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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > アントニオ猪木特集、まだ語り足らない

『アメトーーク!』だからこそのアントニオ猪木特集! 彼の死がまだ信じられない【1万3千字レビュー】

なぜ猪木は、暴動が起こっても謝らなかったのか?

 よりによって、猪木追悼の企画で増田が取り上げたのは「海賊男」であった。猪木史の名勝負を挙げるでもなく、わざわざ黒歴史をピックアップし、斜め上に行こうとする振る舞いはいかにもプロレスファンな悪癖だ。番組内で増田が紹介したのは、1987年3月26日における猪木VSマサ斎藤の一戦であった。

「猪木とマサ斎藤の試合を楽しみに、みんな大阪城ホールに集まってるんです。で、ここに海賊男が乱入してくる。これもいろんな説があって、対戦相手のマサ斎藤が海賊男に『途中で乱入してこい。猪木に手錠をはめて、リングから引きずり下ろして、会場の外に連れて行け』と指示をしたという説がありまして」(増田)

 実際に乱入した海賊男は、なぜか真っ先にマサ斎藤の右手に手錠をはめた。そしてもう片方の手錠は自らの右手にはめ、そのままマサを控室に連行したのだ。その後、なんらかの器具で手錠を切り、身動きできるようになったマサ。彼はリングへと戻り、そのまま試合は再開。しかし、腕に巻いてある手錠でマサは猪木を殴打し続け、結果、マサの反則負けという不可解な結果に終わってしまった。

土田 「海賊男って何?」

有田 「1つの敵を作る予定だったんだけど、あまりにもこんなミスが続いちゃって、スーッとなくなっちゃったの(苦笑)」

勝俣 「蝶野(正洋)は(海賊男の中身として)入ってたかもしれないとはモヤッと言ってた(笑)」

ケンコバ 「いろんな人が『俺、海賊男やってたよ』って言うんですけど、数が合わないんです」

 この日の「猪木-マサ斎藤戦」で乱入した海賊男の“中の人”は、メキシコから留学し、新日所属になったクロネコ(ブラック・キャット)だと言われている。当時まだ、日本語に不慣れだったクロネコ。彼は流れをよく理解できず、二択を間違えてマサに手錠をかけてしまった……というのが、識者による推察だ。

 この低調な結末に観客は激怒。リング上に物を投げ入れ、椅子を投げ飛ばし、館内に火を点けるなど、ファンたちの怒りは大暴動に発展した。新日には団体史に残る“3大暴動”が存在するが、その内の1つがこれである。

 もう1つは、「猪木VS長州」を期待するファンの気持ちをよそに、たけしプロレス軍団(TPG)からの刺客・ビッグバン・ベイダーとのシングルマッチを猪木が強行した「イヤーエンドイン国技館」が挙げられる。前述のマサ斎藤戦と同じ、87年の興行だ。

 この頃、猪木の思いつくアイデアは完全に迷走していた。結果、主に子どもファンが新日から軒並み卒業するという事態を招いたものだった。昭和の新日本プロレスでは暴動がよく起きていたし、当時のファンはそれだけ本気だったのだ。

 TPGの横入りで両国に大暴動が起こった際、バックステージで首脳陣の様子を見ていたのは、当時まだ若手だった鈴木みのるだ。「KAMINOGE」vol.83(東邦出版)のインタビューにて、このときの猪木の言動をみのるが明かしている。

「控室でモメてるのを俺は目撃しているんだよ。坂口さんや藤波(辰巳)さんが『社長(猪木)が出ていって謝らないと収まらないですよ!』『なんで謝らないんですか!』って責めてたんだけど、猪木さんが『うるせえ! 俺が頭を下げたら誰も観に来なくなるぞ!』って。『出した結果がたとえ客が求めるものと違っても、それに対して謝ったら客に媚びなきゃいけなくなるぞ。だったら、テメーらが頭を下げてこい! 俺は頭を下げない!』っていう言い合いを見たんですよ」(鈴木)

 このときの対応に関しては、猪木の言い分のほうが完全に正しい。

 話を海賊男に戻すと、クロネコや蝶野以外に“中の人”になったレスラーは数多い。木村健吾や越中詩郎、馳浩などが海賊男を務めたと推測されている。ちなみに87年2月10日、フロリダに遠征中だった武藤敬司を襲った海賊男(初代!)の正体は猪木本人、というのがプロレス界に伝わる定説だ。

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