元神戸山口組若頭が六代目山口組に直接謝罪し、引退へ―来年はどうなる?
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暮れも押し迫った12月20日、神奈川県横浜市にある稲川会の施設、稲川会館に、六代目山口組の髙山清司若頭ら最高幹部が訪れた。髙山若頭に同行したのは若頭補佐である3人、國粹会・藤井英治会長、三代目弘道会・竹内照明会長、十一代目平井一家・薄葉政嘉総裁だった。
4人の親分衆らは、午前10時半ごろに稲川会館に訪れたのだが、一方で、新横浜駅11時16分着の新幹線からは、神戸山口組発足当時から若頭を務めるも、今年8月に同組を離脱した俠友会・寺岡修会長の姿があったのだった。それを出迎えたのが、稲川会理事長である埋地一家、貞方留義総長らであった。
「寺岡会長だけは、神戸山口組を離脱後、同じく神戸山口組から離脱した組織と関係を深めるようなことはなかった。そのため、神戸山口組から離脱後、六代目山口組に謝罪し、ヤクザ渡世から引退するのではないかと噂されていたのだ。それを裏付けるかのように、最近になって、六代目山口組サイドでは、“俠友会に手を出すな”とする趣旨の通達が流れたと言われていたのだ」(事情通)
つまりは、寺岡会長が六代目山口組に謝罪し、渡世から引退することになったので、六代目山口組では傘下組員らに対して、「(寺岡会長には)手出ししなくてよい」となっていると囁かれていたのだ。そして、20日には、それが現実になったのである。
寺岡会長が貞方総長らに付き添われ、稲川会館に訪れたのは、20日の午前11時半過ぎ。そこで髙山若頭らに謝罪をしたのではないかと見られている。
「謝罪ができるようこの場を取り計らったのが、稲川会内の堀和也会長だと言われています。寺岡会長は新横浜まで1人で来たと見られており、今後、残った俠友会の組員らは六代目山口組系傘下組織へと加入するのではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
寺岡会長といえば、ここ数年、神戸山口組が衰退していく中で、それでも屋台骨を支えてきた人物だといわれていた。一方、最近は独立組織の首脳陣らと会談を重ね、神戸山口組・井上邦雄組長に、組織の解散、引退を進言していたとされるが、それでも井上組長が「1人になっても組織は解散しない」と言ったことから、ついに袂を分かったのではないかといわれていた。
「要するに、寺岡会長はもうここらが潮時だと考えたのだろう。六代目山口組サイドからの攻撃に対しても、神戸山口組は沈黙したままでやり返すこともなければ、そもそも組を結成した大義がなかったと考えたのではないか。それは他の独立組織の首脳陣らも同様の意向だったのだろう。だからこそ稲川会が、今回の謝罪を仲立ちする形となったのではないか」(捜査関係者)
一方で、六代目山口組はそれより先の13日に納会を執り行い、令和5年度の組指針を発表している。令和5年度の組指針は「和親合一」。同日には、絆會も事始めを開催させ、令和5年度會指針として「常在戦場」を発表し、神戸山口組は5日に会合を行い、組指針「至誠一貫」を発表している。
令和5年に向け、六代目山口組はどのような動きを見せるのか。すでに注目を集めている。
(文=山口組問題特別取材班)
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