照容がやっている『出版人・広告人』8月・9月号に掲載された。
今から8年前か。だいぶ弱ってはいるようだったが、「あの頃」のさまざまなことを話してもらった。一部を紹介しよう。
「元木 お父さんが戦後に文藝春秋から離れて設立した日本社に入られ、そこから一九六五(昭和四〇)年に『話の特集』を創刊されるわけですが、確かあの誌名は最初はエロ雑誌のものだったとか……。
矢崎 そうなんです。親父のところから『話の特集』というタイトルのエロ雑誌を出していたんですよ。今で言う新書判ぐらいの『ポケットサイズ』などと呼ばれた小さな判型で、粗悪な紙にイラストレーション入りのエログロストーリーを満載した雑誌がその頃は流行っていまして、日本社でもご多分に漏れずそういうものを手掛けていたわけですが、タイトルのうちの『話』は、かつて菊池寛時代の文藝春秋が出していた雑誌の誌名でした」
綺羅星たちが『話特』に集まってくる。
「矢崎 たとえば当時は野坂昭如と五木寛之という二人の作家がまだ直木賞をとる前でしたけど、彼らが『話の特集』に関心を持ってくれたことも面白い現象の一つでした。他にも澁澤龍彦、だいぶ考え方は違うけど三島由紀夫、音楽の世界では武満徹、演劇では寺山修司といった人たちがいて、彼らが互いにつながりながらいろいろ世の中に向けて発信していた。彼らも六〇安保と七〇年安保の狭間のあの時代に「何かおかしいぞ?」といった葛藤を覚えながら、新しい何かを欲しがっていた。
寺山修司もその頃までに歌人として売り出していたけど、放送の世界でも仕事がしたくなって、和田誠のお父さんで、当時は大阪の毎日放送のディレクターで『ラジオの神様』と呼ばれるくらい数々の名作ラジオドラマを作っていた和田精さんのことを聞きつけて訪ねて行った。つまり『まだ自分一人の力では無理だけど、この人にきっかけになってもらえば何かができる』ということで、そのきっかけを探していた時代だったんですね。そんな彼らの中の何人かがブレーンになってくれるという形で雑誌を始めることができた。
元木 永六輔さんも『話の特集』のために相当な働きをしてくれましたね。
矢崎 永さんは僕と知り合った時には既に有名人で、『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』などのヒット曲を手掛けていましたからね。また、あの人は六〇年安保の前に大勢の学者や文化人に呼びかけて『若い日本の会』を組織していて、そこに石原慎太郎や黛敏郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司なども加わっていましたが、その時に僕も新聞記者(内外タイムス=筆者注)として取材に行っていたんです。『俺と同じくらいの世代でこんなにキラキラとしたヤツが世の中にいっぱいいるのか』と驚いたのを覚えています」
(中略)
元木 水上勉まで書いていたわけでしょう? 『新青年』ならばともかく『文藝春秋』でも、いくら幅が広いとは言え、たぶんそこまではやらなかったですよね(笑)。でも、そうした人たちに原稿を頼んだりすると、割とみんなすんなり引き受けてもらえるものだったんですか?
矢崎 原稿を頼む際、僕はまず相手に手紙を書くようにしていたんですよ。小松左京さんだってそれまで一面識もなかったんですが、最初は手紙を書いてこちらの考えを伝え、そこから実際に会って意見を交わしたり御飯を一緒に食べたり麻雀をやったり……というところから大体いつもつきあいが始まりました。
また、手紙では原稿料は大作家か新人かに関わらず一枚につき一律一〇〇〇円だということも伝えました。ただ、和田さんもそこは了解してくれたんですけど、おかげで編集費は結構かさみましたね。しかも創刊号は七万部も刷っちゃったもんだから大赤字だったんですが(笑)。でも、自分で納得できるものを出したのであれば、それもいいかなと」
稀代の人たらしだった。またこの世がつまらなくなった。
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